一般社団法人Allyable(アライアブル)代表理事 松下 結妃さん
食べることは楽しく幸せを感じるもの——。多くの人が当たり前と思っている食行動に「怖さ」を感じ、苦しんでいる人たちがいます。約8年間の「摂食障害」を経験した松下結妃さんは、「摂食障害になっても大丈夫」と思える社会のために、元当事者の視点と治療者の専門性をあわせ持った事業の開発・運営に取り組んでいます。
高校2年の時から始まった摂食障害で体重が33㌔まで激減

「食べることが怖い。食べた自分が嫌い。何度も繰り返す後悔と自己嫌悪。そんな毎日を、ひとりで抱えてきたあなたへ——」
この一文は、食べることを「怖い」と思ってしまう摂食障害の当事者をサポートするウェブサイト『たべこわちゃん』に書かれているメッセージです。摂食障害とは、「食」に対する行動を前向きにとらえられなくなり、拒食や過食、食べた後の罪悪感や後悔などから嘔吐や下剤乱用、過剰な運動強迫(食事後に運動をせずにいられなくなる強迫行動)が常態化するなどの異常行動が深刻化する心の病気。日本では、16~23歳の女性の約13%に摂食行動異常が観察されたという研究結果もあります。
「食べることが怖い」という周囲の理解を得られにくい摂食障害の当事者たちが自分を取り戻すためのしくみ作りに奔走しているのが、自身も摂食障害の元当事者である松下結妃さん。2023年に設立した一般社団法人アライアブルで展開しているピアサポート事業「Ally Me」やウェブサイト『たべこわちゃん』が注目を集めています。これらのサービスを提供するに至った経緯について、松下さんにお話を伺いました。
「私が摂食障害になったのは、高校2年、16歳の時でした。きっかけは、軽い気持ちで始めたダイエットです。ところが、もともと完璧主義の傾向があるからでしょうか、過剰な食事制限や運動強迫から急激な体重減少に陥りました。高校時代の拒食は大学進学後から過食嘔吐へと転じ、最も体重が減った時は33㌔しかないほどやせ細ってしまいました」
当時は友人と食事をしても食後に吐いていることをいい出せず、ほとんど誰にも相談できない状況で摂食障害と向き合っていた松下さん。家族との関係が悪化したこともつらかったと、当時を振り返ります。
「摂取カロリーを把握するために母親が作る食事を異常に分析したり、家族から『どうして食べないのか』と問い詰められて険悪な空気になったり……。母親が作ってくれたお弁当を食べずに捨てている自分も嫌でした。そのような毎日を送っているうちに、心身はもちろん、人間関係もボロボロになり、大学の授業は欠席がちになりました」

松下さんいわく、最も心身が危険な状態だったのは大学時代とのこと。大学の健康診断で異常を指摘され、医師から「このままだと命が危険です」といわれ、ご家族が呼び出されたこともあったそうです。
「拒食による飢餓状態なので、心身は過度に緊張して〝ハイな状態〟なんです。夜になっても緊張の高ぶりは治まらず、眠ることもできません。栄養不足と過度な運動から疲れ果てているのに眠れない毎日が続き、頭痛や息切れ、冷えなどの身体症状が現れていたのもこの頃です」
就職活動を控えた大学3年の時、松下さんは日記に、以下のような一文を書いたといいます。「こんな私が、フルタイムで働けるわけがない」。当時の松下さんは、「自分はこのまま就職できず、職場を転々と変えながら貧困に苦しみ、良好な人間関係を築くことなく人生を終えるのかもしれない」と、暗い未来ばかりを考えていたそうです。
「摂食障害の治療を受けるために、いくつもの精神科を受診しました。残念ながら問診の時間はとても短く、治療薬の服用をすすめられるばかりでした。このまま精神科で治療を受けても回復が望めないと思ったので、医療機関には足を運ばなくなりました。当時の癒やしになったのは、摂食障害に関する心理カウンセリングです。心理カウンセラーの方は私の話をよく聞いてくれました。それでも、カウンセリングが治癒につながることはありませんでした」
その後、松下さんは、ご自身がいうところの「逃げるように」大学院へと進学。日本語教育の研究を専門に選びます。
「日本語教育を専門に選んだのは、日本語教育の公開講義を受けたことがきっかけでした。その講義では、母国でない日本で暮らす留学生たちが、母語でない日本語でのコミュニケーションに悩み、自己を失っている事例が紹介されていました。社会になじもうと懸命に努力しながらも、生きづらさを抱えている留学生の姿が、どこか自分に重なりました。この講義を機に日本語教育を学び、将来的に生徒たちの自己肯定感を高められる教師になりたいと思いました」

