プレゼント

「毎日笑顔で玄関を出よう!」を合言葉に会員どうしの情報交換やバスハイクを開催しています

患者さんインタビュー
呼吸不全友の会(ホットの会)会長 藤波 武昭さん

息切れで検査を受けると間質性肺炎と診断され余命1年と告げられて生きる気力を失いました

[ふじなみ・たけあき]——1942年、福岡県生まれ。60歳のときに特発性間質性肺炎と判明。1991年、国立療養所屋形原病院(現・福岡病院)に入院していた患者さんが設立した「呼吸不全友の会(ホットの会)」を引き継ぎ、会長を務める。

間質性肺炎と診断されるまで、私は大病することなく年を重ねてきました。しかし、60歳を迎えて「定年まであと5年。仕事をいままで以上にがんばりたい」と意気込んでいた矢先、病は突然やってきました。

建築現場で屋根工事の仕事をしていた私は、毎日のように工事用の階段を昇り降りしていました。体力には自信があったのですが、ある日突然、息が上がって階段を昇れなくなってしまったんです。おかしいと思って病院で検査を受けると「間質性肺炎」と診断されました。

肺の病気は喫煙や汚染された空気の吸い込み、薬害などが原因で起こることが多いそうですが、私はどれも該当しませんでした。仕事場はそれほど劣悪な環境ではありませんでしたし、タバコも25年前にやめていました。

原因が分からないため、私の診断名は「特発性間質性肺炎」と診断されました。「特発性」は、原因がよく分からない場合につくと聞いています。

若い人なら硬くなった肺胞を切除する外科手術を受けられるそうですが、60代だった私は担当の先生から「手術は難しい」といわれました。間質性肺炎は進行性の病気であることを知り、気が気ではありませんでした。

病気の進行を遅らせるために、ステロイドによる投薬治療を行うことになりました。担当の先生から「すぐに治療を始めることをおすすめします」といわれたので、検査後に自宅に帰ることなくそのまま入院しました。

入院は3ヵ月間の予定でしたが、ステロイドを投与しても、私の息切れは改善しませんでした。それどころか症状は日に日に悪化し、しだいに自分の力で呼吸することが難しくなりました。鼻からチューブを通して肺に酸素を送り込む酸素療法が行われ、入院期間は6ヵ月になっていました。

息切れが改善しないことは悩みの種でしたが、もっとつらかったのは会社に対する気持ちでした。長年お世話になった会社にもっと貢献したいと思っていたのに、勇退ではなく病気で辞めざるをえなくなったことに、私は茫然自失の状態になりました。病院のベッドの上で退職届を書こうとしても、手が震えてうまく書けませんでした。

6ヵ月間の入院生活が終わって退院するとき、担当の先生からの言葉がさらに私を失意のどん底に突き落としました。私は先生から「肺の状態が想像以上に悪く、長くても1年しか機能がもたないでしょう。退院後は残りの時間を有意義に使ったり、身辺整理をしたりすることをおすすめします」といわれたのです。

間質性肺炎で入院していたときは、私と同じ部屋で過ごしていた患者さんの症状が日に日に悪くなっていく様子や、亡くなる姿を目の当たりにしていました。担当の先生の言葉は私の心を深くえぐり、退院後は何もする気が起こりませんでした。

帰宅してからの生活は、とにかくストレスをためないことを心がけました。何事も慌てずにゆっくり、のんびりと行動するようにした結果、ストレスを感じることなく家内と一日一日を噛みしめながら過ごすことができました。

普段の生活にも慣れてきたら、自分でできることは自分でするようにしました。家の中で少しでも動いて体を衰えさせないようにしたんです。すると、退院から1年たってもお迎えは来ませんでした。むしろ、体調がよくなったような気がしたんです。そこで、思い切って酸素療法を一時的にやめてみると、なんと自分の肺だけで呼吸をすることができたのです。

患者さんや医療従事者が中心となってホットの会を設立し病気の情報をネットで紹介しています

3年半ほどたった頃には、酸素療法を行わなくても日常生活が送れるようになっていました。硬くなった肺胞は機能していないので激しい動きやスポーツなどはできませんが、酸素療法が必要なくなったことは奇跡だと思っています。

死の恐怖から解放された私は、家内といっしょに家庭菜園で野菜作りに励んだり、近所の公民館で開催されているパソコン教室に通ったりするなどして、余暇を満喫していました。そんな私の様子を知った「呼吸不全友の会」の当時の会長さんから「運営を手伝ってほしい」と連絡をいただいたのです。

私が呼吸不全友の会に入ったのは、入院しているときでした。同じ病気で入院されていた呼吸不全友の会の会員さんから、誘われたのがきっかけでした。当時の私は失意のどん底でしたから、会には入っただけで特に活動に参加していません。当時の会長さんから声をかけてもらったときに、あらためて呼吸不全友の会の活動を調べてみました。すると、私の趣味である俳句を好む仲間が多いことを知り、積極的に参加するようになりました。

福岡病院主催の「健康フェア」で会員といっしょにダンスを踊る藤波さん

呼吸不全友の会は、福岡病院(当時は国立療養所屋形原病院)に入院していた呼吸不全の患者さんの呼びかけで、福岡病院の医師や看護師を中心として、1991年に設立されました。会員は慢性呼吸器疾患の患者さんやそのご家族などで、現在の会員数は100名ほどです。在宅酸素療法を行っている方が約6割、私のように行っていない会員が約4割です。在宅酸素療法の英語表記Home Oxygen Therapyの頭文字を取り、別名を「ホットの会」ともいいます。

