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がん治療中でも美しく——。「医療美容師」が叶えます!

ニッポンを元気に!情熱人列伝

一般社団法人ランブス 医療美容認定協会理事 尾熊 英一さん

抗がん剤による脱毛は、治療中に起こりやすい副作用の1つとして知られますが、いざ髪を失った時の喪失感は女性にとって想像以上といわれます。治療中のヘアケアの大切さを啓発し、医療美容師の育成に努めているのが美容師の尾熊英一おぐまえいいちさん。医療美容の必要性について取材しました。

ウィッグを整えた女性が涙を流して感激し医療美容の必要性を実感

[おぐま・えいいち]——1975年、大阪府生まれ。1998年に美容師免許を取得後、2012年に医療美容師として認定される。2020年、医療美容アカデミーを設立。現在は東京都内と神奈川県内で計5店舗の美容院を経営しながら、東京都八王子市で医療美容院「イルミエール」を運営している。

女性にとって「見た目」はいくつになっても大切なもの。どんな病気を患ってもきれいでいたい、堂々と人前に出られる姿でありたい——そう願うのは、多くの女性にとってごく普通の感情といえるでしょう。そんな女性たちにとって、がんの治療中は、見た目を守ることに苦心する時でもあります。抗がん剤治療の副作用として髪が抜けるのは、多くの女性にとって大きな喪失感を伴うことは想像にかたくないでしょう。

がんをはじめ、病気の治療と向き合っている女性たちを、ヘアケアの視点で支えているのが、美容師の尾熊英一おぐまえいいちさん。東京都内と神奈川県内で計5店舗の美容院を経営している尾熊さんは、一般社団法人ランブス医療美容認定協会が認定する「医療美容師」でもあります。今月の情熱人として紹介する尾熊さんに、医療美容師について伺いました。

「医療美容師という言葉をまだご存じない人は多いと思います。私たち医療美容師の主な仕事は、ウィッグ(かつら)を着けている人たちの個性に合わせてカットを施したり、頭髪の相談に乗ったりすることです。パーツとしての髪は全身の一部にすぎませんが、特に女性にとってはQOL(生活の質)の向上や、さらに大切なQOD(クオリティ・オブ・デス/ダイイング=死の質)まで関わる重要な役割を担っているのです」

そのように話す尾熊さんが医療美容師を目指すきっかけとなったのは、28歳の時。当時、チェーン店の美容院に勤務していた尾熊さんは、店長として毎日の売り上げに追われ、がむしゃらに働いていたといいます。そんな尾熊さんはある時、高校時代の先輩から「がんになった妻の髪を自宅で切ってほしい」という依頼を受けたそうです。

「美容院での仕事を終えた後、夜遅くに先輩のご自宅へと伺いました。玄関から部屋に入ると、そこには私が知っていた美男美女のカップルの姿はありませんでした。先輩の奥様は、がんを患ってから精神的にも肉体的にも、外出しづらい日々が続いていました。先輩は変わり果てた奥様とうまく向き合うことができず、激しいストレスを抱えているのが分かりました」

抗がん剤治療を受けていた先輩の奥様は副作用から脱毛が起こり、ウィッグを着用していたとのこと。尾熊さんは先輩から、「妻に似合うようにウィッグをカットしてほしい」と頼まれたそうです。ウィッグのカットはその時が初体験だった尾熊さん。カットの難しさは想像以上だったと振り返ります。

「それでも仕上がった髪型を見た瞬間、奥様は『かわいい……』と涙を流して喜んでくれたんです。奥様の感激ぶりを見た先輩は肩を震わせていました。この瞬間、私の中でなにかが弾けました。もともと、お客様に喜んでもらいたい、笑顔になってもらいたいと思って志望した美容師の仕事でしたが、初心を忘れていたことに気づいたのです」

美容師としての使命にあらためて気づかされた尾熊さん。医療美容師を育成する一般社団法人ランブス医療美容認定協会の存在を知ったのは、それからしばらくしてからでした。医療美容師を育成する団体として全国にネットワークを持つ同協会に入るには、美容だけでなく、メイク、心理カウンセリング、医療情報といった幅広い分野を勉強する必要があったといいます。

ウィッグのカットによって、表情がいきいきと変わっていることが分かる

「ひと口にがん患者といっても、がんの部位やステージが異なりますし、寛解かんかいして社会復帰を果たす人もいれば、残念ながら亡くなられてしまう人もいます。多くのがん患者さんを見てきた私がいえるのは、『がんという病気はその人の人生をガラリと変えてしまうこと』です。私たち医療美容師は、一人ひとりの患者さんにとっての大きな節目に関わる職業です。治療に対する気持ちにも大きな影響を与えますから、医療や心理分野の知識も必要なのです」

「見た目」は、その人の印象を大きく左右する要素です。年齢を重ねても外見にこだわるのは、女性の本能的な願望といえるかもしれません。気持ちがふさぎ込みがちな治療中こそ、まずは見た目に自信を持たせることが大切と尾熊さんは話します。

