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子宮と卵巣の全摘後に挑戦した婚活で最高のパートナーに巡り合うことができました

患者さんインタビュー
山田 亜紀さん

開腹手術から目覚めたとき手術痕の大きさで悪性と分かり何も考えられなくなりました

[やまだ・あき]——東京都生まれ。2012年末に卵巣がんである可能性を指摘され、翌年1月に開腹手術を受ける。手術の結果、ステージICの卵巣明細胞腺がんと判明。現在は東京医療福祉専門学校に通い、鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格取得に向けて勉強に励んでいる。

卵巣がんの疑いがあると分かったのは、2012年末のことでした。当時、私は海外へ移住することに決めて準備を進めていました。子ども時代を香港ホンコンで過ごしたので、あまり不安はありませんでした。

私が海外への移住を決断する決め手となったのは、帰国子女だったからではありません。独身で恋人もいない「おひとりさま」だったからこそ、誰にも気兼ねせず、思い切った決断ができたのです。

ところが、海外移住の準備のために受けた健康診断で「卵巣がんの疑いがあるので精密検査が必要」といわれました。30歳の頃に子宮内膜症しきゅうないまくしょう子宮筋腫しきゅうきんしゅ卵巣嚢腫らんそうのうしゅと診断された私は、治療と経過観察を行い、子宮がん検診も受けていました。でも、卵巣がんは子宮がん検診では見つかりにくく、子宮内膜症から卵巣がんが発生する危険性があるとは知らなかったのです。

私は「精密検査では、細胞を採取してがんの確定診断を行うのだろう」と考えていました。ところが、主治医から「卵巣の腫瘍しゅようが良性か悪性かは、がんの疑いのある卵巣を摘出し、その細胞を採取しないと分からない」といわれて驚きました。主治医の説明によると、卵巣の腫瘍が良性の場合はおへそから下を切って片方の卵巣だけを取り除けばいいのですが、悪性の場合は両方の卵巣と子宮とその周辺のリンパ節を一度に取り除くため、手術痕しゅじゅつこんが大きくなるとのことでした。

何事も他人任せにできない性格の私は、納得がいくまで主治医に疑問をぶつけたり、私の性格を見抜いた主治医からすすめられた医療従事者向けの『卵巣がん治療ガイドライン』や専門書などを読んだりして、病気と治療法について勉強しました。そして、十分に納得したうえで、スッキリとした気持ちで手術を受けることができたのです。

卵巣がんかもしれないと指摘されてから開腹手術を受けるまでの1ヵ月半が、私にとっていちばんつらい時間でした。なにしろ、自分の命に関わる病気が起こっているのかどうかがはっきりしないのです。「がんではないかもしれないのに、不安に駆られて専門病院を探し回ったり、おおげさに取り乱したりするのは恥ずかしい。かといって、がんだったら悠長にしてはいられない」とモヤモヤした気分を抱いて過ごしていました。

2013年1月、私は開腹手術を受けました。麻酔から目覚めて手術痕の大きさを見た瞬間、がんの告知を受ける前にもかかわらず、「悪性だったんだ」と分かりました。海外移住について考える余裕はなくなりました。

手術の1週間後、主治医から、私の卵巣がんは「明細胞腺めいさいぼうせんがん」という種類で、ステージはⅡに近いⅠCと告げられました。転移はなく、がんは手術によって全て取り除かれたということでした。

主治医から、悪性度が高い明細胞腺がんの再発予防として、抗がん剤治療をすすめられました。私は手術を受ける前と同様、抗がん剤治療や最新の治験情報について勉強したり、友人の力を借りて情報収集をしたりして、覚悟を決めて治療に臨みました。

主治医は、私が質問攻めにしただけでなく、覚悟を決めるまでに時間がかかっても、嫌な顔1つせず「治療のための人生ではなく、人生のための治療」と親身に応えてくれました。信頼でき、尊敬できる主治医に出会えたことに、私は心から感謝しています。

幸いなことに、私は治療中に抗がん剤の副作用で苦しむことはほとんどありませんでした。髪の毛が抜けてしまったときも、ウィッグで前向きにおしゃれを楽しむことにしたのです。

とはいえ、抗がん剤治療の回数を重ねるにつれて白血球の数が低下し、体に負担を感じるようになっていきました。「予防のための治療なのに、消耗が激しいのは本末転倒」と思った私は、主治医に相談して6回の予定だった治療を4回で終えることにしました。こうして私の卵巣がんの治療は、1つの節目を迎えることができたのです。

