げいほく薬局薬剤師/いとう薬局薬剤師 伊藤 浩一さん
2008年のある冬の日、薬剤師として研鑽を積んでいた伊藤浩一さんに、急な知らせが届きます。「奥様が脳出血で倒れました」と。たいへんな時期を奥様と二人で支え合いながら乗り越えた経験は、伊藤さんの薬剤師としての考え方に大きな影響を与えました。
薬学の分野で高名な二人の恩師の考えに共感して研鑽を積む
広島県の北部に位置する北広島町は、人口が2万人に満たない小さな町です。薬剤師の伊藤浩一さんは、同町北部にある個人経営の薬局・げいほく薬局の三男として生まれました。
「二人の兄はどちらもほかの職業を選びましたが、私は薬剤師の道に進みました。薬剤師をしていた母の助言もありましたが、手に職をつけたいと考えた私にとって、いちばん身近な仕事だったんです」
実家のげいほく薬局で薬剤師としての仕事を始めた伊藤さんは、1年後にお母さまの「薬剤師はどこでも食べていける」という言葉を確かめるべく、沖縄県で働いてみたいと思ったといいます。現地へと向かう前に、伊藤さんの人生を変える大きな運命の出会いが訪れました。
「広島市内で開かれた薬剤師の会合で、後に沖縄で結婚する妻と出会ったんです。私たちはおしどり夫婦だったと思います」
沖縄の薬局で薬剤師として勤務した後は、青森県に妻と一緒に向かった伊藤さん。青森での新婚生活が始まってすぐに、妊活していた奥様が妊娠していることが判明しました。奥様は出産の準備で広島の総合病院に入院することになり、伊藤さんは青森に残って薬剤師としての基礎を学んでいきました。薬剤師として学びを深めていた2008年2月、伊藤さんに大きな困難が降りかかります。
「出産予定日は、真冬の雪深い2月でした。職場に広島の病院から電話がかかってきたんです。心待ちにしていた赤ちゃんが生まれたのだと思いながら電話に出ると、妻が長女の出産直後に脳出血を起こし、倒れたというんです」
財布だけを握りしめて空港へと駆け込んだ伊藤さん。飛行機を降りて大阪から新幹線に乗った時、周りの乗客は革靴で、長靴を履き替えることすら忘れるくらい動揺していたことに気づいたそうです。遠路の青森からようやく病院にたどりつくと、奥様はまだ危険な状態でした。
「脳出血で脳に異常が起こった妻は、『お母さん』という単語しか話せず、周りはなにを伝えたいのか分からない状態でした。最善の治療でなんとか最悪の事態は免れましたが、担当の先生から『奥様は以前から〝もやもや病〟を患っていた』といわれたんです。もやもや病は脳の血管がとても細く、いつ脳出血や脳梗塞が起こるかも分からない、国の難病に指定されている病気です」
奥様の脳出血の再発を防ぐ方法を医師に尋ねても、納得できる答えが得られなかった伊藤さん。退院する時、伊藤さんは奥様と「いつか寿命が来る。でも、1日でも長く元気に生きようね」と互いの気持ちを共有したそうです。
「薬剤の専門家として、薬の力だけでは妻を元気にすることは難しいと悟った私は、薬以外の方法を模索する必要に迫られました。そこで出合ったのが栄養療法でした」
伊藤さんが学んだ栄養療法を実践した奥様は体調に回復が見られ、第一子の長女に続いて長男と次男を出産。栄養療法を通じて奥様の体調を維持・回復させる中で、伊藤さんが注目したのが「粘膜」の存在でした。
「『粘膜が健康状態を表す』という医学の考え方があります。口内の粘膜を適切な状態に保つことが、妻の健康維持に欠かせないと思った私は、口内の炎症を抑える方法を探し求めるようになりました。そこで注目したのが、マグネシウムだったんです」
炎症が起こっている部分には、修復に必要な栄養素のマグネシウムが不足しがちなことから、マグネシウムを補充することが炎症の改善につながると考えた伊藤さん。炎症を起こしている歯ぐきではマグネシウムが不足しやすいうえに補充もされにくいという特性があり、慢性的に不足しやすくなると仮説を立て、マグネシウムの補充方法を模索しました。
「口腔内の炎症に密接に関わる歯周病菌の制御にも、マグネシウムは有効です。慢性炎症を引き起こすことで知られている歯周病菌は、体に害を及ぼすにもかかわらず唾液の持つ免疫作用では除去することが困難です。私は、今は分かっていないだけで、歯周病菌の一部が健康維持に役立つのかもしれないと考えています」
口腔環境のすべてが解明されていない現段階で、殺菌作用ばかり重視することに疑問を覚えた伊藤さん。マグネシウムを一定の濃度以上にすることで、菌を生かしながら〝動きを制限〟できることを発見しました。
