株式会社AIメディカルサービス 代表取締役CEO・医師 多田 智裕さん
日本人の二人に一人がかかるといわれる「がん」。さまざまな部位に発症するがんの中でも、高齢化や食生活の欧米化とともに増えているのが消化器のがんです。今月の情熱人は、消化器がんの早期発見にAI(人工知能)を使った先端技術で挑む、医師の多田智裕さん。世界中の医療従事者が注目する早期がん発見技術を取材しました。
過酷な確認作業による見逃しを防ぐためにAIの活用を構想
現在、発症する人が増えている胃がんや大腸がんは、早期発見によって5年生存率が9割以上になるとされています。がんを早期に見つける目的で利用されるのが内視鏡検査です。ポリープの切除など、その場で受けられる処置や日帰り対応もできる内視鏡検査は、世代を問わずニーズが高まっています。
「その一方で、実際の医療現場では内視鏡検査の需要拡大における問題が深刻になっています。医師たちが確認しなければならない画像枚数の増加と、それに伴う医師の負担増です。この問題を解消するために私が注目したのがAI(人工知能)でした」
そのように話すのは、AI技術を用いて内視鏡画像を解析するソフトウェアを開発しているAIメディカルサービスCEOの多田智裕さん。消化器専門医の多田さんは、東京大学医学部附属病院、虎ノ門病院、東京都立多摩老人医療センターなどの勤務医を経て、2006年にクリニックを開院。20年以上にわたり、2万件以上の内視鏡検査を手掛けてきた第一線の医師です。長年、医療現場で内視鏡検査に携わってきた多田さんは、内視鏡検査の普及とともに、ある問題に悩まされるようになったといいます。
「内視鏡を使って胃や大腸の内部を映し出しても、がん細胞の有無を見つけられるかどうかは医師の経験とスキルしだいです。がんの病変には個人差があり、明らかにがん細胞と分かる場合は見つけやすいものの、初期のがんは表層から判断しにくい場合も多く、見逃してしまうこともあります」
多田さんによると、自治体などの公的機関で行われる内視鏡検査では、早期がんの見落としを防ぐために地域の医師会に所属する医師が分担して画像のダブルチェックを行っているとのこと。「二次読影」と呼ばれるこの作業は医師にとって負担が大きく、1時間に3000枚もの画像を見ながらがんの有無を確認する時もあるそうです。
「患者さんの命と健康を預かる医療の現場において、がんの見逃しは許されるものではありません。とはいえ、医師も人間です。がんを見逃さない使命感を持ちながら見逃すことへの不安と闘っている医師たちの様子を見て、解決する手だてを見つけたいと思ったんです」
そんな多田さんが構想したのが、AI(人工知能)を用いた内視鏡画像の解析ソフトウェアでした。当時、AIは「画像認識能力において人間をしのぐ」と注目され、優れた画像認識能力が活用されはじめていたのです。
「信頼の置ける医療機関で撮影した質の高い内視鏡画像をAIに学習させれば、発見が難しい早期がんを見つけやすくなるのではないかと考えました。その結果として、過酷な画像チェックに明け暮れる医師の負担を減らせると思ったんです」
国内100ヵ所以上の医療機関から高品質の画像を集めてAIが学習
2017年に多田さんは、「内視鏡の画像診断をAIがサポートするソフトウェアの開発」を事業内容に掲げたAIメディカルサービスを起業。医師として培った人脈を通じて、がん研有明病院をはじめ、大阪国際がんセンター、慶應義塾大学病院など、国内100ヵ所以上の医療機関から20万本にものぼる高品質の内視鏡画像を収集し、データをAIに学習させていったといいます。
「私たちが開発したAI画像診断ソフトウェア『gastroAI model-G』を内視鏡検査の際に使うと、通常の画像チェックでは見逃されやすい病変部が分かりやすく示され、生検などの追加検査を検討したほうがよい病変候補を矩形で示してくれます。今後もAIの精度向上や機能拡張に向けた開発を行っていきます。がんの早期発見ができれば体に負担の少ない形で治療が受けやすくなります。患者さんの負担はもちろん、医師側もハードな画像チェックの日々から解放されるのです」