早稲田大学大学院で日本語教育の研究に取り組みはじめた松下さん。研究室の教授や先輩たちは、日本語教育分野の初心者だった松下さんの素朴な質問にも真摯に向き合い、適切なアドバイスを送ってくれたそうです。
「研究室の先生や先輩方は、私の個性を認めてくださり、理解してくれました。今でも忘れられないのは、大学生協のパン屋さんでのエピソードです。当時の私はパン屋さんに入っても、パンを食べることが怖くて買うことができませんでした。トングでパンをつかんでも、しばらく悩んだ後に店内のトレイにパンを戻し、店員さんに『ごめんなさい……』と謝って店を出る行為を繰り返していたんです。その後、『パンを頻繁に戻す迷惑行為をする学生がいる』と大学内で問題になり、研究室に呼ばれた私は、自分が摂食障害であることを家族や友人以外に初めて告げました。私の告白を聞いた先生は『よく話してくれたね』と、動じることはありませんでした。自分が隠してきたことを知っても味方でいてくれた先生の顔を見ながら、感謝の気持ちでいっぱいになりました。しかも先生は、私と一緒にパン屋さんへ謝りに行ってくださったんです。自分の味方でいてくれる先生にとんでもないことをさせてしまった……という申し訳なさも募り、摂食障害にきちんと向き合いたいと決意しました」
摂食障害の患者ではなく、1人の個人として見てくれる研究室で過ごすことで、凝り固まっていた心が少しずつほどけていったという松下さん。大学院を修了する頃になると、就職活動に対して前向きな気持ちを持てるようになったそうです。
就職活動を経て、外資系企業に入社した松下さんは、日本語教育研究や研究室での経験から、「1人ひとりが自分の価値に気づき、自分の能力を最大限に発揮できるしくみ作り」をライフワークに掲げ、その実現のために人事部での仕事を希望。無事に配属された後は、多様な人材を活かす人事の立案や障がい者の雇用を担当し、キャリアを積んでいきました。
摂食障害には伴走者が必要と実感し、元当時者による支援事業を構想

