プレゼント

この人が好き!——強い感情が持てると生活にハリが出ます

私の元気の秘訣

女優 キムラ緑子さん

近所のおばちゃんから貴婦人まで、自然体ながらも深みのある演技で「変幻自在の女優」と称されるキムラ緑子さん。年齢や枠にとらわれず、常に新しい役柄に挑みつづける姿勢は、多くの視聴者を引きつけてやみません。主演を務める舞台『わが歌ブギウギ―笠置かさぎシヅ子物語―』の本番を間近に控えた緑子さんに、元気の秘訣ひけつをお聞きしました!

たまたま見学先で見たつかこうへい作品に衝撃を受けました

[きむら・みどりこ]——1961年、兵庫県淡路島出身。劇団M.O.P.の旗揚げに参加し、2010年の解散まで看板女優として活動。2013年、連続テレビ小説『ごちそうさん』(NHK)でヒロインに対していけずな義姉・西門和枝役を演じてお茶の間の人気を博し、さらに活躍の場を拡大。『グレーテルのかまど』(NHK Eテレ)や『大改造!!劇的ビフォーアフター』(テレビ朝日系列)のナレーションを担当。

私はもともと兵庫県のあわしまで生まれているのですが、小学校に入学してすぐに親の仕事の都合で大阪へ行ったり岐阜へ行ったりと引っ越しを重ね、小学2年生くらいで再び淡路島に戻ってきました。

年齢的なものもあるのでしょうけれど、転校を繰り返していた頃の自分は人見知りで、どちらかといえば引っ込み思案な性格でした。それが淡路島に戻ると、みるみる元気な子どもに成長していったのです。

淡路島の小学校ではクラスに10数名しかいなくて、6年生までクラス替えもありません。だから、クラスメイトたちとはまるできょうだいみたいにずっと一緒に育つことになります。

おかげでみんなとても仲良し。今みたいにスマートフォンなんかありませんから、校庭で毎日、缶蹴りやゴム跳びをしたり鉄棒で遊んだり、ほんとうに楽しい少女時代を送ることができました。

淡路島はそれこそ周りが海ですし、豊かな里山がありますから、屋外で活発に遊び回るのは当たり前のことでした。時には男の子たちと一緒に、当時はやっていた特撮テレビ番組『超人バロム・1』(日本テレビ系列)のまね事をして遊んでいたのも、いい思い出です。

ちなみに、その頃は将来の夢は歌手でした。音楽番組が多かった時代ですから、自然にそう思いはじめたわけですが、実は歌を歌いたいというよりも、世間から注目を集めたいという、目立ちたがり屋根性のほうが大きかったかもしれません。そういう性格の子どもでした。

自分とさほど歳の変わらない子たちが登場する『スター誕生!』(日本テレビ系列)に引きつけられて、オーディションを受けたこともありました。私は最後の5人くらいまで残ったのですが、あえなく落選。この時はめちゃくちゃ悔しい思いをしたものです。

目立つための手段として歌に興味を持ったのは、祖父母の影響でした。実家のすぐ近くに祖父母の家があり、幼稚園で覚えたばかりの歌をろうすると、祖父母がそれはそれは喜んでくれたんです。それで調子に乗ってしまったのでしょうね。

アクティブな性格はその後も変わらず、中学校ではテニス部に、高校では剣道部に入部しました。そして演劇との出合いは大学時代。京都の大学でたまたま仲良くなった友達が高校から演劇をやっていて、彼女に付き合わされる形で演劇サークルを見学に行ったのがきっかけでした。

そこで目にしたのが、つかこうへいさんの『熱海あたみ殺人事件』のリハーサル風景。私はその様子に強烈な印象を受けてしまったのです。あくまでも練習風景だったのですが、セリフとストーリーのあまりの面白さに一気に引き込まれてしまいました。

単なる付き添いのつもりだったのですが、結局、私もそのまま演劇サークルに入ることになります。

「人の誘いやたまたまの流れで人生を決めてきたように思えてなりません」

こうして振り返ってみると、私は昔から自分でなにかを決断するよりも、人の誘いやたまたまの流れで人生を決めてきたように思えてなりません。

お芝居にしても、強い意志を持って目指した世界というわけではなくて、ただ単に今日までやめることなくがんばってきただけ、という感覚があります。

なにか特別にやりたいことを持っていたわけでもないし、基本的に面倒くさがりなので、積極的に新しいことを探そうともしていなかった結果、今の私があるんです。でも、こういうのもご縁なのでしょうね。

