安全薬局 薬剤師 幡本 圭左さん
2022年に「世界最高齢の薬剤師」としてギネス記録に認定された幡本圭左さん。102歳を迎えた現在も、以前と変わらずに薬局を訪れる患者さんたちと向き合いつづけています。70年以上、薬剤師として現役を貫く幡本さんに、今思っていることを伺いました。
忙しい父と優しい母、しつけに厳しい祖父のもとで育ちました
今月の情熱人は、東京都目黒区で「安全薬局」という名前の相談薬局を営む幡本圭左さん。閑静な住宅街にたたずむ幡本さんの薬局は、創業から70年以上の歴史を刻む、地域でも指折りの老舗です。
外観はもちろん、薬局内からも十分な年季を感じさせる理由は、幡本さんご自身の存在にあ
ります。現在、102歳の幡本さんは、「世界最高齢の薬剤師」としてギネス記録に認定されているのです。大正時代に生まれ、激動の昭和時代から平成、そして令和の世を見つづけてきた人生の大先輩に編集部がインタビューをさせていただきました。まず、「世界最高齢の薬剤師」としてギネス記録に認定されたことを、幡本さんご自身はどのように受け止めているのでしょうか?
「もともとギネス記録には、世界最高齢の薬剤師として別の方が認定されていました。ある時、そのニュースを見た孫が『おばあちゃんのほうが年上だよ』と気づいて、ギネス記録に申請したんです。私は孫にいわれるまま、申請に必要な書類を集めて孫に渡しているうちに認定されてしまったという感じです。世界一という称号をいただいてから、周囲が騒がしくなりましたが、私自身の生活は以前とまったく変わらないんですよ」
そう笑顔を見せる幡本さんが薬剤師の資格を取得したのは、太平洋戦争中の1943年のこと。まさに薬剤師の生き字引といえる存在ですが、もともとは小学校の教師を目指していたそうです。
「薬剤師になったのは、父のすすめがあったからです。私の父は燃料関係の事業を手掛けて成功を収めていました。故郷の長野と東京を忙しく往復しながら、私たちをとてもかわいがってくれました」
幡本さんいわく、仕事で忙しかったお父様、ご近所さんから「菩薩様」といわれるほど優しかったというお母様の代わりにしつけが厳しかったのがおじい様だったとのこと。幡本さんが今でもよく覚えているのが、紙芝居屋さんの紙芝居を楽しんで帰宅した際、玄関に下駄を脱ぎっぱなしにして厳しく叱られたことだったといいます。
「幼い頃にしつけられた習慣は、何十年たっても覚えているものです。後年、薬局の会合でホテルに宿泊する機会があった時、夜中にトイレに行くために履いたスリッパがベッドの横できちんとそろえられていたことを、同室の方から褒められたんです。子どもの頃は、『身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり』と、意味も分からずに覚えさせられましたが、大人になると、なんと大切なことなのかと痛感しています。また、孫が生まれてからは、かつての祖父のように、私が孫たちに箸の持ち方や挨拶、背すじを伸ばす姿勢などを教えました。しつけは年月がたってからそのありがたみが分かるものです。社会人になった一人の孫から、『おばあちゃんから教えてもらったことが、社会に出てから役に立っているよ。あの時は注意してくれてありがとう』といわれた時はうれしかったですね」
父のすすめで薬剤師の職を志し時の流れで薬局を開業
ほほ笑みながら当時を振り返る幡本さん。薬剤師の道をすすめたお父様は、どのような方だったのでしょうか?