「マグネシウムを、口腔内全体に行き渡る方法が必要でした。上あごのすみずみまで成分を届け、一定時間状態を維持するのは困難です。一般の歯磨き粉の多くは、石鹸成分で作る泡でへばりつけています。私は、食べることができる成分で泡を作ろうと考え、たんぱく質成分に注目しました」
母乳に含まれるたんぱく質のラクトフェリンと組み合わせると、上あごまでマグネシウムの成分を広げることができたという伊藤さん。マグネシウムとラクトフェリンの組み合わせを思いついた時も、奥様の存在が隣にありました。
「マグネシウムとラクトフェリンの組み合わせを思いついたのは、インフルエンザの高熱で苦しんだ時でした。うなされながら思いついた配合のアイデアを妻に話して手帳に書き留めてもらったんです」
メモを元に開発した新しいマグネシウム製品の試作品に注目した人物が、東京慈恵会医科大学の横田邦信客員教授でした。マグネシウム研究の第一人者として知られる横田客員教授は、試作品を患者さんに試し、手応えを覚えたそうです。
「マグネシウム製品の開発以外にも、大きな動きがありました。家業であるげいほく薬局近隣の過疎化が進み、調剤薬局として経営が厳しくなってきたんです。2016年に、げいほく薬局の経営を母と妻に任せて、広島市内で新しいコンセプトの薬局を立ち上げたんです」
新しく立ち上げた「いとう薬局」では、45分間という長い時間を取って訪れる人たちの健康相談を行っている伊藤さん。薬局を訪れるのは、病院では改善が難しいひざ・腰の痛みや精神疾患などに苦しんでいる患者さんです。漢方療法や栄養指導だけでなく、姿勢の矯正を目的とした体操のアドバイスなどを組み込んだ独自の視点による伊藤さんの指導は、少しずつ評判を呼んでいます。健康を取り戻した人が発信する口コミの好循環が生まれはじめた時、伊藤さんを悲劇が襲いました。
闘病を支えた経験で地域振興を兼ねた新しい薬局像に挑む
「2020年に、再び起こった脳出血で妻が亡くなりました。もやもや病を患っていた方の闘病記を読みましたが、妻はほかの方と比べて良好な体調を維持していたと思います。でも、事実を受け入れられなかった当時の私は、茫然自失していました」
伊藤さんが、生きる活力を取り戻すきっかけになったのが、横田客員教授からの1本の電話でした。「新しいマグネシウム製品の試作品は、その後製品化されたのですか?」と、5年越しに伊藤さんに連絡がきたのです。その電話がきっかけとなり、伊藤さんは新しいマグネシウム製品に関する実務作業に没頭することで、深い悲しみから逃れられたといいます。
「妻が亡くなった時、いとう薬局も閉めようと思ったのですが、『なんとか続けてほしい』という患者さんの声をいただいたので土曜日だけ続けることにしたんです。いとう薬局の患者さんの存在も大きな支えになりました」
新しいマグネシウム製品の完成後、使用した多くの人から口内炎や歯周病の改善報告が届いているという伊藤さん。伊藤さんが開発したオンリーワンのマグネシウム製品は、医師や歯科医からも注目され、医療現場で使われています。
さらに伊藤さんは、2023年に独自の技術で「米粉パン」を開発。小麦にはアレルギーや腸の炎症を引き起こすとされるグルテンが含まれています。
「次男がアレルギー持ちなので、妻がいつも米粉パンを作っていたんです。妻の代わりに私が作るようになってから、満足できるものを求めて試行錯誤していたら1年がたってしまいました。餅が冷めると硬くなるように、米粉パンも冷めると硬くなってしまいます。私が開発した米粉は、食物繊維を添加することで、冷めてもフカフカして、日数がたってもおいしい米粉パンを作ることができました」
試食会で大きな手応えを得た伊藤さんは、開発した米粉パンを2023年11月に地元にある料亭の彩蔵さんと共同で商品化に成功。伊藤さんは米粉パンを今後さらに普及させ、北広島町産のコメの消費につなげたいと話します。
「北広島町には、多くのコメ農家さんがいます。北広島町の人口を維持することは、げいほく薬局の経営の維持にもつながります。米粉パンを普及させてコメの消費量を増やすことは、市民を健康にするだけでなく、農家さんの支えにもなると思います」
地元愛が深く、「地域を健康に、元気にしていきたい」と話す伊藤さん。その情熱の源泉は、奥様と二人三脚で取り組んだ闘病生活と培った知識にあると話します。薬剤師の範疇にとどまらない活動を展開する伊藤さんは、地域復興を兼ねた新しい薬局像の確立を目指しています。