365カレッジ リニューアルのお知らせ

リハビリ医学教育を通じて〝寛容社会〟を実現することが私の使命です

私の元気の秘訣
日本リハビリテーション医学会理事長 久保 俊一さん


京都府立医科大学の教授として数多くの医師を輩出してきた久保俊一医師。同大学教授・副学長を経て退官した後も、京都学際研究所(がくさい病院)所長、京都府立医科大学特任教授、日本リハビリテーション医学会理事長、日本股関節学会理事長、日本リハビリテーション医学教育推進機構理事長として医療の発展に心血を注ぐ久保医師に、元気の秘訣を伺いました。

見えないものが診える 神秘性にひかれて医師になることを決めました

遮光器土偶を眺め、後世に何を残せるかを自問自答することもあるという久保医師

見えないものをることができる〝聴診器〟というものに神秘性を感じ、小学校の頃から「医師になりたい」と考えるようになりました。幼い頃に体が弱かった私は、よくカゼを引いて近所の医者にかかっていました。診察室では、医師が患者の胸や背中に聴診器を当てて病名を診断しますよね。「聴診器を当てると、なぜ病気が分かるんだろう」と不思議でしかたがなかったんです。振り返ってみると、私は常に「なぜ?」と考えているような子どもでした。

幸いにも、小学校高学年になる頃には体が丈夫になり、中学校では卓球部に所属しました。当時の卓球といえば、体育館の薄暗く狭いスペースで行われる汗臭いスポーツというイメージ。それとは対照的に、ひときわ優雅に見えたのがテニスでした。1971年に和歌山国体が開催されることになり、テニス競技が盛り上がっていたのです。テニスの優雅さに魅了され、「高校に進学したらテニス部に入ろう」と決心しました。

高校・大学ではテニス漬けの毎日。特に大学に入ってからは一年中テニスの練習で、休みはお正月やお盆、試験のときぐらいしかありませんでした。それでも、「努力は必ず報われる」と信じて朝から晩まで練習を積み重ねた結果、キャプテンとして団体戦でチームを準優勝に導くことができました。

テニスに熱中していても「医師になる」という夢を忘れたことはありません。私を支えてくれたのは、中学生の頃に出合った「心願成就しんがんじょうじゅ」という言葉です。おかげさまで、医師になる夢をかなえることができました。

数ある診療科の中で整形外科を選んだ理由は、他の診療科と比べて未開拓の分野が多く、将来性があると感じたからです。大学院に進んだ私は、整形外科領域の中でも股関節こかんせつの基礎研究や臨床研究を手がけました。日本人の平均寿命がいまほど長寿でなかった当時、20、30代で発症するケースがある股関節疾患は整形外科の一大テーマで「股関節を制する者は整形外科を制す」といわれていたのです。

実際に整形外科に配属されてみると、手術や回診、外来などの業務に加え、いろいろな雑務をこなす必要がありました。しかも、当時は教育体制が整っておらず、先輩の仕事を隣で見ながら覚えていくしかなかったのです。学生気分が残っていた私は、臨床現場の厳しさを思い知らされました。

当時は「月火水木金金金」で土日を返上して働き、手術をした日は病院に泊まり込むことがあたりまえでした。手術当日の夜、主治医がそばに付いてくれているかどうかで、患者さんが抱く安心感や信頼感は大きく異なってきます。医療の本質は、安心・安全な医療を提供し、どれだけ患者さんに納得してもらえるかです。医学(診断)は理屈の世界、臨床(治療)は納得の世界とたとえることができますが、この二つのバランスをどう取っていくかが医学教育のポイントといえるでしょう。

その他にも、興味のある分野を探究し、バイオロジー(生物学)、バイオメカニクス(身体運動学)、電子顕微鏡、遺伝子治療、バイオマテリアル(生体材料)など、さまざまな研究に取り組んできました。多方面に及ぶ分野を網羅的に学ぶことで、初めてオリジナリティが生み出されるのだと思います。

