プレゼント

西洋医学と気功のいいところを取り入れて乳がんの治療に臨みました

患者さんインタビュー
佐久間 郁子さん

がんに対する不安が募って「何が悪かったのだろう」と涙を流すこともありました

[さくま・いくこ]——京都府生まれ、三重県育ち。会社員。38歳のときに乳がんと判明し、抗がん剤治療と手術を受ける。現在、インターネットテレビやコミュニティラジオへの出演・司会進行などで活躍中。みずからの闘病体験をたくさんの人々と共有し、闘病中の支えとなった気功についての情報発信を行っている。

体調に異変を感じたのは、2010年11月でした。体の中でピリピリするような違和感を覚えたのです。当時38歳だった私は専業主婦で、まだ幼い3人の子どもの母親でした。

すぐに頭をよぎったのは、1年半ほど前、左胸にしこりを見つけて検査を受けたときのことでした。当時の検査では担当の先生から「大丈夫」とお墨付きをもらい、安心して過ごしていました。ところが、「ピリピリする」と感じたときは、「ひょっとしたらがんかもしれない」と、思いの外動揺しました。

すぐに産婦人科を受診して検査を受けると、「大きな病院で検査を受けてください」といわれました。先生の慌てた様子から、がんに違いないという不安でいっぱいになりました。

12月の半ばに、自宅近くの都立病院で検査を受けました。普通なら2週間ほどで検査結果が分かるのですが、年末年始の休みがあるので、結果が分かるのは年明けになるといわれました。検査を受けてからは、毎日「何が悪くてがんになったのだろう」と思い悩みました。料理をしているときに突然、涙があふれてきたこともありました。

転機になったのは、大みそかの山登りでした。親戚しんせき一同で神奈川県の大山おおやまに登って初日の出を見ることになったのです。

正直なところ、検査結果のことが頭から離れなかった私は、あまり乗り気ではありませんでした。とはいえ、私1人だけ行かないのも不自然です。少し不安があったものの、思い切って参加したら、山道を登っていくうちにさまざまな考えや思いが頭に浮かんできました。

私は、魂や死後の世界があると信じています。一歩一歩足を運びながら、「なぜがんは怖いのか」「死が先に待っているから」「でも、人間は必ず1度は死ぬし、死んでも魂は生きつづける。輪廻転生りんねてんしょうもする。怖がることはないはずだ」と自問自答を繰り返しました。すると、頂上が近づくにつれて、少しずつ答えが見えてきたような気がしたのです。

初日の出にも勇気をもらいました。沈んでもまた昇ってくる太陽は「たとえ死んでも、それですべてが終わるわけではない」と教えてくれているようでした。初日の出に手を合わせながら、感謝の気持ちがあふれてくるのを感じました。死ぬまで力いっぱい生きようという強い気持ちがみなぎってきて、山を下りるときには登る前の不安がウソのように消えていました。

2011年1月4日、検査結果が分かり、先生から乳がんであることを告げられました。進行度はステージⅡb。がんの大きさは3㌢ほどで、わきの下のリンパ節への転移があるかもしれないという診断でした。ショックではありましたが、初日の出を目にしたときの決心を思い出し、検査結果をしっかりと受け止めることができました。

私が迷ったのは、治療をどうするかということでした。主治医の先生は「抗がん剤でがんを小さくしてから手術をし、放射線治療で根治させましょう」と話してくださいました。

私は19歳のときから気功をやっています。気功は、生命の根源である〝気〟を取り入れる健康法です。気を取り入れる方法はさまざまです。私は、気功師と呼ばれる特殊な能力を持った方から気を入れていただいていました。気功によって難病から回復している患者さんもいたので、「西洋医学に頼らず、気功で治すほうがいいのではないか」という迷いがあったのです。

気功師の先生にも相談しながら出した結論は、西洋医学と気功のそれぞれのいいところを治療に取り入れることでした。体の治療は西洋医学の得意とするところです。しかし、私は心の治療は気功のほうが優れていると感じました。入院して抗がん剤や手術でがんを取り除くと同時に、気功で生命力を高めて心を安定させよう——そう決心すると、とても前向きな気持ちになれたのです。

入院生活は新しいことが体験できるチャンスだと思い笑顔でいようと決意しました

2011年1月から、3週間ごとに抗がん剤治療を3回受け、それぞれ1週間ほど入院しました。その後、違う種類の抗がん剤の治療が12回ありました。抗がん剤治療中、脱毛や吐き気などの副作用に苦しみましたが、気功で習ったことが心のケアにとても役立ちました。

私が習っている気功では、マイナスをプラスに変える考え方のトレーニングをしています。その1つが「いいとこ探し」です。どんな出来事にもいい面と悪い面があります。どうしても悪い面ばかりを意識してしまいがちですが、できるだけいい面を探すようにすると心が落ち着きます。

