振付家・アーティスト 香瑠鼓さん
テレビCMや人気ミュージシャンの振付家として活躍する香瑠鼓さん。国内外の華やかな世界で高く評価される一方で、障がい者をはじめ誰もが参加できるパフォーマンス活動の普及に力を入れています。多様性のある世界を目指す香瑠鼓さんにお話を伺いました。
人気振付家として活動しながら妹の不調を機に障がい者との交流を開始
香取慎吾さんが扮した慎吾ママが歌う『おはロック』や、1989年に日本レコード大賞を受賞した人気デュオ・WINKの『淋しい熱帯魚』、俳優の財津一郎さんでおなじみのタケモトピアノ、新垣結衣さんが出演したポッキーのCMといえば、誰もが「それ知ってる!」「見たことがある!」と思うのではないでしょうか。いずれも当時、大きな話題となった作品を手掛けたのが、振付家の香瑠鼓さんです。
そのほかにも、SMAPや郷ひろみさんといった超売れっ子たちの振り付けを担当してきた香瑠鼓さん。活動の舞台は、テレビやCMにとどまらず、映画・演劇・ミュージカルなどジャンルを問いません。これまでに手掛けた振り付けの数は、なんと1300本以上というカリスマ振付家なのです。
香瑠鼓さんがダンスを始めたのは幼い頃。父親の影響が強かったと振り返ります。
「父がダンスホールを経営していたんです。物心がついた時からジャズ好きの父が聴く音楽に囲まれて育ちました。もともと私は引っ込み思案の性格だったのですが、クラスメートの前で踊って注目を集めたことをきっかけに、人前で踊って目立つことが楽しくなりました」
10代の頃から、「将来は日本発のオリジナルミュージカルを創ろう」と考えていたという香瑠鼓さん。努力の末、歌手の石井明美さんのヒット曲『Cha-Cha-Cha』の振り付けを担当したことで振付家としてのデビューを果たします。
その後、香瑠鼓さんの活躍は目覚ましく、歌謡曲・CM・舞台など、独自の振り付けで引っ張りだことなり、人気振付家としての地位を不動のものにしていきました。
華やかな世界での活躍が目立つ香瑠鼓さんですが、実はもう一つの顔を持っています。障がいのある人たちと取り組んでいる、新しい身体表現の普及です。香瑠鼓さん自身、10代の頃から股関節が弱く、2016年に手術を受けています。香瑠鼓さんの妹さんも同じように、10代の頃から股関節が弱かったそうです。
「股関節の不調を抱えていた妹は16歳の時に立てなくなり、車イスの生活になりました。明るくてしっかり者の妹が、車イスでの生活を余儀なくされたことで大変だったこともあります。その妹がサークルで知り合った障がいのある人たちを私の公演に招待したことがきっかけで、彼らとのワークショップを始めることになったのです」
香瑠鼓さんが考案・主宰する「バリアフリーワークショップ」の活動を立ち上げたのは、1996年。今年で27年目を迎えました。
「彼らが持っている視点は、これまで私が持っていた視点と違い、ユニークで面白いものでした。障害のない人にとって当たり前なことが、彼らにとっては当たり前ではありません。彼らと知り合い、触れ合うことで私はいかに〝自分の感覚だけ〟で、人と物を見てきたかということに気づかされたのです」
障がいのある人は、体を自由に動かせなかったり、知的なハンディがあることで振り付けをなかなか覚えられなかったりすることもあるのだそうです。
香瑠鼓さんは、〝瞬間を生きる〟彼らのダンスに心を打たれるようになっていったと振り返ります。障がい者への表現指導をしながら、彼らの中に眠る純粋な生命力を踊りで引き出せた時、舞台には言葉では表現できない感動が広がると話す香瑠鼓さん。そのような舞台を、これまで幾度となく見てきたそうです。
「一般的な感覚で見ればよくわからないような表現でも、彼らにとってはダンスそのものなのです」
バリアフリーワークショップの一つとして障がい者の表現指導に取り組んだ香瑠鼓さんは、以後、体に余計な力を入れずに擬態語や擬音語を交え、素直な表現を目指す「ネイチャーバイブレーション」というメソッドを考案しました。体と心と脳が一体となって活性化し、豊かな即興表現とコミュニケーションが生まれるのです。
股関節の手術の入院中に起こった不思議な体験からメソッドのコンセプトを実感
股関節の手術を受けるために入院していた時、印象的な体験をしたと香瑠鼓さんは振り返ります。