「外資系企業での人事の仕事は、とてもやりがいを感じていました。そんな私の心の奥にいつもあったのが、『摂食障害の問題に取り組みたい』という想いでした。会社員をしながら摂食障害の支援をするために起業することを考えましたが、『自分にはビジネスなんてできない』という思いもあり、しばらく葛藤が続きました」
会社員として4年目を迎えた時、松下さんは「たとえ小さくても行動し、想いを公言することで応援してくれる人が現れる。その力が次の行動の後押しになる」と、起業への決意を固めます。摂食障害の支援をする事業の実現に向けて、「今の自分が踏み出せる小さな一歩」から始めることにしたそうです。
その後、2023年に松下さんが設立した一般社団法人アライアブルは、摂食障害の認知を広める啓発活動のほか、摂食障害の経験者を「元当事者のピアサポーター」として養成し、摂食障害に苦しんでいる当事者たちを支えるコミュニケーションサービスを展開しています。
「ピアサポートは、今現在、摂食障害に苦しんでいる当事者が、摂食障害の経験者であるサポーターに悩みを相談できるサービスです。ひと口に摂食障害といっても、当事者の性別や年齢、生活環境は異なりますし、拒食や過食、併発しやすい発達障害や精神疾患の有無など多岐にわたります。摂食障害の当事者にとって、自分の悩みに近い経験をしているピアサポーターは、摂食障害の先輩といえます。周囲に相談できない生きづらさの気持ちを共有できるピアサポーターとのコミュニケーションが、摂食障害とともに生き、回復への希望を持つきっかけになればと考えています」
ピアサポーターによる摂食障害の支援は当事者のみならず、元当事者であるピアサポーターにも好影響を及ぼすと松下さんは考えています。
「ピアサポーターの皆さんは、摂食障害という理解されにくい生きづらさを抱えて生きてこられた人たちです。時に自分自身の否定にもつながった自身のつらい経験を伝えることが、今の当事者たちの励みになります。ピアサポート事業は、ピアサポーターにとっても『自分の経験が誰かの希望につながる』という実感となり、自身の摂食障害の闘病経験を昇華させるきっかけになっていると感じます」
松下さんがピアサポーターのしくみを重視する背景には、摂食障害の治療に関して次のような事実があるからだといいます。
「摂食障害の治療は長期化する傾向があり、症状が落ち着いた状態といえる寛解までに平均5~6年はかかるといわれています。その半面、摂食障害の医療整備はあまり進んでおらず、専門の医療機関は全国でも数ヵ所しかありません。そのため、長期間にわたって当事者の治療意欲を維持するには〝信頼できる伴走者〟の存在が必要です。ピアサポートによって適切な伴走者のマッチングを実現するには多くの課題がありますが、今後は医師や栄養士といった専門家も交えて『この人に相談してみたい!』と思っていただける出会いを提供していきたいです」
将来的な構想として、摂食障害の元当事者と医療専門家の連携だけではなく、学校や行政機関といった、摂食障害に悩む当事者や家族が集まる場所とも連携し、必要なサービスを作っていきたいと、松下さんは話します。

「摂食障害は代償行為の消失や体重の増加といった臨床的なリカバリーを経れば終わりというわけではありません。再発の予防をはじめ、仕事や学業、家事・育児への参加といった社会生活との両立など、乗り越えなくてはいけない多くの壁があり、そこは医療従事者がすべてカバーできる領域ではありません。そういった『当事者のリカバリージャーニー全体に寄り添える接点』を、当事者と医療支援者の視点から、1つずつ作っていきたいと思います」
ピアサポート事業のほかに、松下さんが立ち上げた事業として注目を集めているのが、摂食障害に関する情報を提供しているウェブメディア『たべこわちゃん』です。
「『たべこわちゃん』は、『食べることが怖い』という気持ちに悩んでいる当事者とそのご家族、パートナー、友人の方々を対象にしたウェブメディアです。摂食障害に関する医療情報をはじめ、食べることへの不安にまつわる情報を、医師や心理士、管理栄養士などの専門家と、同じ気持ちを経験して乗り越えてきた当事者の先輩たちが情報を発信しています。10~20代の若い世代の方にも見ていただきたいので、摂食障害という言葉を強調せず、『食べることが怖い』という共感を重視して『たべこわちゃん』というネーミングにしています。ウェブサイトのデザインも医療寄りではなく、かわいらしさやカジュアルさを意識しています。ご関心のある方は、ぜひ一度、『たべこわちゃん』のウェブサイトをのぞいてみてください」
8年間の摂食障害の経験を乗り越えた現在の体調を「寛解状態」と話す松下さん。昨年には出産をして母親となり、人事の仕事と一般社団法人の代表理事をあわせた3つの顔で奔走する日々を送っています。アライアブルの新しい事業としては、摂食障害のオンライン栄養指導「Eatally」のスタートに全力投球しているそうです。
「私たちの事業は、まだ始まったばかりです。確信しているのは、周囲に相談できず、生きづらさを感じるほどの悩みや苦しみの経験も、ほかの誰かにとっては希望につながる可能性があることです。摂食障害の当事者と元当事者が先輩・後輩の関係として支え合い、お互いが存在意義を確認できるしくみ作りに取り組んでいきます」