演劇サークルで演技の練習を始めると、ますますつかこうへいさんへの憧れが募ったんです。京都からみんなで夜行バスに乗り、東京まで舞台を見に行くことに――。

劇場は忘れもしない、しん宿じゅくくにホール。でも、人気絶頂のつかさんの舞台ですから、あてもなく突然訪ねたところでチケットは取れません。

どうにかならないものかと、運営の人に「京都から来たんです」と訴えたところ、それがつかさんの耳に入ったようで、なんと1列目の前に急きょパイプイスを並べて、私たちの席を作ってくれました。つかさんはとにかく演技に熱い人で、「わざわざ京都から来るほど俺の芝居が見たいなら入れてやれ」とおっしゃってくれたそうです。

淡路島に帰郷するも縁あって再び演技の世界に戻りました

そんな体験もあって、私はますますつかさんの世界観に傾倒していくことになりましたが、大学を卒業すると演劇活動には一区切りをつけて、淡路島に戻ることにしました。

これは単に、当時お付き合いしていた人が島にいたということと、卒業後はUターンするのが当たり前だと思っていたからです。私は淡路島で学習塾を経営しながら、お付き合いしていた人の教員免許の取得を待ち望んでいました。

というのも、結婚相手への条件として教員免許を取得することと両親からいわれていたからです。けれど、なかなか試験に合格することができません。3年続けて不合格になり、どうしたものかと悩んでいたところに、演劇サークルの仲間から久しぶりに電話がかかってきました。いわく、予定していた女優さんが出演できなくなったから、今回限りでもいいから戻ってきてくれないか、というのです。

私も気持ちをリフレッシュしたかったこともあり、「一度だけ」と軽い気持ちで、知人に塾を任せて京都へ行きました。

ところが、結局そのまま淡路島に戻ることはなく、こうして今もお芝居をやっているのですから、やっぱり流れに身を任せるままの人生なんです。

とはいえ、すぐに演技で食べていけるようになったわけではありません。メンバーそれぞれが日中のアルバイトを終えてから、夜の7時に集まってけいを始めるのですが、稽古場もないので屋外でやることになります。近くの運動場に入り込んで真っ暗な中、相手の顔も見えない状況でセリフをいい合っていたのですから、なんだかけなげですよね。

そんなある日、劇団の主宰者であり、今は私の夫のマキノノゾミが、こういい出しました。

「このままじゃ駄目だ。これからは昼の1時に集まって、ちゃんと稽古をしてちゃんとした舞台をやろう」

このひと言で、男性は深夜の肉体労働に精を出し、女性は水商売で日銭を稼ぎながら、どうにか食いぶちを確保して私たちはお芝居を続けました。

肩ひじを張らずに自然体で楽しみながらお芝居ができています

そのうち、マキノノゾミとの結婚が決まったことから、「この人と一緒になるなら、遊び半分ではいけないな」と、お芝居を本気で仕事にしようという意識が私の中に生まれたのです。

私が所属していた「劇団M.O.P.」は、そういう経緯で生まれた集団ですから、いい意味での学生ノリがベースになっているんです。

誰もが楽しく活動を続けていて、途中、ライフステージが変わったことで抜けていった人もいますが、基本、みんながあの頃のままの熱量と情熱でやっている劇団仲間ばかりです。

そうはいっても人気商売ですし、浮草稼業という、とても厳しい世界であるのも事実です。役者というのは、明日から仕事が来なくなれば、そこで終わってしまう職業なんです。それでも肩ひじ張ることなく、自然体で楽しみながら続けてこられたのは、心底お芝居が好きだからなのでしょうね。

たくさんのご縁にも恵まれてきました。今準備している『わが歌ブギウギ―かさシヅ子物語―』という舞台にしても、プロデューサーの方から「主人公の笠置シヅ子さんに似ていますよね。やってみませんか?」と誘ってくれなかったら、こうして稽古に励むこともなかったわけで、ほんとうにありがたいことです。

