プレゼント

代替療法でがんが 消え、西洋医学で寛解。治療の道は人それぞれ

杉浦貴之の「治す力は自分の中にある!」
『メッセンジャー』編集長兼シンガーソングランナー 杉浦 貴之さん

[すぎうら・たかゆき]——1971年、愛知県生まれ。28歳のときに腎臓がんを発症し、両親には余命半年、2年後の生存率0%と告げられ手術を受ける。以後、『メッセンジャー』編集長兼シンガーソングランナーとして精力的に活動中!

「早くて余命半年」といわれた腎臓がんから20年目を迎えた私は、がんになる前よりますます元気に活動させていただいています。

手術から9年後の2008年、病床で描いた「ホノルルマラソンを走って翌日結婚式を挙げる!」という夢をかなえた私は、2010年から、がん患者さん、ご家族、サポーターで参加する「がんサバイバーホノルルマラソンツアー」を主宰しています。さらに、がん克服者の体験を主に掲載した命のマガジン『メッセンジャー』を発行しながら、トークライブや学校での講演と、全国を駆け回っています。

私が発行する『メッセンジャー』は、がんを克服された方や、がんと向き合って以前より輝いている方と、現在は病の中にいて不安を抱えている方をつなげたいという思いから始めました。その後、私は「がん治っちゃったよ! 全員集合!」の発起人に加えていただきました。2018年8月の埼玉大会でも、人と人とがつながる場が自然とできていました。

休憩中に私の歌のCDを買いに行ったときに、販売を担当していたのが、沖縄県から来てくれた高原和也さん。高原さんは白血病の末期状態から自然寛解し、2017年はがんサバイバーホノルルマラソンを走った方で、『メッセンジャー』(53号)にも登場されています。白血病と告知され、『メッセンジャー』を購読したことから埼玉県のイベントに参加されたKさん。記事を読んで高原さんのことを知っていたKさんは大興奮。目の前に生き証人がいるのです。大きな勇気をもらったと話していました。

ある日、白血病から回復した高原さんからメッセージをいただきました。高原さんは10年前、最も悪性度の高い種類の白血病と告知され、病状も進んで余命も告げられます。あらゆる治療を尽くしても効果がなく、病院から見放されてしまうのです。代替療法や民間療法しか手だてがなくなった高原さんは、沖縄でユタ(占い師)に出会ったことが大きな転機になります。

「あなた! 死にたかったら死んだらいいさ〜」

高原さんは、この言葉でスイッチが入ったといいます。

「そうか、自分には生きるという選択肢があるんだ。この病気を自分で引き受けよう。自分でこの現実を作ってきたのなら、これからも自分の責任で、選んで、自分で人生を作っていけばいい」と。

そんな中で高原さんは断食療法を受けます。すると、その断食の途中で、右腕にあった大きな腫瘍がどんどん小さくなっていったそうです。その後、他の代替療法も組み合わせると、全身にあったすべての腫瘍が消失したのです。

それから5年。いまは検査を受けても何も異常が見つからないそうです。そればかりか普通に仕事をして、病気になる前より健康になったといいます。

そんな彼のもとにメールを送った女性がいます。彼女は高原さんと知り合った頃、末期の乳がん患者で、なかなか治療がうまくいかず、治っていく高原さんがうらやましかったそうです。そんな彼女から、久しぶりにメールが届きました。

「日本全国の自然療法クリニックやヒーラーを回ったり、治療を受けたりしたのですが、3年で悪化し、がんはほぼ末期になりました。もうにっちもさっちもいかず痛みや大出血もあり、家族にも迷惑と心労をかけてしまっていたので、『もうなすがままに受け入れよう』と、あんなに否定していた西洋医療の抗がん剤治療を受けたところ、みるみる効いて手術できるまで腫瘍が小さくなったんです。手術と放射線治療で寛解してから、もう8年がたちました」

高原さんは西洋医学で手を尽くしたものの、ユタのひと言でスイッチが入り、代替療法でがんが消失。この彼女は自然療法で手を尽くし、結果を受け入れて西洋医学に身をゆだねたら寛解。

何を選ぶかも大切ですが、「どんな思いで受けるか」が、いかに大切なことか分かります。ほんとうに、治癒の道は人それぞれです。

杉浦貴之「がんサバイバー・命を唄うシンガーソングライター&編集長」
杉浦貴之のがん克服の軌跡、活動内容、出演スケジュール、命のマガジン『Messenger』のご注文、イベント出演依頼などの情報を掲載しています。