「病院の中庭で一つのネイチャーバイブレーションのメソッドを実践していました。呼吸をして、体の中の水を感じるメソッドです。すると、隣に娘さんのような女性に連れて来られた高齢の女性が座りました。一見すると、その女性は目を閉じて固まって動きません。隣にいる娘さんは食べ物を女性にすすめるのですが、彼女は反応しません。娘さんが席を外した時、女性はふと私を見ました。私は手を上げ下げさせていたのですが、私の手が上がるのと同じように彼女の手も上がったのです。微動だにしなかった女性の変化にびっくりしましたが、その女性も自分自身で驚いた様子でした。『私たち2人の手が、意図せず同じように上がった』という不思議な現象に、彼女自身も目を見開いていました。その時の彼女の目の光は忘れられません」
その後、戻ってきた娘さんが女性を連れて帰ったそうですが、彼女は去り際に「もう食べ物はいらん」とつぶやいていたとのこと。女性の中で何かが覚醒したかのように、来た時とは別人の顔で話していたのが印象的だったそうです。
「続いて、息子さんのような男性に連れられた老女が車イスに乗って来ました。私にはその老女が認知症の患者さんに見えましたが、しばらく2人を観察していると、男性が彼女の爪を深く切りすぎてしまいました。ところが、男性は謝る様子がなく、逆に彼女が『痛くない、痛くない』といったのです。この時、この老女がとても思いやりのある優しい人だと分かりました。と同時にハッとしたのです。1人目の女性の時もそうでしたが、彼女たちの家族や周囲の人は『この人は認知症があるから話しかけても何も分からないだろう』と思い込んでいたのではないか……。でも、そんな固定概念で判断せず、どんな状態であっても、誰もが体の中に秘めている生きるエネルギーや叡智があることを知ってほしい、そのためにネイチャーバイブレーションを体験してほしいと思いました」
ネイチャーバイブレーションの発想の原点には、重度の障がいのある人と、生きる喜びを分かち合いたいという思いがあると香瑠鼓さんは話します。
「私たちの体の6~7割は水でできています。ですから、体の中の水を声によって振動させれば、たとえ体が動かなくても相手と共振できるはず。そう考えて、3年間ほど川や滝の前で声を出す試みを続けました。ある時、『自然の世界とは、こんなにも美しく調和の取れたシンフォニー(交響曲)なんだ』ということを理解した瞬間がありました。感動でした。そして、『この自然界を人間の世界で体現したい』と強く願うようになったのです」
嘘のない表現で相手とつながって共振する
香瑠鼓さんが感じた自然との調和という世界観を約70種のメソッドにまとめたのが「ネイチャーバイブレーション」です。「人間が本来持っている感性を目覚めさせる」というコンセプトは難しそうに聞こえますが、「自然界を受け取るように相手や状況を受け取り、表現する」という極めてシンプルなコンセプトともいえます。
ネイチャーバイブレーションは声を出してもいいですし、指先を動かすだけでもかまいません。実際に、香瑠鼓さんのもとに通っている人たちは、ネイチャーバイブレーションによってさまざまな困難を克服しているのだそうです。
「例えば、統合失調症など複数の障がいで苦しんでいた女性が人前で表現できるようになったり、ジェンダーの問題に苦しんでいた人たちが悩みから解放されたり、発語障害で絶望的な状況だったアナウンサーが再び話せるようになったり、脳梁欠損のある男性が自分自身の体を認識するようになったりと、多くの人が大きく変わっています」
ネイチャーバイブレーションによって自分の殻を打ち破っていく姿は、見る人を感動させます。
「この概念を理解して、実際に体を使うようになったら、年齢も性別も関係なく、自分を解き放つことができます。それはつまり自分を好きになることで、それが〝他者と助け合える世界〟につながるのではないでしょうか。そうすれば、この世界は平和で調和に満ちた、誰にとっても生きやすい社会になると思っています」
香瑠鼓さんは現在65歳。「これからは体力とのせめぎ合い。でも、人はいくつになっても、どんな状態になっても、表現することができます。実際に私が実践をすることで、多くの人に可能性を見せたいと思います」