「お正月の楽しみとして舞台を見に来ていただきたいです(笑)」

ただ、最初にこの作品のオファーをいただいた時は、喜びと不安がない交ぜの、複雑な心境でもあったのです。

それは、すごくうれしいしやりがいも感じている一方で、「ほんとうに私にできるのだろうか?」という不安がつきまとう、これまで感じたことのない、不思議な気持ちでした。それに主演をやらせてもらっても、お客さんが入らなかったらつらいですからね。今回の舞台は、久しぶりにそういう強烈なプレッシャーを感じる作品なんです。

でも、やるからには正月返上でがんばらなければなりません。おそらく元日も舞台のことで頭がいっぱいになっていることでしょう。だからぜひ、この『健康365』をご覧の皆さんにも、お正月の1つの楽しみとして舞台を見に来ていただきたいです(笑)。

舞台に興味を持たれるきっかけはなんでもいいと思います。ストーリーやキャスティングに引かれるとか、単にチラシのデザインが気に入ったとか、なにか少しでも心に引っかかったなら、ぜひ劇場に足を運んでいただきたいですね。大人だけでなくお子さんにも楽しんでいただける、よい舞台に仕上がると思います。

本番を控えた状況ですから、冷え込むこの季節だろうがをひいている場合ではありません。この仕事に限りませんが、やはり体がいちばんの資本です。

私は幸い、これまで大病や大ケガとは無縁でした。そのけつの1つはおそらく、自分の体の様子を慎重に見極めてきたからではないかと思います。

元気と健康の秘訣は自分の体の状態に敏感でいることです

「自分の体の様子を慎重に見極めてきました」

ちょっと弱っているなとか、食欲が落ちているなと感じたら、「念のため、今日はお酒はここまでにしておこう」といった具合に自分をコントロールするんです。

体調に敏感でいることは大切なことです。もし、かすかにでも異変を感じたら、いったん大きく深呼吸をしてみるとか、ささいなことでもいいのですぐになんらかの手を打つべきでしょう。実際、深呼吸を繰り返すうちに、ちょっと体が回復してきたような気持ちになることがよくあります。

食事にしても、自宅にいる時は玄米食を基本にしていますし、お豆腐や発酵食品の納豆など、体にいいものをなるべく食べるように心がけています。

最近は親が高齢なこともあって自宅を離れることが度々あり、その際にはいつもと違って白米を食べなければならない状況があり、そのために体に不調を覚えたこともあります。これは日頃いかに自分の体に合ったものを食べているかを実感させられる瞬間でもありますね。

もちろん、体に合う合わないは人それぞれ。自分の体がなにを欲していて、なにを好むのか、じっくり見極める必要があるでしょう。

睡眠も大切ですよね。なにか心配事があったり、今のように大きな舞台を控えていたりする時期は、どうしても眠りが浅くなりがちですが、できるだけ良質の睡眠をとるために、就寝前の〝助走〟を私は重視しています。

例えば、いきなり電気を消すのではなく、少しゆっくりした時間を持って、お茶を飲んで気持ちをほぐしてからとんに入るとか、寝る直前はスマートフォンの画面を見ないようにするとか、そのくらいのことでいいのだと思います。

あとは、いかに生活に「ハリ」を持たせられるかが、元気と健康の秘訣ではないでしょうか。私と同世代の人の中にも、いわゆる〝推し〟がいる人はやはり楽しそうですし、元気いっぱいに見えます。役者でも歌手でも、〝この人が好き!〟という強い感情が持てると生活にハリが出ますよね。

年齢を重ねると、どうしても体のあちこちにガタが来ますし、あちこち痛むところもあるでしょう。でも、そういう痛みを一時的にでも忘れられるくらい没頭できるものを、ぜひ皆さんも探してみてください。

キムラ緑子さんからのお知らせ

わが歌ブギウギ – 笠置シヅ子物語 – 

●作  小野田 勇
●補綴・演出 齋藤雅文
●出演 キムラ緑子、林 翔太、惣田紗莉渚、賀集利樹、曽我廼家寛太郎、一色采子、桜花昇ぼる、松村雄基
●製作 松竹株式会社
●日程・場所 東京公演 2026年1月2日(金)〜20日(火)
       三越劇場(東京都中央区日本橋)
       京都公演 2026年1月24日(土)〜2月1日(日)
       南座(京都市東山区四条大橋東詰)
●問い合わせ先 チケットホン松竹 ☎0570-000-489(10:00〜17:00)

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