高田 貴美枝さん
がんと診断された後はショックのあまり、どう帰宅したのかも覚えていません
がんと診断されたときのショックは、とても言葉ではいい表すことができません。もし、一人でがんと向き合っていたら、つらい現実に負けてしまっていたと思います。
でも、幸いにも、私はがんを患ったことで、たくさんの人たちと出会うことができました。そうした人たちの言葉や存在が、私の生きる力となっています。
がんを最初に身近に感じたのは、父のがんでした。父は私が高校生のときに肝がんを患い、入退院を繰り返していたんです。私が20歳のとき、父は56歳で亡くなりました。数年前には、胃がんだった母が84歳で亡くなっていることもあり、「自分もいつかはがんになるかもしれない」という不安がありました。でも、私はカゼすらめったに引かないほどの健康体でしたし、がんになるとしても、ずっと先のことだと思っていました。
私は、父の病気を通して看護師さんの仕事ぶりを見るうちに、「自分も看護師になりたい」と思うようになりました。高校卒業後は看護専門学校へ進み、21歳で看護師の資格を取得して大学病院に就職しました。結婚と出産を機に仕事を離れ、30代半ばから復職。看護学校で教員として、20数年間にわたり勤務しました。
50代前半のこと、私は仕事中に、しばしばおなかが張るような不快感を覚えるようになっていました。けれど、大したことではないと思っていたのです。毎年の健康診断でも異常を指摘されたことはありませんでしたし、家に帰る頃には治まることが多かったからです。
でも、それは間違いでした。おなかの不調がひどくなった2017年3月7日の朝、排便の後、トイレットペーパーに血がついたことで、少量の出血をしていることに気づきます。翌週に不安を抱えながら受けた健康診断では、便潜血検査は陰性という結果でした。両親ともにがんで他界していることもあり、健診の結果だけでは心から安心できず、近くの病院で大腸の内視鏡検査を受けました。すると、検査の途中で先生が「がんがありますね」とサラッとおっしゃったんです。
私は上行結腸がんでした。あまりの衝撃に、その後のことは、記憶があいまいになっています。どうやって帰宅したのかさえ覚えていません。
早く手術を受けられる病院を家族が探してくれたおかげで、翌月に、がんの専門病院で手術を受けることができました。腹腔鏡手術で傷口は小さかったのですが、全身麻酔の影響なのか、術後にひどい吐き気に襲われたのはつらかったです。
手術後に行われた検査の結果、Ⅲb期であることが判明し、3週間ごとに点滴と内服薬による抗がん剤治療を8回受けることになりました。治療は前向きにと思っていたのですが、1回目の抗がん剤治療を始めてすぐに、ひどい吐き気と重度の倦怠感、下痢に見舞われました。布団から起き上がることができず、寝たきりの生活が1週間近く続いたことに耐えられなかった私は、抗がん剤治療をやめてしまいました。
抗がん剤治療は断念しましたが、再発や転移はなんとしても避けたいという気持ちから、がんに関するいろいろな本を読みました。ヨガや気功を習ったり、有機野菜を取り寄せて生野菜ジュースを作って飲んだりと、がんに効果がありそうなことを次々と試していました。
けれど、再発や転移の不安は日に日に強まっていきました。それだけでなく、大腸がんが見つかってすぐに休職したため、家に一人でいる時間が長く、大きな孤独も感じていたのです。
同じ病気の人と話すことで、「私は一人じゃない」と安心感を覚えることができました
このままではいけないと思ってインターネットで探したのが、患者会の情報でした。そして、6月に認定NPO法人がんサポートコミュニティー(以下、がんサポと略す)に参加することにしました。さまざまな活動がある中で、まずはがんの部位ごとに集まってお話をするサポートグループに入りました。
サポートグループの出席者は全員、大腸がんを患っています。同じ病気の人たちとお話することで、「私は一人じゃない」と安心感を覚えることができました。グループの中には再発して抗がん剤治療を受けている人もいらっしゃいますが、皆さん元気と気力に満ちており、その姿を見るだけで励まされました。
