出会いは大学時代でマジックサークルからプロのマジシャンになる
パルト小石(以下、小石) もともと専修大学のマジックサークルの同期なんですよ。だから、僕らは今年で芸歴42年目ということになっているけど、ほんとうは46年目になる。
ボナ植木(以下、植木) そう、大学4年間を踏まえるとね。
小石 つまり、まだ学生時代の部活がそのまま続いているともいえるよ。
植木 確かに。気持ち的には2人ともいまだに学生気分が抜けていないからね(笑)。
植木 僕は完全に父の影響ですね。余興レベルではあったけどマジックが大好きな人で、家にその手の道具がたくさんありました。
小石 うちは強いていえば、祖父がちょっと不思議なお小遣いの渡し方をする人だったんですよ。「手を広げて、よく見ててごらん」といわれ、自分の手のひらをじっと見ていると、上から100円玉が降ってくるんですよ。まあ、頭の上に載せているコインを、ただ落としているだけなんですけど。
植木 それ、いいネタだなあ。次の舞台で使えるかも……。
小石 僕は正直、そこまでの思いがあったわけではなくて。単にテニスサークルとかありきたりなのが嫌で、変わったサークルはないかと探していたんです。マジックサークルはその意味でちょうどよかった。
植木 ただ、割とちゃんとした組織で、本来の目的はマジックの研究ではなく、ボランティアなんですよ。老人ホームへ慰問に行ってマジックショーを披露するのが活動のメイン。もっとも、そういうりっぱなお題目がなければ、認可されなかったということなんでしょうけど。
小石 コンビではなかったんですけど、当時から植木は腕がいいのでどんどん前面に出てマジックをやっていて、僕は「おまえは司会をやれ」と先輩にいわれることが多かったですね。
植木 僕は大学時代からもう、プロになると決めていました。
小石 僕は彼がそういっているのを横で聞いていて、「へえ、そうなんだ」くらいに思っていて。卒業後はいったん就職して、営業マンになりました。
小石 訪問販売をやっていたのですが、これがけっこう過酷な仕事で、すぐに行かなくなっちゃいました。ちょうどそんなタイミングで植木から連絡があり、「アシスタントをやってくれないか」という。これが2人でやりはじめたきっかけでした。
植木 当時のマジックショーは、男性マジシャンの横にバニーガールのかっこうをした女性アシスタントが立つのが定番だったのですが、いい人が見つけられなくて。そこで、マジックのことをよく理解していて弁の立つヤツってことで、小石に声をかけたんです。それからずっとこうして2人でやっています。
「価齢」という齢を重ねることで生まれる価値を大切にしていきたい
植木 僕はお酒が好きで毎晩飲みますけど、ステージの前日は少し量を控えます。あとはどうしても腱鞘炎になりがちなので、腕や指先のストレッチを風呂上がりにやるくらい。その他は特別なことはしていませんけど、幸いにしてこれまで舞台に穴を開けたことは1度もないですね。
小石 僕は過去に1度だけ、手の小指を骨折したことがありました。でも、僕の場合はマイクさえ持てればいいので問題はなかったです。これがマジックをやるほうだと、指に絆創膏を貼っているだけでも、「そこに仕掛けがあるのでは?」と疑われてしまうので大変なんですよ。
植木 そうそう。だから、僕はふだんから、ちょっとした刃物を触るときは、絶対に防刃手袋をはめるようにしています。
小石 ただ、この仕事が肉体労働であることは、日々身に染みて感じています。加齢には逆らえませんから。なるべくタクシーを使わず、たくさん歩くことだけはいつも心がけていますね。
植木 タクシーを使うのは、べろべろに酔っ払ってしまったときくらいだよね(笑)。
小石 やはり、笑っているからじゃないですか。笑うと免疫機能が高まることは科学的にも実証されていますし。それに、驚いたり好奇心を持ったりすることで、脳の劣化を抑えられると僕は信じているんです。その意味では我々のショーを見に来てもらえれば、みんな元気になれるんじゃないですかね?
植木 僕はマジシャン仲間に向けて、『価齢なるマジシャンの秘密ノート』という冊子を作っているんです。「加齢」ではなく「価齢」。つまり齢を重ねることで価値が生まれるから、楽しく生きようよというメッセージをこめています。加齢は避けられませんが、それによって生まれるものもあるということを、皆さんにも意識してほしいですね。