AIの力を借りた内視鏡検査の普及に情熱を燃やす多田さんは、2010年に『患者に優しい〝無痛〟大腸内視鏡挿入法』という医学書を出版しています。苦痛の少ない大腸内視鏡挿入法(無送気軸保持短縮法)の開発は当時、大きな注目を集め、専門的な医学書としては異例のヒットになったそうです。
「医療技術を伴わない医師が内視鏡を患者さんの大腸に挿入すると、粘膜を傷つけてしまうことがあります。私は、患者さん、そして医師のためにも『防げるミスはできるだけ防ぎたい』という想いがあります。おかげさまで、私が開発した無送気軸保持短縮法の技術は、今も多くの医療現場で導入されています。AIを使った画像診断の開発も、根底には『できるだけミスを防ぎたい』という想いがあるんです」
内視鏡技術は日本が世界のリーダーになれる数少ない分野と確信
第一線の医師として医療現場に立ちつづけながら、内視鏡AIの開発と普及に取り組むべく、起業をした多田さん。開発にかかる年数や資金面を考えても、簡単に決意できなかったのではないでしょうか。
「内視鏡は日本が開発し、今も世界の最先端を走っている医療機器です。かつて日本は技術立国といわれ、さまざまな分野で世界一の座を競っていましたが、現在は多くの産業で後れを取っているのが実情です。医師の私から見て、日本が世界のリーダーになれる数少ない産業が内視鏡の分野です。AIと内視鏡を組み合わせれば、内視鏡の開発国として日本の存在感をあらためて示すことができます。まだ誰もやっていないのなら、私が始めようと思ったんです」
多田さんが設立したAIメディカルサービスは現在、アメリカ、シンガポールにも海外拠点を置き、最先端の医療機関と協力して共同研究を推進しています。「内視鏡AIに関する学術論文の執筆数が世界一」という多田さんは内視鏡の分野では世界的に知られた存在のため、内視鏡AIに関する共同研究の依頼が殺到しているそうです。
「内視鏡AIは世界中の医療従事者や研究者から注目を集めています。しかしながら、国内に目を向けると、一般の方への認知度はまだまだです。内視鏡AIの有用性について、社会的気運をどのように盛り上げていくかが今の大きな課題です」
多田さんが社会的気運の盛り上がりに期待する背景には、内視鏡AIの認可があります。国内の医療機関への導入がスムーズに進み、日本が誇る先端医療機器として世界に普及させるには、日本国内での注目度と広い普及が不可欠と話します。
「一般的に医療機器の許認可は、8~10年ほどかかるといわれています。私たちが開発した内視鏡AIのソフトウェアは、前例のない新しい医療機器ということもあり、厳しい審査を経ることになりました」
多田さんが率いるAIメディカルサービスは、2019年に10億円、2020年に46億円、2022年には80億円と、計136億円以上の出資を受けています。日本が世界をリードする内視鏡分野におけるAI活用への出資熱は高かったのではと想像しますが、必ずしもそうではなかったそうです。
「実は、最初の融資を得るまでほぼ50ヵ所に断られつづけたんです。成績でいえば1勝49敗ですが、『連敗しつづけても、この1勝が成功に導く始まりになる』と信じて、その時にできることを実践してきました。医療スタートアップの旗手といわれても、うまくいかないことのほうが多いくらいです。それでも前を見て進めるのは、患者さんと医師のために『防げるミスはできるだけ防ぎたい』という想いを持ちつづけているからだと思います」
現在、世界中の医療機関と共同研究を続けながら、国内では内視鏡AIの啓発活動に取り組んでいる多田さん。超多忙な毎日の中、現役の臨床医としても活動しています。
「内視鏡AIは臨床医向けのソフトウェアです。臨床現場を離れないことで、現場の医師の気持ちやニーズが理解できると思っています。現場の医師から寄せられる声を今後のソフトウェア開発に生かすためにも、現場感覚を大切にしていきたいです」
2024年3月に発売された内視鏡AIのソフトウェア「gastroAI model-G」は、全国の医療機関で注目を集め、発売後は順調に受注を重ねているそうです。
「早期がんの診断をするのはあくまでも医師ですが、画像診断のサポートによって診断の精度を高められる内視鏡の検査は、医師とAIが共働できる理想的な分野です。人間とAIの共働によってがんを早期発見する〝日本発の先端医療技術〟を、世界中に普及させていきたいと思っています」