一般社団法人キャンサーフィットネス代表理事 広瀬 真奈美さん
乳がんの抗がん剤治療中に運動の専門学校に通い、インストラクターの資格を取りました
がんになった時、ショックを受けて座り込んで動けなくなってしまう人は少なくないでしょう。私自身も乳がんの治療中に何度も大きな不安にとらわれ、体を動かす気力もなくなるほど落ち込みました。でも、座ったままでいいので少し体を動かしてみましょう。動かせたなら、次は「1、2、3」の掛け声で立ち上がってみてください。痛みやしびれがある人もいるかもしれませんが、思ったよりも体は動いてくれたのではないでしょうか。
私は、一般社団法人キャンサーフィットネスの代表理事を務めています。運動(フィットネス)を通してがん患者さんや、がんの経験者さんを支援する団体です。2014年に設立して以来、たくさんの方が参加しています。最初は暗い表情だった患者さんが、フィットネス後に明るい笑顔になって帰っていくのを見ると、自分のことのようにうれしく思います。
キャンサーフィットネスを設立したのは、私の乳がん治療がきっかけです。乳がんと気づいたのは、2008年11月のこと。左胸に強い痛みを感じ、触れると大きなしこりがあることが分かりました。鏡で見ると、乳房の下にくぼみがあったんです。慌てて病院を受診したら、乳がんと診断されました。
当時は、「表情研究家」としての仕事がちょうど軌道に乗ってきた時期でした。講義や講演で全国を飛び回り、積み重ねてきた経験が実を結んでいくのを実感しているさなか、まさにこれからという時期にがんと判明。手術までの仕事は、とにかくすべてキャンセルしました。「これで私のキャリアは終わりだ」と本気で考え、ひどく落ち込みました。
喪失感とともに、がんになったという現実が押し寄せてきます。手術までの3ヵ月の期間、とらえどころのない不安を抱え込みながら、私は「じっとしているだけではダメだ」と思いました。そして、「手術まで毎日皇居を一周し、体力をつける時間に充てる」と決めたのです。最初は悩む時間を日常から区切るための行動だったのですが、運動をすることで気持ちが前向きになっていきました。
運動の習慣で体力がついたのもよかったのか、手術は無事に乗り越えることができました。左乳房は全摘出され、転移の疑いのあるリンパ節も切除しました。その後、抗がん剤治療と放射線治療、ホルモン療法のスケジュール調整がなされました。
私がひどく落ち込んだのは、退院して自宅に戻った後でした。これまで大きな病気やケガをしたことがなかったので、手術前の生活との違いにひどく困惑しました。しかも、胸やわき周辺の痛みやしびれで腕が上がりにくくなるなど、体のあちこちの違和感やぎこちなさに、「前の生活と全然違う!」と苦しみました。
そして、主治医に「もう一度病院でリハビリテーションを受けたい」とお願いしたのですが、退院後はできないといわれてしまいました。整形外科を受診しても管轄外といわれ、スポーツクラブや整体院を訪ねても、その当時はがん患者さんを受け入れてくれるところはほとんどありません。
私は、抗がん剤治療に臨む前に心身のリフレッシュの時間が必要と感じました。そこで、ハワイ島で大好きなドルフィンスイミングをすることにしたのです。ハワイの雄大な自然に触れるうちに、心身共にがんと向き合う準備が整っていきました。
抗がん剤治療が始まって不安でいた時、私を支えてくれたのは、やはり運動でした。ちょうど一週間、近くの公園で無料のヨガイベントがあったので参加してみたんです。青空の下で体を動かしてみたらとても気持ちがよかった。しかし、がんになった悔しさは強くなるばかりでした。「がんなんかに負けたくない!」と怒りは生きるパワーになっていきました。
その頃からがんに関する情報を集めはじめたのですが、「がんになったスポーツ選手が運動しながらがんを克服した」という話が飛び込んできました。さらに、米国で「Moving For Life」という団体が、がん患者さんに運動療法の指導を行って、体の回復や社会復帰を支援していることを知ったんです。
当時は、がんの専門家でも運動の効果には懐疑的な人がいました。私自身も「運動することで、かえってがんが広がるのではないか?」と思っていたくらいです。でも一方で、運動によって前向きな気持ちになれることは自分で実感していましたから、「自分の体は自分で治すんだ!」という希望を抱きつづけました。
抗がん剤治療を受けていた2009年の春、体のしくみや運動について学ぼうと、私はフィットネスのインストラクターを養成する専門学校に入学します。抗がん剤治療の副作用で髪が抜け落ちていきましたが、帽子をかぶって通いました。
専門学校の教育はとても厳しく、トレーニング中にちょっと疲れて休んでいたりすると「帰っていい」と先生にいわれてしまいます。相応の体力がなければプロの指導者になれないからなのですが、今思えば、がん患者だからと特別扱いをしないでくれたのはありがたかったですね。
厳しい指導もありましたが、新しい知識や経験はとても刺激的で、楽しく学ぶことができました。2011年、日本フィットネス協会のインストラクターの資格を得た私は、米国でがん患者さんに運動療法を指導しているMoving For Lifeをついに訪問。2回にわたって渡米して知識を習得しました。
