お笑い芸人 サッチィーさん
2024年の発表以来、「オーラルフレイル」の予防に楽しく取り組めると話題を集めている『パタカラ音頭』。自治体や保険会社が開催するイベント会場での実演など、地道な活動を通して広まりはじめた健康音楽の誕生物語です。
『パタカラ音頭』は病院勤務の経験から生まれた健康音楽

介護福祉士、言語聴覚士、そしてお笑い芸人。いくつもの肩書きを持ち、幅広い活動を行っているサッチィーさんが昨年にリリースした『パタカラ音頭』は、オーラルフレイル(口内の虚弱)の予防を目的に、高齢者がみんなで楽しく歌って踊れるユニークな楽曲です。
「パタカラ」とはもともと、「パ」を発声する動きで表情筋や口輪筋を鍛え、「タ」と「ラ」で舌筋を鍛え、「カ」で口蓋帆挙筋を鍛える体操のこと。これにより、食事の際の食べこぼしや誤嚥を防いだり、鼻咽腔閉鎖機能の向上をはかったり、口周りを中心とする健康維持に効果があるといわれています。
パタカラにリズムと身振りを付けようというアイデアは、サッチィーさんが急性期病院で働く中で、ごく自然に生まれたものでした。
「パタカラ体操自体は50年以上も前から存在している体操なので、これまでにもメロディを付けてみようと考えた人はいたと思います。その意味で、私が特別に新しいことを生み出したつもりはないのですが、急性期病院に勤務していた頃、患者さん一人ひとりの訓練を担当する中で、少しでも楽しくトレーニングできないかと考えるようになったのが1つのきっかけになっています」
パタカラ体操を中心とするリハビリプログラムは、粛々とこなすよりも、楽しみながらこなしたほうがより効果的であるはず。その点、サッチィーさんの明るく元気な人柄は、患者に寄り添う立場として理想的で、「できるだけ楽しんでほしい」というサッチィーさんの思いが1つのアクションにつながったといいます。
「一人ひとりの症状に合わせながらではありますが、訓練や練習だと思ってがんばるよりも、できるだけ笑顔でプログラムをこなしてほしいという気持ちが常にありました。そこである時、事務的に『パタカラ』と何度も口にしてもらうのではなく、もっとノリがよく、盆踊りのように身振りを添えて実演してみたところ、その場にいた皆さんが笑い始めて、一気に病室が活気づいたんです。高齢者の皆さんにとって盆踊りはなじみ深く、受け入れやすかったのでしょうね」
昭和の世代に盆踊りを経験していない人はまずいません。そのうち、サッチィーさんが担当する病室では、振り付けがあるパタカラ体操が当たり前になったといいます。

やがて、「どうせやるなら上半身の運動も兼ねられるように」と、サッチィーさんは振り付けのバリエーションを次々と追加。さらに盆踊り調のフレーズも増やしていくうちに、みんなで「パタカラ音頭でパパンがパン」と笑顔で踊るようになったことが、『パタカラ音頭』の原型になりました。
「正直、病院内でこんなに大騒ぎしていいのかなと不安だったので、最初はこっそりやっていたんです(笑)。でもうわさが広まっていくと、意外と歓迎ムードであることが分かったので、ほかの看護師さんたちの前でも堂々とやるようになりました」
そうしてみんなで楽しく取り組むうちに、「1番が〝パパンがパン〟なら、2番は〝タタンがタン〟にしよう」と、少しずつ完成させていった『パタカラ音頭』。自然に楽曲として形になったのは、サッチィーさんのこれまでのキャリアの賜物といえるでしょう。
父の急病をきっかけに介護福祉士や言語聴覚士の国家資格を取得
サッチィーさんのキャリアはもともと、バンド活動に端を発しています。そのため、作詞・作曲はお手の物。他方、幼少期からいつも明るく、冗談ばかりいっていた父親のティーチャさん(故人)は、若い頃から喜劇、演劇の世界で活躍していた人物でした。紆余曲折を経て40代で教員免許を取得し、私立の中高一貫校で教壇に立つようになりますが、定年退職後に劇団に復帰して、俳優としての活動を再スタートしたそうです。
「父は学校の先生をしていた頃から、子どもたちを笑わせることに生きがいを感じている人でした。とにかく人を笑わせたい、楽しませたいという思いが誰よりも強くて、きっとその精神が私にも受け継がれているのだと思います」
そのうち、お互いの舞台をどちらからともなく見に行くようになり、ついにはティーチャさんもサッチィーさんのバンドに参加して、ライブの司会進行を務めるようになったといいます。