抗がん剤治療の副作用で髪の毛が抜けたときには、ほんの少し考え方を変えて「いいとこ探し」をしたら、気持ちがらくになりました。髪の毛がなくなるのは女性として寂しいことですが、シャンプーをしなくて済みますし、毎朝髪のセットをする必要もありません。髪の毛が抜けたことに落ち込むのではなく、いい面を探すようにしたのです。

入院生活も、新しいことが体験できたり新しい人と出会えたりするチャンスだと思うようにしました。同室の人に積極的に声をかけて仲よくなり、お昼ご飯のときには楽しいおしゃべりで盛り上がりました。私たちの病室はいつも笑い声が響いていたので、看護師さんが驚いていました。そのときに仲よくなった同室の人たちとは、いまでもときどき会っておしゃべりを楽しんでいます。

もう1つ、気功で教えてもらったのは、「笑い」の大切さでした。笑うことで免疫力が上がり、難病を克服した人もいるそうです。入院したとき、私はできるだけ笑顔でいようと決めていました。私が笑顔でいると、同室の人もニコニコしてくれるので、部屋の雰囲気が明るくなりました。

1人だけ、なかなか笑わない人がいました。主治医の先生です。回診のときのしかめっ面は、いまでもはっきりと覚えています。

2度目の入院のとき、私は先生を笑わせることに夢中になりました。どうしたら笑ってくれるだろうと考えた末、先生の回診のときには最高の笑顔と大きな声で挨拶あいさつをすることにしました。最初はけげんそうな顔をしていた先生でしたが、表情が少しずつ柔らかくなってきて、笑わないまでも話しかけてくれるようになりました。そして退院間際、先生は、はにかみながら、ついに笑ってくれたのです。

そうした入院生活を送っていたので、「苦しい」「つらい」といった気持ちになることが少なかったのかもしれません。苦しいときでも考え方1つで心の状態は変わります。心が明るくなると体調もよくなります。

抗がん剤治療の後、手術を受けることになりました。病巣の切除には成功しましたが、周辺のリンパ節に4つの転移がんがあったことが分かりました。せっかく抗がん剤治療を受けたのに、がんが大きくなっていたのです。ステージもⅢa期といわれ、克服したはずの恐怖がよみがえってきました。その後は数ヵ月間、気持ちがずっと沈んだままでした。「再発するのではないか」「もし再発したらどうしよう」という不安でいっぱいだったのです。

そんな私の心に浮かんだのは、「この恐怖や不安をなくすためには、がんと仲よくならなくてはいけない」という思いでした。私は、がんを「がんちゃん」と呼ぶことにしました。そして、がんちゃんに「あなたとは友だちだから、もう切ったり殺したりしようと思わないよ」と語りかけてみたのです。

あなたは好きに生きていいよ。私も好きに生きるからね。いっしょに楽しく生きようよ——そう声をかけつづけると、がんに対する恐怖が少しずつ消えていきました。

やりたいと思ったことにどんどんチャレンジする私を家族も応援してくれています

佐久間さんのご主人(写真左)は、やりたいことに前向きにチャレンジする佐久間さんを心から応援しているそう

がんになったのに「なぜそんなに冷静でいられるの」と尋ねられることがあります。正直なところ、自分でもよく分かりません。ただ、思春期の頃、ひどいアトピー性皮膚炎で悩んでいたことが関係しているのかもしれません。

当時、アトピー性皮膚炎の症状がひどかった私は、かゆくて顔や手をかきむしっていました。顔は真っ赤にれて血がにじんでいたので、恥ずかしくて外へ出られませんでした。成人式にも行かなかったほど、生きていること自体が、苦しくてたまらなかったのです。

当時の苦しみに比べたら、いまのほうがずっとらくかもしれないと思えたことで、余裕を持ってがんの治療に取り組めたのかもしれません。アトピー性皮膚炎で悩み、苦しんだ末に出合った気功から学んだことが、がんの治療で役に立ちました。「いいことも悪いことも、すべてのことに意味がある」と実感しています。

コミュニティラジオの収録で、司会進行を務める佐久間さん

私はいま、インターネットテレビやコミュニティラジオに出演し、司会進行をしたり、闘病体験を語ったりするという、これまで考えてもみなかった分野の仕事に取り組んでいます。自分の状態や周りの環境に縛られず、心が感じるままに動けばいいと思えるようになった私は、やりたいと思ったことはためらわずにチャレンジしています。

「がんを乗り越えた体験談を話してほしい」と頼まれれば、どこへでも飛んで行きたいと思っています。

がんになったことで、新しい世界がどんどん広がっていくようです。そんな私を、主人や子どもたちが応援してくれています。かけがえのない家族への感謝の気持ちは、いつも心に刻まれています。