「父は常々、『お免状があると一生の仕事になる』といっていました。確かに、結婚や出産を機に家庭に入っても、資格があればいつでも仕事を再開できると思いました。もっと大きな理由になったのが父の存在です。事業を手広く展開し、東京にも頻繁に行っていた父のことを、私は『世の中をよく知っている人』と思っていたのでしょう。父のいうことなら間違いないと、助言を素直に受け入れて薬学の道へと進みました。結果的に、父の言葉に間違いはなかったと思います」
薬剤師の道をすすめるお父様の助言を受けて、東京薬学専門学校女子部(現在の東京薬科大学)に進学した幡本さん。薬学の勉強は想像以上に大変だったそうですが、無事に卒業して薬剤師の免許を取得。結婚後は25歳で子宝に恵まれて、仕事からいったん離れる時期があったそうです。
「その後、私は薬局を開いて独立するのですが、開業のきっかけは、主人が信頼していた人にだまされてしまったことです。財産を失って困っていた時に、主人が周囲から『あなたの奥さんは薬剤師なのだから、薬局を開くのがいいんじゃない?』といわれたんです。私が30歳の時でした」
夫婦で再スタートを切る舞台を「安全薬局」と命名した幡本さん。薬学の学問を修めていても薬局の経営は初めてだった幡本さんは、薬局経営をしている先輩に教えを乞い、弟子入りしながら経営の実務を学んだそうです。
その後、知人から漢方の知識を習得することをすすめられた幡本さん。知識を学んでからは、漢方の相談薬局としての強みも仕事に生かせるようになったそうです。
「薬局の開業は不安だらけでしたが、周りの方から助けてもらうことで軌道に乗りました。生活雑貨の販売も、漢方の相談薬局を展開することも私のアイデアではありません。ご縁をいただいた方々に教えていただいたからこそ、生きることができたんです。感謝の気持ちしかありません」
現在も周囲に対する感謝の心を持ちつづけている幡本さん。患者さんのみならず、現役の薬剤師として自分自身へのポリシーも、常に一貫して持ちつづけていると話します。
「安全薬局は相談薬局なので、1人ひとりの患者さんたちとの時間を大切にしています。初めて来られる患者さんには、1~2時間かけて体調をお伺いし、体質改善を図る漢方薬を調合します。患者さんによっては『病院の治療をやめたい』と相談される方もいらっしゃいますが、病院での治療をおろそかにせず、治療と併用して漢方薬を使うことで体質改善を図ってくださいと伝えています。私自身は、人様に健康を指導する立場でヨロヨロしていては申し訳ないと、毎朝起きた時に、ベッドの上で自分流の体操を約10分間行っています。そのほかには、20段の階段を上り下りすることを1日2~3回実践しています」
世界最高齢の薬剤師としてギネス記録に認定されてから、全国からの問い合わせが増えるようになったと話す幡本さん。なんでも治してしまうスーパーウーマンと誤解されるのが困りものとのことですが、「これも世界一という称号の重みならでは」と、ご自身を納得させているそうです。
「神様・仏様・まわりの皆々様」に感謝しながら変わらずに過ごしています
「私は特定の宗教を信じていませんが、私にとっての人生は、『神様・仏様・まわりの皆々様』といえるほど、出会った人や知り合った人たちからの助け舟によって、今日まで生き抜くことができました。これは私の勝手な考えですが、私は生まれてくる前に、たくさんの仕事を残したままこちらの世界にやって来たと思っています。この世でやるべき仕事を終えたら、神様から『ご苦労様』といわれて元の世界へと戻れるのかなと。なにかに導かれるまま、残っている仕事をのんびりと片づけていたから、こんなに時間がたってしまったのかもしれせんけどね」
そのように話しながら笑顔を見せる幡本さんは、子・孫・ひ孫合わせて23人の家族に恵まれています。世界最高齢の薬剤師として時の流れにあらがわず、感謝の気持ちを持つことの大切さを体現している方といえるでしょう。
「父にすすめられて薬剤師になったのも、主人がだまされて薬局を始めたのも、時の流れです。感謝の気持ちを忘れず、流れに身をまかせているうちにギネス記録に認定されました。やるべき仕事を終えて元の世界へと戻るまで、これからも変わることなく仕事を続けていきたいと思います。薬局に来られるお客様から『おかげさまで元気になりました』とおっしゃっていただいた時の幸せとうれしさに感謝しつつ、今も毎日店に出ております」