プレゼント

人生の中で今がいちばん幸せ——そういえるように常に笑っています

私の元気の秘訣

俳優  柳沢 慎吾さん

若さと元気の秘訣はたくさん人と会ってたくさん話すことです

[やなぎさわ・しんご]——1962年、神奈川県生まれ。16歳の時に『ぎんざNOW!』(TBS系列)の「素人コメディアン道場」の19代目チャンピオンとなる。その後、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系列)でデビュー。『翔んだカップル』(フジテレビ系列)『ふぞろいの林檎たち』(TBS系列)など、数々の話題作に出演。バラエティ番組でも「あばよ!」「ひとり甲子園」「ひとり警視庁24時」など多くのパフォーマンスを作り上げ、お茶の間の人気を博している。

幸いにして体だけは昔から丈夫で、僕はこの年になるまで病気らしい病気はほとんど経験していないんです。

ただつい先日、肩から背中にかけての一部に異様なかゆみと痛みを感じて病院へ行ったら、帯状疱疹(たいじょうほうしん)と診断されました。僕も昨年、還暦(かんれき)を迎えましたから、まだまだ元気なつもりでいても、不調はすぐ身近にあるものなんだな、と実感しました。僕は早生まれなので、同級生は今年で62歳になります。体が老いてくるのも当然かもしれませんね。

20代から体重が変わらないせいか、周囲からはよく、「あなたはいくつになっても変わらないね」といってもらえます。特に運動して体を動かす習慣があるわけではないんですけどね。

数年前、人からすすめられてジョギングをしてみたんですが、これがエライことになって……。よく考えなかった自分がいけないんですが、真夏の炎天下で走りはじめたら、すぐに脱水症状を起こして道端でへたり込んでギブアップ。そのままタクシーを捕まえて「すみません、○○病院までお願いします」なんて、コントみたいなことをやっていました。それに懲りてからは、走るのもやめてしまいましたね。

自分の健康や元気の秘訣といえば、人と会って話すことに尽きると思います。皆さんのイメージどおりだと思いますが、僕はほんとうにおしゃべりが大好きなんですよ。だから、いろいろな現場に行って、いろいろな人に会えるこの仕事が好きなんです。

それに、たくさんおしゃべりすると、アンチエイジングの面でもいいと思いますよ。少し前に明石(あかし)()さんまさんが「俺たちみたいによくしゃべるやつは、顔にぜい肉がつかへんのや」とおっしゃっていて、妙に納得したのを覚えています。なにしろ顔の表情筋はずっと動きっぱなしですし、時には腹に力を込めて大きな声を出すこともあります。いわば、おしゃべりは全身運動のようなものなんです。

「皆さんのイメージどおりで、ほんとうにおしゃべりが大好きなんです」

ちなみにその時、さんまさんが「俺たちみたいな出っ歯の人間はようしゃべるんや」ともいっていて、これにも思わずうならされました。確かに、出っ歯で太っている人ってあまり見かけないでしょう?「出っ歯はおしゃべりで、普段からエネルギーをたくさん使っているから太らない」というわけです。あくまで、さんまさんの意見ですけどね。

僕はもともと、神奈川県小田原(おだわら)市の生まれで、実家は青果店をやっていました。

子どもの頃からテレビは大好きでしたけど、将来の夢は新幹線の運転手でした。小田原駅は新幹線が止まるので、身近な憧れだったんですね。

それがこうしてテレビに出るようになったのは、高校生の時にTBS系列でやっていた『ぎんざNOW!』という番組がきっかけでした。番組内に「(しろ)(うと)コメディアン道場」というコーナーがあって、これにてっちゃんという友だちが勝手に応募したのが始まりです。

彼とは「てっちゃんしんちゃん」というコンビを組んで、学校でいつも人を笑わせることに夢中になっていたのですが、テレビのオーディションを受けるなんて思いもよらず、実は僕はあまり乗り気ではなかったんです。

オーディションで受からないだろうと思っていたんです

てっちゃんが勝手に応募した時は、幸か不幸か学校の中間テストの時期と重なってしまったので、それを理由に最初のオーディションは断念しました。それでもてっちゃんは諦めず、また応募しましたが、今度は期末テストとバッティング。それでも彼はしつこく応募を続け、三度目にして僕は「しょうがない、一度行ってみるか」と、小田原からロマンスカーに乗ってTBSに行くことになりました。

『ぎんざNOW!』は当時の人気番組で、オーディションには80組くらい来ていました。みんな素人とはいえ面白い人がそろっていて、まず僕らが受かることはないだろうと思っていたのですが、その日のうちにディレクターさんから「来週、スケジュール大丈夫?」といわれ、合格と翌週の出演が決まりました。まったく心の準備ができていなかったので、これにはさすがにびっくりしましたね。

幸いだったのは、こうしたテレビ出演に対して、学校がすごく協力的だったことです。クラスメートたちは僕らの出演をすごく応援してくれましたし、担任の先生も快く送り出してくれました。