会の役割は、情報発信や会員どうしの交流です。情報発信は、ホームページや年3回発行している会報誌『ホット』を通じて主に行っています。

発信している情報はさまざまです。肺疾患に関する内容や治療方法、在宅酸素療法にかかる電気代の補助、脈拍・血液中の酸素濃度を簡便に計測できる機器「パルスオキシメーター」の給付、身体障害者手帳の交付方法など多岐にわたります。

病気や治療に関しては、福岡病院が毎月1回開催している呼吸器疾患や健康に関する「いきいきセミナー」の情報を中心に、医師、薬剤師、療法士、栄養士、看護師などの専門家から知見を紹介いただいています。

患者自身の体験から得られた知恵や工夫を共有し合ってQOLの向上を目指しています

医師をはじめ、専門家の分かりやすい話を聞いて病気への理解を深める「いきいきセミナー」

私たちの会では、医療従事者からの専門的な情報や意見だけでなく、患者自身の体験から得られた生活の工夫や知恵を伝えることも意識しています。

例えば、肺疾患の治療ではステロイドを投与して症状を抑えることがあります。医師によっては、ステロイドを使うと骨がもろくなったり、体重や食欲が低下したりするなどの副作用があるという説明をします。その言葉は正しいのですが、すべての患者さんに多くの副作用が起こるわけではありません。実際、私は間質性肺炎の治療でステロイドを投与されたものの、副作用は顔のムーンフェイス(満月様顔貌)だけでした。

また、私のように治療によって病気の進行が止まり、余命告知を受けてから16年たったいまでも、奇跡的に生きている例もあるのです。このように、患者さんが実際に経験したことや起こっていることを伝え、治療に対する不安を少しでも減らしたいと考えています。

QOL(生活の質)を落とさずに過ごせるためのヒントや情報も発信しています。例えば、在宅酸素療法に関してです。特に肺疾患に罹患してまもない患者さんは在宅酸素療法で戸惑うことが多いため、長年酸素療法を行っている会員からのアドバイスが役立つはずです。

患者さんが戸惑う主な原因は、複数ある在宅酸素療法の器具の選び方や、チューブの扱い方などです。在宅酸素療法を始めるとトイレやお風呂、食事中も、ずっとチューブをつけたままになります。そのため、最初の頃はチューブの使い方で苦労することがとても多いんです。

外出するときにも戸惑うポイントがあります。それは、どれだけの量の酸素をタンクに入れておけばいいのか分からないことです。長年、酸素療法を行っている患者さんには経験も知恵もあるので、患者ならではの情報を発信することで生活の不安を取り除くことができると思っています。

一方で、オープンにしたくない繊細な内容もあります。そこで会では、メールアドレスを持つ会員さんが集まったメール交換会「あのね会」を発足しました。メール会員だけが見られるメーリングリストを作成し、より深い内容の情報を交換するときに活用しています。

呼吸不全友の会には「毎日笑顔で玄関を出よう!」という合言葉があります。呼吸不全の患者さんに限ったことではありませんが、家にこもっていても何もいいことはありません。

引きこもっていれば足腰の筋力は衰え、体を動かさないために心肺機能も低下します。さらに、人と会わないから会話をすることもありません。

買い物でもいいですし、散歩でもいいんです。とにかく1日に1度は家を出て、外の空気を吸い、誰かと会話をする。そしてそのさいには笑顔を忘れない。このことを意識しているだけでも、QOLは高まると考えています。

ただ、酸素療法を行っている方々は、外出することが健康につながると分かっていても、家を出ることに対して大きな不安を感じています。私自身が経験しているからよく分かるのですが、〝酸素が切れることは死を意味する〟からです。だから、わざわざ危険を冒してまで外出しなくなり、やがておっくうになってしまいます。

バスハイクは病院や医療メーカーなどのサポートによって安心して外出を楽しめます

外出する楽しさを思い出させてくれる「バスハイク」

そこで呼吸不全友の会では、会員が毎日外出するきっかけにしてもらいたいと思い、春と秋の年2回、バスハイク(日帰りで観光地を巡るバスツアー)を開催しています。バスハイクには、福岡病院の医師や看護師、酸素療法の機器を手がけている会社、介護の知識を持つ方など、たくさんのサポートメンバーが参加されています。つまり、患者さんにとって安心・安全な外出なのです。

バスに酸素を供給する機器や予備の酸素タンクを用意しているので、酸素がなくなる心配はありません。もし体調不良になっても、医師や看護師さんに診てもらえる環境を整えています。このような安心感からか、毎回30人もの会員が参加してくれています。バスハイクは会に興味を持った方の体験イベントも兼ねていますので、誰でも参加できます。

呼吸不全友の会は、数多くの方々のサポートで成り立っている患者会です。その背景には、呼吸不全の患者は体調が急変しやすく、亡くなる可能性が決して低くないという、呼吸不全という病気ならではの事情があります。呼吸不全とは関係がなくても呼吸不全友の会に興味を持ち、サポートしてくれるという方はぜひとも参加していただきたいと思います。