一般社団法人日本エイジシュート チャレンジ協会理事長 田中 菊雄さん
ゴルフの世界で年齢より少ない数のスコアでプレーすることを「エージシュート」といいます。シニアゴルファーなら誰でも夢見る快挙を1200回以上も達成した田中菊雄さん。前人未到の領域に挑みつづける伝説のゴルファーに情熱の源泉を伺いました。
年間300回にも及ぶプレーでゴルファーの夢・エージシュートを続々達成
今回の情熱人は、一般社団法人日本エイジシュートチャレンジ協会理事長の田中菊雄さん。食品・不動産などの事業を展開する北山グループの会長職を務める田中さんは、年間300回ものゴルフでエージシュートの達成を積み重ねています。
エージシュートとは、年齢以下のスコアで18ホールをラウンドすること。田中さんは、ゴルファーなら一生に一度は達成してみたいと願うスーパープレーを1000回以上達成し、現在まで1291回(2023年11月現在)と記録を更新しつづけています。アマチュアゴルフ界で〝伝説のエージシューター〟と呼ばれる田中さんに、ゴルフに懸ける情熱を伺いました。
「ゴルフを始めたのは35歳の時です。22歳で運送業を起業した私は、運送中に見つけた休耕地の所有者に声をかけて農地をマンションに転換する仕事を始めました。マンションの増加とともに地域には住民や子どもたちが増えて、学校ではPTA会長も任されるなど、地域に根付いて暮らしていました」
マンションのオーナーさんたちとの親睦ゴルフが、プレーヤーとしての始まりだったという田中さん。当時の流儀は、飛距離にこだわる飛ばし屋ゴルファーだったと振り返ります。
「病気知らずだった私にとって転機となったのが、59歳で患った大腸がんです。検査で見つかったポリープを3年間放置していたら、がん化してしまったんです。今でこそがんは治る病気ですが、30年前は、がん=死を連想させる時代です。私はがん家系の生まれで、母親もがんで亡くしています。人生が終わったと覚悟しましたが、紹介されて診察を受けた帝京大学医学部の先生から『任せてください』といわれた時は、うれしさのあまり泣きじゃくりました。お医者さんが任せてほしいといってくださるのなら、まだ生きられる望みがあるかもしれないと思ったんです」
10時間にもわたる手術で大腸を20㌢切除した田中さん。主治医の配慮で腹筋を傷つけない手術方法が取られたことから、手術から1週間後には腹筋運動ができるようになったといいます。
「大腸がんを克服した時に思い出したのが、小学校時代の校長先生が話していた『海から帰った時は、次に出る時を想像して船をつなぎなさい』という言葉です。私の故郷は島根県松江市の漁師町です。漁から戻った時は疲れているので岸にできるだけ近づけて漁船を留めたくなるものですが、干潮時には船が出せなくなります。『岸から少し遠くても、いつでも漁に出られる場所に船を留めなさい』という含蓄のある校長先生の教えを、『病気になってからではなく、元気なうちに信頼できる医師を探しておきなさい』という意味にとらえて噛み締めるようになりました」
78歳で白内障の手術、79歳の時には前立腺がんの手術を経験した田中さん。日常生活における健康のこだわりはなんでしょうか。
「朝食はいつも決まっていて、ご飯にシジミのみそ汁をかけた、いわゆる汁かけご飯です。故郷・島根県の宍道湖産のシジミを取り寄せています。数年前までは、島根県の魚も取り寄せて刺身を周囲に振る舞ったものですが、最近は気候の変化からアニサキスの発生が心配なので控えています」
そのほか、田中さんがこだわっているのが入浴。栃木県那須塩原で湧出している「大鷹の湯」を定期的にタンクで取り寄せて、自宅のお風呂に入れているそうです。
「もう一つ、健康の源になっているのがモンゴル産の黒クコです。過酷な砂漠地帯に自生する黒クコは、生命力の塊といえるスーパーフードです。乾燥させた黒クコをポリポリとつまんだり、粉砕した実のティーバッグを水やお湯で抽出してとったりすると元気が湧いてきます」
海の男が陸で事業に成功。秘訣は「相手の気持ちを考えて行動すること」
アマチュアシニアゴルフ界のレジェンドとしてエージシュートの記録を伸ばしつづける田中さんは、漁師の家に7人きょうだいの5男として生まれました。
「小中学生の頃は、きょうだいで日本海の隠岐まで4時間かけて漁に行っていました。途中にあるいい漁場で漁をすることが多かったです。獲った魚は義理の姉と山間部へ売りに行き、米や野菜と交換しました。手に入れた米を街の中心地で高く売ったのが、私の商人生の原点です」