女性としての自信を取り戻すきっかけとなったのは婚活アプリへの登録でした

治療後の経過は良好でしたが、子宮と卵巣を失ったという事実が、しだいに重くのしかかってきました。私はもう、どんなに強く望んでも、子どもを授かることができなくなってしまったのです。

卵巣がんが疑われる前、私は結婚や出産をそれほど強く望んでいませんでした。それなのに、ふとした拍子に訳もなく涙がこぼれてくるのです。

友人たちは「子どもを必要としない男性もいるよ」と口々に励ましてくれました。それでも「出産ができないことがあらかじめ分かっている女性と結婚したいと思う男性が、実際にいるのだろうか」という私の疑いは晴れませんでした。

私は半ば挑戦的な気持ちで、インターネット上で結婚相手を探すための「婚活アプリ」に登録してみることにしました。自己紹介欄には、「病気で子どもを授かることができなくなりました」と正直に書きました。その結果、予想をはるかに上回るほど多くの男性から反響があったのです。驚くと同時に、自信を取り戻すきっかけをもらえたことをありがたく感じました。

婚活アプリを通じて交際を申し込んでくれた男性の中の1人が、私の夫です。夫は大学生のときにじん移植の手術を受けました。社会人になって医師を志し、39歳で医学部に入学。医師免許を取得し、いまは腎臓専門医として働いています。

私が夫を生涯のパートナーとしたのは、私と同じように命に関わるやまいを乗り越えたことや、みずからの病をきっかけに医学に興味を持つようになったことに心から共感できたからです。挑戦を恐れず、夢をかなえるために努力を重ねてきた夫の姿勢にかれました。夫となら楽しいことだけでなく、苦しいことや悲しいことすべてを分かち合えます。「私にはこの人しかいない」と確信し、結婚を決めました。

「結婚式(左)や旅行(右)はもちろん、ともに過ごすことできずなを深め合ってきた山田さんご夫婦

幸せな結婚でしたが、夫に対する愛情が深まるにつれて「夫との子どもを授かりたい」という切実な思いがこみあげてくるようになりました。「手術の際に子宮と両卵巣を全摘したのは正しかったのか」「卵子を凍結保存するという選択はできなかったのか」などと思い悩むようになったのです。

夫に悩みを打ち明けると、「子どもがほしくて結婚したわけではない。私たちには一生懸命取り組みたいことがあるでしょう。それを大切にしよう」といってくれました。夫の言葉を聞いて、私は気持ちを切り替えることができました。いまは「子どもがいることこそが幸せ」といった固定観念にとらわれず、自分なりの方法で幸せを追求したいと思っています。

大切な人との別れを経験しみずから医療に携わりたいと鍼灸師になるために猛勉強中

1つだけどうしても心残りでならないのは、父の死にまつわる出来事です。私が抗がん剤治療を終えてから半年後の2013年12月、今度は父がステージⅣの肺がんであることが判明しました。

当時、私は実家から少し離れたところに住んでいました。また、医療機関の法務の仕事という念願の職に就いたばかりだったので、父ががんと判明してもなかなか会いに行けませんでした。

ようやく頻繁に父に会えるように手はずを整えられたのは、年が明けてからでした。数日前から入院した父は元気そうで、皆でたわいもない話をして過ごしました。ところが30分後、父の容体は急変し、意識が戻らないまま翌朝急逝しました。「これから父との思い出をたくさん作ろう」と母と話していたやさきの突然の別れでした。

父が亡くなって、もうすぐ7年がたちます。私はいまでも父の夢を見ます。父のことを思い出すたびに「検査を受けるように強くすすめたらよかった」「もっと頻繁に訪ねておけばよかった」という後悔の念が、涙とともにあふれてくるのです。

「鍼灸師になって患者さんとご家族の心と身体を癒やしたい」と話す山田さんは、国家資格の取得に向けて勉強に励んでいる

父の死を経験してから、私は医療機関の法務の仕事ではなく、患者さんやご家族に寄り添える現場にみずから携わりたいと考えるようになりました。初めは医師を検討しましたが、「夫が西洋医学を修得したので、私は東洋医学を修得しよう」と決意。2017年4月から、専門学校に通いはじめました。鍼灸師しんきゅうしとなって、病院では対応できない患者さんとご家族の心と身体の両方をやすために、国家資格の取得に向けて勉強に励んでいます。夫は、そんな私を応援してくれています。

私はたとえ病気や困難にぶつかっても、意味のある人生を送るために、自分のできることやしたいことに挑戦しつづけることが大切なのだと実感しました。最高のパートナーである夫と2人3脚で、これからも自分らしく生きていこうと決めています。