おかげで前向きな気持ちで毎日を過ごすことができていたのですが、2017年11月に腹膜への転移が見つかって余命2年と告げられました。ショックでしたが、いまから思えば、この余命告知が私の気持ちを変えるきっかけだったと思います。
前回と同じ抗がん剤を使うということで、「またひどい副作用が出るかもしれない」と不安に思っていたのですが、不思議なことに大きな副作用はなく、順調に抗がん剤治療を続けられました。
現在の私は、がんサポへ出かける元気や気力があるだけでなく、転移後からはさらに、がんサポ内の再発転移のサポートグループにも参加できています。暗い気持ちの人が多いと思われがちですが、皆さんとても明るいんです。「限られた命なんだから、楽しまなきゃ」とおっしゃっていて、やりたいことに前向きに取り組んでいらっしゃいます。
再発転移のサポートグループの中に、がん患者が歌う合唱団「いきのちから」に入っている方がいらっしゃいました。音楽を聴くのは好きだったものの、歌うことは苦手だったのですが、「いきのちから」の話を聞いて、入団することにしました。
合唱団の練習は、月に2回、13時半から16時までです。のびのび歌っているおかげで、練習の後はとても心地よくなります。また、一時期やっていたヨガの先生に「いまがいちばん大事」と繰り返し教わったことで、心の持ち方がいいほうへと変わったことも感謝しています。
がんサポで受けたビューティーケアセミナーも、私にとって大きな存在です。抗がん剤治療でできた顔のシミは、普通のお化粧ではなかなか隠せないのですが、きれいにカバーする方法を教えていただき、堂々と外に出られるようになりました。
医師から「2年」と余命を告げられた2年後に、ライブハウスで音楽を楽しみました
2019年1月から、私は趣味としてウクレレを習いはじめました。その3ヵ月後、息子が沖縄県の宮古島で結婚式を挙げることになっていたので、「お祝いとして、宮古島の海辺でウクレレでも弾こうかしら」と思ったからです。
実は、私は以前からあるギタリストのファンだったんです。ライブハウスで演奏を聴いたのがきっかけでした。そのギタリストがウクレレやギターの教室を開いていると知って、「教わりたい」と思ったのですが、なかなかその勇気が出ませんでした。
でも、余命があと1年と迫ったとき、思い切って門戸をたたくことにしたんです。教室で根気強く教えていただいたおかげで、なんとか息子の結婚式でウクレレを弾くことができました。いまは月に2回、ウクレレとアコースティックギターを教わっています。
がんサポの活動や新しい趣味で充実した生活を送っていた2019年6月、卵巣への転移が判明。2回目の抗がん剤治療をやめて半年後のことです。がん専門病院で両方の卵巣を摘出する手術を受けました。
手術後から現在まで、県内のがん専門病院で前回と同じ抗がん剤治療を受けています。手術を受けた7月は、お話会や合唱団、楽器のレッスンなどを休まざるをえなかったのですが、8月からは再開することができました。
2年と告げられた余命の時期はとっくに過ぎている私ですが、とても元気にしています。腫瘍マーカーのCEA(基準値は5.0以下)は1年以上、2~3.0で安定しています。
あの告知からちょうど2年後に当たる2019年11月、私は東京のお台場にあるライブハウスにいたんですよ。3時間は立ち通しで、かなり体力を使いましたが、とても楽しく過ごしました。2年前の私なら、とても想像できないことです。未来というのは分からないものだとつくづく実感しています。
がんと診断されて将来が見えなかった当時と異なり、いまはたくさんの人と出会えたことで、前を向いて生きることができています。もちろん、家庭を持ってからも私のことを気遣ってくれる息子夫婦と、3週間ごとの検査と抗がん剤治療の日には有給休暇を取って必ず付き添ってくれる夫の支えにも感謝しています。
いままでは仕事中心の生活を送っていた私ですが、がんを患ったことで別の世界が開けました。これからも、自分にできる活動に精いっぱい、取り組んでいきたいと思っています。