初期の子宮体がんなのに卵巣とリンパ節を切除することになり寂しくてたまりませんでした
「あなたの写真、想いがこもっていますね。元気をいただきました」「あなたの演奏には魂が宿っています」
最近、相次いでうれしいお褒めの言葉をいただきました。写真の撮影は風景を中心に2014年くらいから本格的に始めています。演奏を褒められたのは、ハープの発表会でのことです。
私はいま、とても穏やかな日日を過ごしています。私の心の中には、これまで見たことのないような青空が広がり、さわやかな風が吹き渡り、暖かな日の光がさし込んでいます。なんて幸せなのだろう。こんな気持ちになったのは生まれて初めてのことです。その幸福感が、写真撮影やハープの演奏にも投影されているのかもしれません。
よく「がんになって人生が変わった」という話を聞きます。「ああ、その言葉はほんとうだったんだ」と実感しているところです。
子宮体がんが見つかったのは、2017年9月のことです。幸いなことに初期だったので、「手術で取ってしまえばいい」と、のんきに構えていました。
しかし、がんと分かってから手術まで1ヵ月半の間、私の心は思いもよらず揺れ動きました。
まず、検査で落ち込みました。というのは、私は薬剤にとても弱い体質らしく、MRI(磁気共鳴断層撮影装置)検査の前に造影剤の注射を受けるだけで体がだるくなってしまうのです。太りぎみのせいか、注射針が血管にうまく入らず、採血も大変でした。検査を受けるたびに憂うつな気持ちになりました。
さらに、担当の先生から「子宮だけでなく、卵巣と周辺のリンパ節も切除します」といわれたのもショックでした。初期の子宮体がんなのにどうして卵巣やリンパ節まで取るのだろうと疑問を感じた私が先生に理由を尋ねてみると、「あなたのがんは活発に分裂するタイプなので転移の確率が高い。だから、広範囲の手術が必要なのです」といわれました。
先生の説明に納得はできましたが、その頃から心に重くのしかかってくるものがありました。子宮と卵巣を失ってしまうことで、女性としてこの世に生を受けた時間がすべて消え去ってしまうのではないか。そう思うと寂しくてたまらなくなってきました。子どもを産める年齢ではないので、子宮や卵巣を失っても問題ないことは分かっていました。それでも、簡単に割り切れるものではありません。子宮や卵巣に申し訳ないという思いで胸がいっぱいになりました。
私は、29歳のときに一度結婚しましたが、子どもを産む経験はできませんでした。そのことも関係していたと思いますが、「子宮体がんになったのは、自分の生き方が間違っていたからではないだろうか」「違う生き方をしていれば、がんにならなかったかもしれない」と自分を責める日が多くなりました。
もともと楽観的な性格のはずなのに、がんと診断されてからの私はどんどん悲観的になっていきました。このままではいけない。心の中で警報音が鳴り響いていました。その流れを断ち切ってくれたのは、私の周りにいたがんの体験者さんたちでした。卵巣を摘出した人もいる体験者さんたちに、自分の寂しさや不安を正直に打ち明けました。心に秘めた感情を吐き出すことで、私の心は徐々に晴れていきました。体験者の皆さんは口をそろえて「大丈夫だよ」といってくれました。私もあんなふうに元気になりたい、きっとなれるとファイトが出てきました。
疑問や不安を自分の中に押し込めておくと、どんどんマイナスの方向へ引っ張られていきます。インターネットでがんの情報を調べるのもいいですが、それだけでは気持ちが晴れません。がんの患者にとって必要なのは、人と会うことです。信頼できる専門家や体験者に直接会って話を聞き、自分の力にすることが大切だと考えています。
生きていることはあたりまえではなく、心から感謝すべきこと。がんになったから納得できました
周りの人たちに支えられたおかげで、手術の直前には気持ちが落ち着くようになりました。「なるようになる」という覚悟もできていました。
覚悟を決めると、余裕が生まれます。手術の前日、麻酔科医から手術の説明を受けました。先生はマリンスポーツでもやっているのか、肌が浅黒くてものすごくかっこいい人で、ドキドキしながら先生の説明を聞きました。翌日、手術室へ入ったときも、真っ先に先生の姿を探しました。その瞬間、「やっと楽観的な私に戻れた」と思い、うれしくなりました。
手術は七時間ほどかかりました。意識が戻ったときは寒くてたまりませんでした。集中治療室で3日間過ごした後、一般病棟へ移って3週間入院しました。この3週間は痛みがつらくて苦しかったです。薬に弱い体質なので、痛み止めを飲むと気分が悪くなり、しばらくするとまた痛みに襲われる……その繰り返しです。いまを生きることに精いっぱいの毎日で、不安を感じる余裕もありませんでした。喜怒哀楽の感情は余裕があるから生まれるのであって、体がつらいときには、喜びも怒りも痛みや苦しみに呑み込まれ、姿が見えなくなってしまうことが分かりました。
少し余裕が出てきたときに私の頭にぱっと浮かんだことがありました。
「生きているだけでOK!」
この気づきは私を大きく変えてくれました。ベッドの上で、ひたすら生きるための行為を繰り返すことで、私は生きていることの尊さを感じました。いま、こうやって生きているのは、決してあたりまえではなく、とんでもない奇跡なんだと思えてきたのです。がんになる前は、「生きている」ことの上に夢や希望や欲望や楽しみが乗っていました。「生きている」という奇跡には目もくれず、今度はどこへ遊びに行こうか、何を食べようかといったことばかりを考えてきました。でも、いまの私にとってなによりも大切なのは「生きている」ことです。生きていないと何も始まりません。楽しみも喜びもすとんと下へ落っこちてしまいますから。生きていることはあたりまえではなく、感謝すべきことなのだと、心から納得できました。
その後、先生から抗がん剤治療をすすめられましたが、私は断りました。命を大切にするには、抗がん剤治療を受けたほうがいいのかどうか、さんざん迷って出した結論でした。転移のおそれを考えれば抗がん剤治療を受けたほうがいいのかもしれません。しかし、痛み止めでさえ苦しかったのに、もっと強い薬である抗がん剤に耐えられる自信は持てませんでした。自分の命に苦痛を与えるのではなく、命を信じよう。たとえ、がん細胞が体中に散らばっていたとしても、体には免疫力があるから大丈夫。自分にそういい聞かせると、「そのとおり」という声が体の中から聞こえてきた気がしました。
それが正解だったかどうかは分かりませんが、自分自身で納得できる決断でした。後悔することはありません。
写真とハープの演奏に魂をこめて周りの人への感謝の気持ちと自分の想いを伝えつづけます
私が退院すると、今度は父が腹部大動脈瘤の手術を受けることになりました。母は車の運転ができないので、父の病院への送り迎えは私の役割でした。仕事にも復帰し、がんの手術をしたことなど忘れてしまうくらいばたばたと動き回っていました。
父の体調がやっと落ち着いたと思ったとき、『「がん」をのりこえた人が気づく7つのこと』(サンマーク出版)という一冊の本に出合いました。がんを克服した人たちの体験談を読みながら、がんを乗り越えるには気づきやご縁が大切だと感じました。その後、ひょんなことから体験者さんたちとのご縁をいただき、いまでもおつきあいさせていただいています。
写真と音楽への取り組み方もすっかり変わりました。がんを経験してからは、どんな気持ちで写真を撮り、ハープを演奏するかを大切にするようになっています。周りの人たちから「魂がこもっている」といってもらえるのは、いまの私にとって最高の褒め言葉です。
力みがすっかりなくなって、とてもリラックスして生きています。がんになったことで、私の前にはまったく違う世界が広がってきたのです。