パーツモデル 金子 エミさん
来店したお客さんに手を褒められてパーツモデルを目指しました

いまでこそパーツモデルとして多くの仕事をさせていただいていますが、子どもの頃の夢は体操選手になることでした。小学生のときに器械体操を習いはじめ、「いつかオリンピックに出たい!」と、毎日レッスンに励んでいました。私の実家は東京都目黒区にありますが、中学校はレッスン教室に通いやすい、世田谷区の学校に越境入学したほどでした。
ところが、両親の離婚をきっかけに生活環境が一変。練習に身が入らなくなり、大会での成績が落ちてやる気がなくなるという悪循環に陥りました。遊びたい盛りだったこともあり、結局、体操は中学生のときにやめてしまったんです。
その後、エアロビクスのインストラクターになりたいと思うようになった私は、高校卒業後に家業のクリーニング店を手伝いながら、専門学校に通っていました。実家のすぐ近くには大手芸能事務所があったので、スタッフの人がタレントさんの衣装をクリーニングに出しに来ることがしばしばありました。
あるとき、店に来られた芸能事務所の人が、私を見ながらおもむろに「きれいですね」といったんです。「もしかしたらスカウトされているのかしら……」と色めき立ちましたが、すぐに続けて、「手がきれいですよ」といわれました。
褒められたのが手だけと分かってちょっとがっかりしましたが、きれいといわれるのはうれしいものです。体育会系気質の私はもともと化粧っ気がなく、ハンドクリームを塗ったこともほとんどなかったので、手を褒められたのは意外でした。その後、手や脚、髪といった体の一部分をテレビや雑誌で見せる〝パーツモデル〟という職業があることを知った私は、「パーツモデルならほんとうになれるかもしれない」と、モデル事務所に応募するようになりました。
しかし、最初は門前払いで、まるで相手にしてもらえません。それもそのはず、当時の私は日焼け対策もまったくせず、指輪を外すとリング状の形のまま肌の色が違うありさまでした。これではプロのパーツモデルとして採用されるはずがないですよね。
庶民的な手だからこそ売れっ子パーツモデルになることができました
それでも、手のスキンケアを毎日しながら何度も応募しつづけるうちに、「そんなにやりたいなら……」と受け入れてくれる事務所が見つかり、パーツモデルとして仕事をするようになりました。21歳のときです。
パーツモデルの仕事を始めてみると、器械体操に打ち込んだ経験が生きることが分かりました。全身を使って表現する器械体操に比べて、パーツモデルは手だけ見られます。表現を手に集中させる仕事にやりがいを感じるようになりました。
また、いわゆる〝白魚のような手〟にはほど遠い、庶民的な私の手は、一般の方が使われる日用品の宣伝にはむしろ好ましかったようです。さまざまなジャンルのCMに起用された私は、CMや雑誌を見ている人に伝わりやすい撮られ方の勘どころが少しずつ分かるようになりました。
一方で、パーツモデルならではの難しさもあります。テレビのCMは、画面の中で1㍉のズレも許されない緻密な世界。例えば、パンをおいしそうにちぎって見せたり、ヘアムースを手のひらにふんわりと乗せたりするシーンでは、スタッフ全員が納得できるまで何度も撮り直します。まだデジタルではなくフィルムを使っていた時代は、撮り直すたびに製作費が増えてしまうので、とても神経を遣っていました。
手のパーツモデルにとって、手荒れやささくれは大敵なので、日々の保湿や保水は欠かせません。よく、「スキンケアにどのくらい時間をかけているんですか?」と尋ねられますが、「常にケアしているので自分でもよく分からない」というのが正直な答えです。私はプロのパーツモデルとして常に手を見ています。乾燥など、気になることがあればすぐにケアをします。一日中、ずっと手のことを考えているといってもいいくらいなんです。
人気パーツモデルとして多くのお仕事をいただいていた私が、左手の小指に突然痛みを感じたのは、いまから2年前のことでした。
最初は「スマートフォンを持つときに負担がかかっているのかな」と、さほど気に留めていなかったのですが、時間とともに痛みはどんどんひどくなりました。やがてほかの指にも痛みを感じるようになり、ちょっとぶつけただけで激痛が走るほどになってしまったんです。
そのとき私は、近所のコンビニエンスストアでレジの仕事をしている年輩女性のことを思い出しました。彼女は手の指の何本かがひどく変形していて、おつりを受け取るたびに「いったいどうしたんだろう?」と気になっていたからです。
彼女の変形した指を思い出しながら、「もしかすると、自分も同じ指になってしまうかもしれない。そうなればもう、パーツモデルの仕事を続けることはできない」と思いました。
大きな不安を感じた私は、すぐに整形外科へ駆け込みました。しかし、レントゲンを撮っても特に異常は見つからず、医師も「加齢によるものでしょう」とあまり深刻に受け止めてくれませんでした。納得できなかった私は、コンビニエンスストアに行って、レジ係の女性に直接話を聞いてみることにしました。すると、彼女は私にこういったのです。
「指の関節が曲がる前はひどく痛んだけど、いまはもう何も感じないわね」
彼女の言葉を聞いて「やはり自分の指も同じ症状だ」と確信した私は、つてをたどって専門の医師に診てもらうことにしました。診断の結果は、指関節症の「ヘバーデン結節」。医師からは「このまま進行すれば、5年ほどで指が曲がってしまうだろう」といわれました。
突然のヘバーデン結節を完治させることが新たな目標になっています
医師から、へバーデン結節はまだ治療法が確立されていない病気といわれたときは目の前が真っ暗になり、「なぜ私が……」と涙が止まりませんでした。しかも、へバーデン結節でいったん曲がってしまった指は元に戻らないそうです。パーツモデルにとって指の変形は絶対に避けたいことです。
そこで私は、へバーデン結節の進行を止めるために情報を探すようになりました。大豆イソフラボンの成分が効果的と聞いてからは、処方薬のほかに、毎日欠かさず豆腐や豆乳、納豆などの大豆食品をワラにもすがる思いでとるようにしました。食材を持ち歩けないときは健康食品を持参するなど、大豆イソフラボンをとりつづけたんです。
すると、3ヵ月後くらいから、痛みが和らぎはじめたんです。どこかにぶつけても以前ほどの激痛を感じることはなく、ペットボトルのキャップもらくに開けられるようになりました。毎日とっている大豆食品のおかげなのか、2年たった現在も、指の変形は見られていません。
痛みが和らいでからは、前向きな気持ちでヘバーデン結節と向き合えるようになりました。パーツモデルや美容家であり、患者でもある私が、ヘバーデン結節を完治させることができたら、同じ症状に悩む多くの女性の希望になれるはずです。
私はパーツモデルの仕事を末永く続けていくつもりです。だからこそ、いつまでも美しい手を維持しなければなりません。へバーデン結節の完治を目指すことは、私にとっての新しい挑戦です。従来の治療法や常識にこだわることなく、あらゆる手法を試していきたいと思っています。