中村医院院長 中村 宏臣
音楽には人を癒し、励ます力があることを実感しています
振り返ってみると、私は幼少時から歌うことが大好きでした。物心がついたときには歌を口ずさんでいたそうですから、生来の音楽好きなのかもしれません。教育熱心だった親の方針でバイオリンを習っていたので、成長とともに自然と音感が身についたようです。
プチ自慢になりますが、小学生のときは音楽の先生から、「中村君はクラスの中で歌がいちばん上手ですね」と、いつも褒められていました。東京の武蔵中学・高校に通っていたときは、バンドクラブに所属してボーカルを担当。記念祭や文化祭ではライブを開いて熱唱していました。その後はロックやジャズ、フォーク、ニューミュージック、クラシックから演歌に至るまで、さまざまなジャンルの音楽を楽しんで現在に至っています。
私が院長を務める中村医院は、兵庫県神戸市にあります。「東京生まれの先生が、なぜ神戸で医院を開いたのですか?」と、よく尋ねられます。神戸の街とのご縁は、高校時代にラジオで聴いた、内山田洋とクールファイブの『そして、神戸』という歌がきっかけでした。
ボーカルの前川清さんが歌う、「♪こぉ~べぇ~、泣いてどうなるのか~♪」という独特の曲調は当時、東京で大学受験に失敗した私の心に深く染み入りました。「♪こぉ~べぇ~♪」という音が頭から離れなくなった私は、神戸という街に強く惹かれるようになり、東京から神戸大学医学部を受験しました。合格通知が届いて神戸に住みはじめると、想像以上に魅力的な街であることが分かったんです。神戸の街から離れられなくなった私は、勤務医を経てこの地で開業することにしました。
医師になって40年が経ちました。心臓外科医としてアメリカのハーバード大学に勤務していたときは、多くの外科手術を担当しました。心臓を中心とする胸部の外科手術は時間との闘いです。執刀中は極度の緊張感を伴いますが、生死をさまよう患者さんの命を救うことは、医師として無上の喜びでした。
もちろん、すべての治療を完璧に行うことなどできません。医師として無力感を覚えたときに心を癒し、励ましてくれたのが音楽でした。合唱団に所属していたときは、指揮者に厳しく指導されて落ち込むこともありました。逆に指揮者から、「ドイツ語の発音がいいね」と褒められたときは、心の底から喜びを感じたものです。音楽が持つこの上ない力を、私は身をもって体験しています。
音楽が持つ力を患者さんの医療や健康作りに役立てたい
作詞を始めたのは、いまから10年ほど前、神戸の街で中村医院を開院したときです。当時の私は、ハーバード大学で最先端の医療に携わりながらも、心のどこかで西洋医学の限界を感じていました。ご縁をいただいた神戸の地で地域医療を始めるにあたって考えたのが「音楽の力を医療に生かす」ことでした。自分自身が音楽によって救われ、励まされてきた経験を、大好きな街の地域医療に活かしたいと思ったのです。
私が好きな詩人の一人に、ドイツのライナー・マリア・リルケがいます。「生と死」をテーマにした作家でもあるリルケは、「生きることと死ぬことは同じ次元にある」という言葉を残しています。生と死を考えることは、医師の私にとっても大きなテーマです。現在、多くの患者さんは自宅でなく、病院の中で人生最期のときを迎えています。勤務をしていたハーバード大学をはじめ、病院の中で看取られる患者さんの姿を見るたびに、「患者さんは自宅でご家族とともに最後を迎えたかったのではないか」「ご自身で死を見つめられたのだろうか」と、自問自答するようになりました。
どんなに考えても納得できる答えは出てきません。そこで私は、生と死をテーマに歌詞を作ってみようと思いました。
最初に作ったのが、『いのちの響~自然のうつろいと共に~』という歌詞です。一部をご紹介します。
岩をもくだく荒い波
今日はきらめく群青に
そんな時 人は自然のうつろいを感じる
ごらん あの海 あの空を
僕らの命をたたえているよ
もしかして もしかして
憎しみと愛することは
同じことなのかも知れない
ああ人生は 限りあるものだから
今こそ輝け 今こそ響け
もしかして もしかして
生きることと死ぬことは同じことなのかもしれない
ああ人生は限りあるものだから
今こそ輝け 今こそ響け
一度しかない人生だからこそ、悔いなく生きて欲しい——。この歌詞にはそんな思いを込めています。
私にとって三つめの作詞となる『オクトパス(たこ)音頭』は血圧がテーマです。
私は勤務医時代、多くの心臓外科手術に携わりました。手術によって患者さんの止まっていた心臓の鼓動が戻り、血圧が上がりはじめると、心から安堵したものでした。血圧がゼロの状態は死を意味し、血圧が高くなりはじめると、死から徐々に遠ざかっていきます。ゆえに、私たち人間は、数値に対して敏感すぎます。血圧が少しでも変化すると不安になり、血圧計の前に座りっぱなしになる人もいるほどです。数値の変化を気にしすぎてうつ状態になり、本当に病気になってしまうことさえあります。
患者さんはもちろん、医師も数値に振り回される日々に憂いを感じていたあるとき、「タコ」の映像を見る機会がありました。海底で優雅に泳ぐタコの姿に、私は大いに惹かれました。数字に振り回されることなく、伸び伸びと生きるタコの気持ちになって作ったのが、この歌詞です。
中村先生教えてよ
私の血圧なんぼですか
サルトル先生わかりますか
どうして数値をつけたがる
海の底には幸せ一杯
歌もあればダンスもある
だからドクターいりません
病気なんかみんなでふっとばせ
タコといえば、イギリスの伝説的なバンド「ビートルズ」のメンバーとして知られるリンゴ・スターにもこんな逸話があります。
彼がイタリアのセルデーニャという街で休暇を取っていたときの話です。昼食でフィッシュ&チップスを注文すると、魚の代わりにイカとタコが出てきたそうです。その後、喜劇俳優のピーター・セラーズから「タコは美しい石やガラスを探して、自分たちのすみかに飾る習性がある」という話を聞いたリンゴ・スターは、タコの生態に高い関心を持ったそうです。そんな彼が作詞と作曲を手掛けて大ヒットとなったのが『オクトパス・ガーデン』。世界中の人から愛されたビートルズも人間。メンバー同士の不仲もあれば、 ストレスもある。海底でマイペースに暮らすタコになりたいという、スターならではの思いが込められているのかもしれません。
医師仲間とバンドを組んでコンサートを開催しています
私は毎年、医師仲間といっしょに公民館などでライブコンサートを開いています。ライブには患者さんを含む400人以上の方が来てくださいます。ライブを重ねるたびに、音楽が持つ力を健康作りに活かしたいという気持ちが強くなっています。
ライブでは、自分が作詞した曲はもちろんのこと、沢田研二さんの『勝手にしやがれ』、ジョン・レノンの『イマジン』、神戸とご縁をいただくきっかけとなった内山田洋とクールファイブさんの『そして、神戸』など、10曲ほどを歌います。メンバー全員がアロハシャツを着て南国ムードを演出したり、かつての沢田研二さんのようにステージから帽子を飛ばしたりと、お客さんに楽しんでいただくためのパフォーマンスにもこだわっています。
私はこれまで、五つの曲の作詞をしました。私の歌詞に歌をつけたCDは、医院にも置いています。
これからも医師という立場から生まれる歌詞を届けながら、一人でも多くの方の健康作りに役立ちたいと思っています。日々の思いを過去のヒット曲と結びつけて発信しているブログにもぜひお越しください。
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