プレゼント

生きる力をくれた自転車のすばらしさを障害のある方に伝えるボランティア活動で恩返し

患者さんインタビュー
ロードバイクサポートちば サポーター 板垣 信明さん

がんになったから自転車に出合えました!

中咽頭がんになっても、恩師の教えや凜とした医師の態度から悲壮感を覚えずにすみました

いつも走る印旛沼周辺のサイクリングコースは、景色も最高!

異変に気づいたのは、59歳のときです。のどにひっかかるような違和感を覚え、近所の耳鼻咽喉科を訪れました。薬を処方されて帰宅したのですが、症状は治まりません。もう一度耳鼻咽喉科に行くと「精密検査を受けたほうがいい」といわれ、総合病院を紹介されました。

総合病院で受けた検査の結果、主治医から「のどに2㌢の腫瘍がある。がんです」といわれたのです。中咽頭がんでした。幸いがんはⅡ期と比較的早期の段階で、食道まで達していないと説明を受けました。治療法は放射線と抗がん剤を選び、手術は選択しませんでした。声帯に傷がついて、発声ができなくなるおそれがあったからです。

「治療すれば問題ない」という主治医の凜とした態度や冷静かつ的確な説明のおかげか、がんと告げられても動揺せず、悲壮感もありませんでした。当時、専門学校の校長として激務に追われていた私は、全力で働きつづけてきたからこそ、一度休憩して治療に専念しようと強く思いました。

いまの愛車はフレームに竹を使った珍しい自転車で、多くの調整が施された世界に1つだけの品

私は、恩師の「どんなときでも何とかなるものよ」という言葉を念頭に生きてきました。仕事を休ませてもらい、治療に専念できる環境を整えると、がんに関する書籍をたくさん読みました。がんを深く知れば知るほど、早期がんは治る可能性が高いことを確信しました。ただ、家族の考えは違ったかもしれません。私の前では平静を装っていましたが、女房はかなり心配していたと思います。

入院当初は休暇気分でいられましたが、治療が始まるとひどい副作用に苦しむようになりました。吐きけや味覚障害がほんとうにつらかったです。うどんやおかゆといった、柔らかい食べ物だけしか体が受けつけませんでした。食が細くなり、体重はみるみる減少。身長172㌢で入院前は85㌔だった体重が、3ヵ月後の退院時には68㌔になっていました。

深夜の時間も苦痛でした。昼間にやることがなく寝てしまうからか、夜中に目が覚めることが少なくありませんでした。「もし死んだとしたらどうなるのだろう」「女房や子どもたちはどうなるのだろう」と、死んでしまったときのことが脳裏に浮かんでは消えるんです。そんなときは、夜間に見回りに来る看護師さんと短い会話をすることで、ほんとうに救われました。

退院後から現在にかけて、特に治療は受けていません。薬も飲まず、半年に一度の経過観察だけですんでいます。半年ほどして仕事に復帰したのですが、体力が低下していて生気がなく、何をするにも力が出ませんでした。仕事はまわりに任せて、一日中ボーッとしているような状態です。1年がんばったものの状況が改善しなかったため、週3日の勤務にしてもらって、体力の向上に努めることにしました。

がんになったから自転車の爽快感を体験できました。障害のある方にも感動を味わってほしいです

[いたがき・のぶあき]——北海道生まれ。山形大学卒業後、建設会社に入社。37歳で退職後、専門学校講師を経て、52歳で「国際トラベル・ホテル・ブライダル専門学校」校長に就任。59歳で中咽頭がんを発症し、1年の治療後に復帰するも、交通事故に遭い退職。現在は、生きがいとなった自転車のボランティア活動に尽力。サイクルボランティアジャパン理事を兼任。

手軽に取り組める運動として、最初に選んだのがランニングでした。ところが、ひざが痛くなってしまって断念。それならばとスポーツジムに通ったものの、1ヵ月も続きませんでした。日が当たらず、景色も変わらない室内でトレーニングするのは、性に合わなかったんです。