「その日のライブの出演メンバーに面白おかしくインタビューをしたり、私たちの曲と曲の合間でコントをやったり、70代にしてバンバン笑いを取っていたのだからすごいですよね(笑)。毎回、あまりにウケるので、『じゃあ、お笑いのライブにもちょっと出てみようか』となったのが、父娘で『めいどのみやげ』というコンビを組むことになったきっかけでした」
残念ながら2年前にティーチャさんが逝去したことにより、「めいどのみやげ」としての活動は休止を余儀なくされました。しかし、そんなティーチャさんの存在は、現在のサッチィーさんの在り方に多大な影響を与えています。サッチィーさんが取得している介護福祉士や言語聴覚士といった資格との出合いについても同様です。
「私が20代の頃、いつも元気で風邪1つひかない父が突然、体調を崩して入院したことがありました。これが私にとってはすごくショックで、精神的にも激しく落ち込んでしまったのですが、お見舞いに行くたびに接する介護福祉士の方がすごく優しかったんです。父にいつも丁寧に接している姿を見て、人をケアする仕事に興味を持つようになりました。ホームヘルパーの資格を取ると、より深く学んでみたいという意欲が強くなり、27歳で専門学校に入学して介護福祉士の資格を取ったんです」
これが芸能活動のかたわら、医療や福祉の現場に携わることになるきっかけでした。その後、2020年にティーチャさんののどと発声器官に不調が生じたことが、言語聴覚士の存在を知るきっかけになったそうです。
「父に声の不調やムセが続いて耳鼻咽喉科に付き添っていたところ、言語聴覚士が果たす役割を知り、深く感銘を受けました。そこで47歳の時に再び専門学校に通い始め、資格を取得したんです。20年ぶりの学生生活でした」
人はいくつになっても学ぶことができることを実践する姿勢は、40代で教員免許を取ったティーチャさん譲りといえるでしょう。
サッチィーさんの半生を振り返ってみると、音楽が好き、お笑いが好き、そしてなにより人を楽しませることが好きというメンタリティに満ち溢れています。この気持ちこそが、『パタカラ音頭』の源泉といえるのです。
公認心理師の母、管理栄養士の姉と三位一体の活動も展開中

2024年にリリースされた『パタカラ音頭』は、サッチィーさんの活動を通して、着々と世間に広まりつつあります。自治体や保険会社のイベントの場で実演の機会を得たり、介護関連学科のある大学の学園祭に招かれたりと、サッチィーさんは楽しくオーラルフレイル予防に取り組むために、東奔西走しています。
「私は母が公認心理師、姉が管理栄養士なので、最近は母娘の三人でイベントに参加することも増えてきました。最初に『パタカラ音頭』をみんなで踊って、その後に母が心のフレイル予防についてレクチャーし、姉が健康や栄養の相談に乗るという三位一体の活動は、我ながら理想的なフルコースだと思います」
健康維持のカギとしてフレイル予防が注目を集める昨今、口腔・運動と心と栄養、それぞれの面からケアを呼びかける取り組みは、今後ますます注目を集めるに違いありません。
「『パタカラ音頭』のリリースから約1年。ありがたいことにここまで、想像していた以上の反響をいただいています。でも、催事やイベントの場だけでなく、この3分ほどの運動が、皆さんの日常生活の中に溶け込んでこそ、ほんとうのオーラルフレイル予防につながるのだと思っています。ご飯を食べる前、お風呂に入る前など、『パタカラ音頭』が当たり前になる世の中を目指して、まだまだがんばらなければなりません」
サッチィーさんは『パタカラ音頭』をより身近なものにするために、実演動画の浸透にも努めています。3年後、5年後には、『パタカラ音頭』を自然に口ずさむ人が街にあふれることを目指して活動に取り組んでいます。
★『パタカラ音頭』の振付動画や歌詞は下のボタンから無料でご覧になれます(外部リンク)