Moving For Lifeの活動には大きな衝撃を受けました。病院や施設を訪問して指導するのですが、参加しているがん患者さんは皆、楽しく笑いながら運動に励んでいるんです。「日本でも同じような活動をして、多くのがん患者さんに元気になってほしい」と、私はごく自然に感じるようになりました。
2012年、私は「乳がんフィットネスの会」をスタートさせ、運営方法を習得し、2年後の2014年に一般社団法人キャンサーフィットネスを立ち上げました。「がんなのに運動なんて考えられない」「そもそも運動は苦手」という方も多く、がん患者さんに運動の大切さを啓発することはたいへんでした。でも、がんに関わる医療関係者によるがん治療の健康管理の講座も併設しながら、少しずつ活動を広めていきました。
リンパ浮腫のような改善が難しいものでも、まずは行動してみましょう
活動開始から10年が経過した現在、がん患者さんにとって運動することの有効性がいくつも実証されています。医療の現場でもがん患者さんに運動を進める機会が増えており、キャンサーフィットネスを立ち上げた当時を知っている私としては、うれしい限りです。
大きな変化が訪れたのは2020年のことでした。新型コロナウイルス感染症の流行で、運動教室を開くことが難しくなったのです。当時、会員は1000人以上いたのですが、コロナ禍によって運営は危機を迎えました。同時にがん患者さんも外出できず、運動不足や孤立の不安などの相談が増えました。
そこで、私たちはすぐにオンラインサロンを設立し、運動はもちろんのこと、がん治療に関する情報発信を始めたのです。月に数回は、Zoomを用いたオンラインで参加者同士が集まり、画面上でも会話し、日頃の悩みを共有できる時間も作り、まるでリアルに会っているかのように思える楽しい時間です。また、専用のアプリを開いてもらえれば、好きな時に動画や情報を見て、誰とも話したくない時でも気軽に運動に取り組むことが、オンラインならできるのです。現在はそれぞれのいい面を生かしながら運営をしています。
がんになった方には、まずは「ぜひ一歩踏み出して」というようにしています。予想もしなかった状況に陥り、ふさぎ込んでしまう人も多いでしょうが、体を動かしてみると予想以上に心が応えてくれるんです。心の状況を変えることができれば、生き方も前向きになれるはずです。
もちろん、残念ながら変えられないこともあります。私の場合は、リンパ浮腫という後遺症です。2012年のある日、左腕がパンパンに膨らんでいました。私にとっては、がんと告知されることよりも大きなショックを受ける出来事でした。
乳がんと診断されて治療方針が伝えられた時から、リンパ浮腫のことも知らされていました。画像を見せられた時、「あんな腕になったらどうしよう」と大きな恐怖を感じたのを覚えています。それ以来、ずっとリンパ浮腫専門のサロンに通い、注意しながら生活していました。だからこそ、リンパ浮腫を発症した時はひどく落胆しました。
リンパ浮腫にはすぐ気がつきました。朝起きたら、わきの下にスイカが挟まっているような違和感を覚えたんです。当時は仕事が忙しくなっていたので、思い当たる要因はいくつもありました。その日のうちに病院で指示書をもらい、リンパ浮腫ケアの用具をそろえました。
リンパ浮腫は、一度発症すると元に戻すことは非常に困難です。むくんだ左腕を眺めた時は、とても落ち込みました。でも、積極的にリンパ浮腫について学び、セルフケアに取り組みはじめると意識が変わっていきました。
リンパ浮腫になると、「重いものを持ってはいけない」「カバンを肩にかけてはいけない」などといわれます。でも、正しい知識をもとに適切な対処法さえ身につければ、生活に支障がないことが分かったんです。今では過度な負担をかけないようにしながら、好きなことを我慢せずに過ごしています。
リンパ浮腫のように、がん治療の間には自分の努力だけでは避けられないことも起こりえます。でも、どうしようもないことばかりを気にしていると、ほかの楽しいことに目がいかなくなってしまいます。たとえ改善が難しいものでも、まずは行動してみましょう。リンパ浮腫になった私も、積極的にセルフケアに取り組むことでいい状況を保っていられますし、「やってよかった」という前向きな気持ちになれています。
キャンサーフィットネスに参加したがん患者さんのほとんどが、最初はがんという大きな壁に直面して落ち込んでいた方々です。しかし、運動をきっかけに前向きになり、笑顔を取り戻しています。中には、ご自身がインストラクターとなり、苦しい経験を踏まえたアドバイスを患者さんにできるようになった方も少なくないんですよ。
がん患者さんでも体が動くなら、きっとまだなにかを変えられるはずです
がんになった患者さんにこそ、「動くことで変化が訪れる」ことを知ってもらいたいです。暗い気持ち、悲しい気持ちに押しつぶされそうな毎日だと思います。でも、とにかく立ち上がり、窓を開けて外の空気に触れてみてください。座りっぱなしになってしまうことをやめて、1時間に1回は立ち上がってみましょう。
私は、がん患者さんに「三秒の勇気」を持つことをおすすめしています。「1、2、3」という掛け声で、ほんの小さな勇気を持って立ち上がってみてください。初めはぎこちなさがあるかもしれませんが、体は「まだ動きたい」と感じていることに気づくでしょう。そうして立ち上がれたら、一歩前に進んでみませんか? 体が動くなら、きっとまだなにかを変えられるはずです。