「乳がんや子宮がんの患者さんは比較的若い世代が多いですが、世代を問わず脱毛によってほとんどの患者さんが大きなショックを受けます。脱毛後は多くの患者さんがウィッグを着用しますが、最初から似合っている人は少なく、ほとんどが『いかにもウィッグを着けている』という印象になります。その不自然さが、かえって女性たちを落ち込ませたり、うつ状態にまで追い込んだりすることもあるのです」

ウィッグのカットで前向きになり自分探しを叶えられた女性は多い

脱毛のショックを落ち着かせるためにウィッグを着けたものの、似合っていないことであらためて自分の境遇を悲しむ——その矛盾を払拭するのが、医療美容師の仕事。ウィッグを患者さんの個性に合わせてカットすることで印象が変わり、治療に前向きになれる女性が多いと尾熊さんは話します。

「脱毛の悲しみが深いぶん、ウィッグをカットしてきれいな自分を取り戻すと、患者さんの表情がいきいきと生まれ変わります。そこで私は、ウィッグを使ってより自然な髪型だけでなく、普段できない髪型や髪の色に挑戦するなど、ちょっとした冒険も提案しています。仕上がり後に目の輝きを取り戻した患者さんの笑顔を見ることがやりがいです」

来店する患者さんが他のお客さんからの視線を気にすることがないように、美容院の2階には専用の個室を用意しているという尾熊さん。脱毛を「隠すイメージから生活を楽しむアイテムの1つ」として認識してもらうために、ウィッグを段階的に短くしたり、前とは違った雰囲気にガラリと変えたりすることができるのもウィッグの魅力と話します。

ウィッグのカットを通じて患者さんとの関係が密になると、患者さんたちは家族や身近な人たちに話せない悩みを打ち明けてくれることもあると話す尾熊さん。その多くは「なぜ私は、がんになったのか」というがんの原因探し。患者さんが過去について話しはじめた時、尾熊さんは「なんのためにがんになったと思いますか?」と尋ねることにしているそうです。

医療美容によるヘアカットの効果

尾熊さんによる医療美容の例。ウィッグの装着から質感の調整まで、段階をへて仕上げていく

「私からの問いかけをきっかけに、患者さんは自分との対話を始めるようになります。それまでの生き方やこれからの人生、生きるとはなにか、死ぬとはなにか——これまで考えたことがないであろう心の中を深く見つめるようになります。私は患者さんにとっての新しいヘアスタイルを作りながら、彼女たちの『なぜ』に、問いかけをしていくのです」

尾熊さんは、「出会った患者さんの中には、外見の美しさのみならず、同時に内面も磨かれていく女性が多い」と話します。

「がんを患う前とは人生観が変わる女性が多いと感じます。転職や再婚をした人もいれば、強い決意を持って離婚に踏み切られた方もいます。自分らしい人生を見つけてキャリアウーマンの道を歩まれるなど、それぞれの美しい生きざまを見せていただいています。ウィッグのカットをきっかけに、自己実現のお手伝いをさせていただいていると思っています」

ウィッグのカットを担当した女性たちとの印象的なエピソードは数えきれないほどと話す尾熊さん。最近の出会いの中でとても印象的だったのが、ある年配女性からの依頼だったといいます。

「『遺影を撮影したいので白髪のウィッグをカットしてほしい』というご依頼でした。死を迎えるようには見えなかったのですが、『もともと写真嫌いで、遺影にする写真がない。もう年で頭頂部が薄くなっているので、今の姿で写真を撮りたくない』との理由で依頼されました。そこで私はその女性に似合う白髪のウィッグを選び、カットして差し上げたらとても喜んでくださいました。ところが、その女性は遺影を撮影した1週間後に亡くなられたそうです」

個性に合わせてウィッグにカットを施すことで、患者さんの魅力をより引き出していく

喜んでくれた人生の最期の1枚が、その女性にとってのQODだったとすれば、医療美容師の役割がとても大きいと感じさせるエピソードといえるでしょう。

尾熊さんは現在、現役の医療美容師として忙しい毎日を送りながら、医療美容師の育成や普及を図るための活動もしています。美容業界でも知られていない医療美容師の存在を知ってもらうことはもちろん、医療美容師を目指す人たちが活躍できる場があるように、患者さんと医療美容師という需要と供給を結びつける市場作りも意識しているそうです。

「現在、日本国内には約58万人の美容師がいます。海外では、美容師ががんのチーム医療の一員として参加する国もあるそうです。58万人の美容師が医療分野と連携することができれば、患者さんたちの笑顔がもっと増えると思います。そのためにも、まずは医療美容師の存在と必要性を医療従事者の方々に知っていただくことから活動を始めています。医療フォーラムや学会などに参加して、医療美容師の活動内容についてお話しをさせていただいています」

高齢化や医療費増大の問題が山積する中、尾熊さんのような医療美容師の活躍が一層期待されることでしょう。