「ピンチはチャンス」と考えると問題が新たな 答えを教えてくれます

[くぼ・としかず]——1953年、和歌山市生まれ。医学博士。1978年、京都府立医科大学卒業。1983年、京都府立医科大学大学院修了後、米国ハーバード大学留学。1993年、仏国サンテチエンヌ大学留学、同年、京都府立医科大学整形外科学教室助教授、2002年、教授、2014年、京都府立医科大学リハビリテーション医学教室教授(兼任)、2015年、京都府立医科大学副学長を経て、2019年4月から現職。厚生労働省特発性大腿骨頭壊死症研究班班長、日本整形外科学会学術総会会長なども歴任。著書に『股関節学』『図解整形外科』(ともに金芳堂)、『リハビリテーション医学・医療コアテキスト』(医学書院)など多数。

私は、2019年3月に京都府立医科大学を務め上げました。退官後はしばらくゆっくり過ごすつもりでしたが、そういうわけにもいきません。周りからは「分刻みの生活を送っている」といわれることがあります。

ふだんの生活では、朝4~5時に起きて、前日にやり残した仕事などを一時間程度こなしています。その後、近所の鴨川かもがわのほとりを早朝の澄んだ空気を感じながら一時間ほど散歩するのが日課です。夕食後も同様に一時間ほど散歩しています。不思議なもので、散歩をするといろいろなアイデアが浮かんできて、仕事の問題などを解決してくれることがあるんです。

健康管理の方法として特に大切にしていることは睡眠です。昔から診察の合間などを活用して十分でも十五分でも昼寝をするようにしてきました。いまでも、毎日夜12時には寝るように心がけています。

おかげさまで、大学では数多くの医師を育てることができました。いまでは「丈夫な体に恵まれたこと」「無事に副学長を務め上げられたこと」など、感謝の気持ちでいっぱいです。私の残りの人生では、いままでの感謝の気持ちを形にして恩返しをしていければと思っています。

私にできるのは「教育を通じた社会貢献」ではないかと考えています。その一つが、リハビリテーション医学の学問体系を築き上げ、教育・啓発活動を通じて社会に広く普及させていくことです。リハビリテーション医学は、立ったり座ったりすることから掃除、洗濯、そして、就学・就業、スポーツなど、多岐にわたる活動を活性化させる「活動を育む医学」です。

急速に少子高齢化が進み、リハビリテーション医学・医療が対象とする疾患や障害は、運動器障害や脳血管障害以外にも、循環器や呼吸器などの内部障害、摂食嚥下障害せっしょくえんげしょうがい、小児疾患、がんなど、幅広い領域に及んでいます。いまや、リハビリテーション医学・医療はすべての医療分野に不可欠な存在です。そればかりか、不健康寿命が延びるにしたがって、病院や施設だけでなく一般家庭でも良質なリハビリテーション医学・医療が求められているのです。

リハビリテーション医学・医療を通じた社会貢献の一つとして、私は〝寛容社会〟の実現を成し遂げたいと望んでいます。寛容社会とは、障害のある人もない人も充実した人生を送れる、すべての人に優しい社会のことです。

ただ、決して無理はしません。「いては事を仕損じる」といいます。社会貢献を好きなときに好きなだけ行うことで、余裕を持って継続し、後進にいつでもバトンタッチできる組織体制をまずは確固たるものにしていこうと考えています。

「ピンチはチャンス」———焦りは禁物です。ピンチをどうすればチャンスに変えられるかと考えることが重要なのです。たとえ年齢による衰えを感じたり病気を患ったりしても、それまでの考え方や生き方をリセットするよい機会と捉えられるかもしれません。過去のこだわりや習慣などに変化をつけて前向きな気持ちを維持できれば、いつまでも元気で充実した人生を過ごせるのではないでしょうか。

この記事は「健康365」2019年10月号に掲載されています。