いい運動がないかと考えたとき、ふと頭に浮かんだのが自転車でした。息子がサイクリングで各地を旅するほどの自転車好きで、仕事も自転車関係でした。また、勤めていた専門学校に自転車部ができたばかりで、入院直前に生徒から誘われて大会に出たんです。そのときの感動がよみがえってきました。

早速、近所のサイクルショップを数軒回ったとき、白い競技用の自転車が目に飛び込んできました。まさに運命の出合いだと思っています。自分の力だけで走ることができ、青空のもと、颯爽と風を切りながら、刻々と変わる景色を楽しめる――がんにならなければ、知ることができなかった爽快感。これまで知らなかった自転車の魅力に取りつかれた瞬間でした。

気づけば体力向上という当初の目的はわきへ追いやられ、自転車に夢中になっていました。サイクルショップが開催する走行会に参加して川沿いにある専用道路でトレーニングを重ねると、自転車を始めてから4ヵ月で大会に出場するまでになっていました。家族は心配していましたが、ゴールしたときの感動はいまでも忘れません。

以来、複数の大会に参加し、友人や女房と遠乗りに出かけるようになりました。いつの間にか体力不足の悩みはなくなり、持病の糖尿病も解消。周囲が驚くほど元気になっています。

初出場の大会で、現在の活動につながる大きな出会いがありました。自転車を通じたボランティア活動をしている「NPO法人サイクルボランティアジャパン(CVJ)」の会員の方に出会えたんです。CVJは、自転車の魅力を広げていくことを目的としたNPO法人です。私が出会ったその男性は、「目の不自由な方や知覚障害のある方にも、自転車の魅力を知ってもらいたい」と考えていました。CVJは2人乗り専用の自転車などを使って、各地でイベントを開催しています。

自転車との出合いによって人生が変わった私は、CVJの志に大いに共感しました。自分の生きる道と定めてCVJに飛び込んだ私は、関西で行われたボランティア活動に参加。知覚障害のある方とともに走ると、「楽しい!」と何度もうれしそうに伝えてくれました。

関西での活動の後、いつもお世話になっていて、自転車仲間でもある「サイクルショップ・りんぐ」の石井和敬さんもCVJに参加しました。さらに、千葉市が2人乗り専用の自転車を5台持っているものの、現在は使われていないことを耳にしました。早速、交渉して譲り受けてメンテナンスを石井さんにお願いし、関東でもイベントを開催することにしました。

CVJの方々はもちろん、石井さん、千葉競輪場の職員の皆さんや競輪選手の方々などに協力してもらい、これまで五回のイベントを開催。毎回40人ほどが参加しています。

大切なのは生きるための目標を掲げること。いまは自転車の専門学校を開校したいと考えています

自転車の感動を、障害のある方にも味わってもらいたいと語る板垣さん

人生で大切なのは「夢を実現しよう」という強い思いを抱くこと、それを実現するための目標を掲げることだと思います。

目標を持つことの大切さをあらためて実感したのは、手術から4年後に遭遇した交通事故のときです。体力の回復を実感し、意気揚々と仕事をフルタイムに戻そうと考えていたやさきの出来事でした。自動車にはねられて両肺に穴があき、太ももと肋骨に多数の骨折。集中治療室 (ICU)で1週間治療を受ける大ケガを負い、生存率は40%といわれていたそうです。

集中治療室で動けないときであっても、私には自転車で各地を旅したいという目標がありました。絶対に復活するとの強い気持ちと目標があったからこそ、苦しいリハビリテーションもがんばれた。いまでは以前のように、女房や仲間と自転車を楽しんでいます。

私のいまの目標は、自転車の専門学校を作ることです。自転車の専門家が増えて汎用性が高まれば、自転車文化がさらに発展していくでしょう。そうすれば、私のように自転車で元気になれる人が増えるはずです。自転車文化発展の礎の一人になれたら、これほどうれしいことはありません。