その後、田中さんは「きょうだいの間で漁場を荒らさないため」に漁業の道を断念。海の男が陸に上がって上京し、運送業を始めたのは22歳の時でした。
「運送業時代は本業だったバルブの運搬から電報まで、なんでも運びました。その後に立ち上げた食品会社は、他社と共同開発したバターやジャム、ドレッシングのミニパック技術が航空会社の機内食に採用されたことで軌道に乗りました」
以後、不動産管理会社も立ち上げた田中さんは、一代で社員400人を超える北山グループを育て上げたのです。
「業種を超えて会社を立ち上げ、事業を成功させたとして評価をいただきますが、最初から玄人はいません。運送屋が食品屋を始め、行き詰まったから打開策を取った結果です。一生懸命やれば必ず次にいけると真剣に取り組みながら、私の人柄をよしとしてくれる人たちとのご縁を大切にしてきました」
出会いと巡り合いを大切にする田中さんは、「相手の気持ちを考えて行動すること」「ご先祖様に恥ずかしくない、まっとうな生き方をすること」を人生観の一つとしています。
「例えば、社員が溺れかかった時に、石を投げられるか、わらしべ一本でもいいから浮くものを投げてもらえるかは、私の生き方で決まります。取引先から、『税金を払うくらいならおたくにあげるよ』といわれる接し方をするのが私の考えです。相手の話をとにかく聞いて、寄り添うこと。話の途中から反論を考えるようなことはしたくありません」
田中さんの人生観は社名からもうかがえます。最初に立ち上げた会社の社名は、「GNNワールド株式会社」。「義理・人情・浪花節」の頭文字を取って命名しています。「仕事でなにより大事なのは信頼」と断言する田中さんは、命がけでついてきてくれた社員には資金を出して自宅を持たせたといいます。その結果、田中さん自身は長く借家住まいとなり、自宅を建てたのは60歳を過ぎてからだったそうです。
エージシュートを医療費削減の切り札にするために協会を発足
「善人が損をして計算高い奴が得する世の中ではいけない」と話す田中さん。その実直さは、ゴルフに向き合う姿勢にも現れています。
「ゴルフは人を裸にするといいますが、ほんとうに人間の本質が現れます。林に打ち込んでしまったボールを勝手に出してしまったり、プレー中に人の悪口をいいはじめたり。特に昼食をとった後は、気が緩みがちになるので本性が現れます。スコアの悪さを荒天のせいにする人もいます。なにかのせいにして生きると、人はだんだんとダメになってしまうと思います」
フェアプレーにこだわる田中さんは、88歳の現在もレギュラーティーやバックティーからティーショットを打っています。日本のゴルフではお約束となっているOKプレー(ボールを入れるカップまでの距離が短い場合、一打で入るとみなしてプレーを行わないこと)をせずにエージシュートを積み重ねているのです。
「OKプレーの自粛をゴルフ場に訴えても、プレーを早く終わらせてお客さんの回転をよくしたいゴルフ場にとっては禁止しにくい事情があります。でも、屁理屈をいえば、ティーショットの第一打をOKプレーにすることもできるわけです。ゴルフは審判がいないスポーツなので、ゴルファーの心持ちしだいで都合のいいプレーができますが、それでよいスコアを出しても真の達成感は得られません」
実際に、田中さんは、わずか一打の差でエージシュートを達成できなかったことが何百回もあるとのこと。プレー中にどこかでOKプレーをしていれば、エージシュートの達成回数をもっと増やすことができたのです。
「自分に都合のいいゴルフをしていないからこそ、エージシュートの喜びが得られます。私がはしゃぐ気持ちを大事にしてお祝いしてくれる周囲にも感謝しています。エージシュートという目標をつらく感じる時もありますが、克服することがらくな道に通じると思えば、自然と楽しくなるものです」
そう話しながら満面の笑顔を見せる田中さん。2018年には、健康寿命を延ばす切り札としてエージシュートを普及するために一般社団法人日本エイジシュートチャレンジ協会を設立。満場一致で初代理事長に選出されました。
「『もうトシだ』ではなく、『自分はまだこれからだ』という気持ちと実際に行動することが高齢者の心身を支えます。エージシュートを目指すゴルフはこの気持ちを育てるためにぴったりです。危機的といわれる日本の医療費増大問題を解消するためにも、自分が旗頭となってエージシュートの魅力を伝えていきます」
田中菊雄さんが理事長を務める一般社団法人日本エイジシュートチャレンジ協会のホームページ