「素人コメディアン道場」は5週勝ち抜くとチャンピオンになれるシステムで、竹中直人(たけなかなおと)さんや関根勤(せきねつとむ)さん、小堺一機(こさかいかずき)さんなどを輩出したすごい番組です。中には「出るからには全国制覇してこいよ」という先輩もいましたけど、内心では「関東ローカルの番組でどうやって全国制覇するんだよ」なんて思っていましたね。

テレビの影響というのはやはりすさまじくて、1週目を勝ち抜いて翌日学校に行くと、バスに乗っているだけで人が集まってくる状況でした。これは気分がよかったですね。

僕らはその後も順調に勝ち進み、いよいよチャンピオンの座に王手という段階になって、ある関係者の方から、「君たち、今のままのやり方だと来週は危ないよ」とアドバイスを受けました。いわく、小道具に頼りすぎるきらいがあるので、そろそろ見飽きられているというのです。

僕らにしてみれば、「ここまできたら、どうにかチャンピオンになりたい」と思っていました。何か新機軸を打ち出さなければならないわけですが、ネタを一から作り直すには時間がありません。

そこで、翌週がちょうど学校のテストと重なっていることを口実に、「すみません、テストがあるので収録を一週間、延ばしてもらえませんか」とお願いしたんです。ほんとうはロクに試験勉強なんてしていない高校生だったのですが、これが受け入れてもらえたおかげでネタを練り込む時間が生まれ、僕らは晴れてチャンピオンになることができたんです。今だからいえる舞台裏ですね。

『3年B組金八先生』の演技が好評を得て念願のドラマ俳優に!

17歳になると日本テレビ系列の『TVジョッキー』という番組に出演し、「ザ・チャレンジ」という一芸コーナーでも僕らはチャンピオンになることができました。

こうした実績が買われて、やはり日本テレビ系列の『お笑いスター誕生‼』に出てほしいと声をかけていただいたのですが、僕らはこれを辞退しているんです。というのも、僕はほんとうはコメディアンではなく俳優を目指していて、当時はやっていた『ゆうひが丘の総理大臣』(日本テレビ系列)の中村雅俊(なかむらまさとし)さんみたいになりたかったからです。

一方のてっちゃんに至っては、自衛隊に進路が決まっていました。『ぎんざNOW!』にしても『TVジョッキー』にしても、タレントになりたくてしかたがない人たちが集まる番組でしたから、僕らの進路志望の言葉を耳にしたディレクターさんは、目ん玉をひんむいて驚いていましたね。

なお、僕らが出るはずだった回の『お笑いスター誕生‼』で優勝したのが、とんねるずのお二人でした。あそこで出演をお断りしていなかったら今頃どうなっていたのかと考えると、ちょっと興味深いですよね。

そんなわけで僕は結局、高校を卒業した後は劇団ひまわりに所属して、本格的に俳優の道を目指すことになります。幸い、わりと早い段階で『3年B組金八(きんぱち)先生』(TBS系列)に不良生徒の役で出演が決まり、すんなりと俳優としてデビューすることができました。演技のほうも好評だったようで、僕は順調に俳優としてのキャリアを積んでいくことになります。

「ビッグにならないと!と痛感しました」

もっとも、当時の僕は気づいていなかったのですが、エンドロールで名前が「柳沢順吾(やなぎさわじゅんご)」になっていて、世間では「金八先生」の頃は別名義で活動していたと思われています。でも、そうではなくて、これは単なる誤植なんです。今となっては笑い話ですけど、当時は「もっとビッグになって名前を売らなければだめだ!」と闘志を燃やしていたものです。

その後、ドラマ版の『()んだカップル』(フジテレビ系列)でお鉢が回ってきたことで、僕は少しずつ俳優としての地位を固めていきます。ちなみにこのドラマは同名の漫画作品が原作で、原作者は柳沢(やなぎさわ)きみおさんという、僕と同姓の方でした。おかげで撮影現場では当初、制作陣が僕を原作者の息子と勘違いして、すごく丁重な扱いを受けました。

でも、結局は途中で赤の他人であることがバレて、いつも以上に雑な扱いを受けることになるんですけどね。この時もやっぱり、「ビッグにならないと!」と痛感しました。

演技の世界というのは要求が非常に厳しい反面、やりがいがあって楽しい世界でもあります。

もちろん、こんな僕でも仕事としてこの世界に身を置いている以上は、思いどおりにならないことだって多いわけで、ストレスと無縁ではいられません。問題は、そのストレスをいかに引きずらず、捨てることができるか、でしょう。

僕は幸い、根が単純なせいかひと晩寝てしまえば次の日にはスッキリしていられるのですが、皆さんも何かしら、気分を切り替える方法を見つけておいたほうがいいでしょう。それは酒でも運動でも、なんでもいいと思います。

考えすぎず悩みすぎずがんばりすぎないことが毎日を楽しく生きるコツ

あとは、とにかく考えすぎないことが重要です。人間なんていつどうなってしまうのか分かりませんから、考えすぎてもいいことなんて一つもないんですよ。僕がお世話になってきた先輩方の中には、70歳前後で早々と鬼籍(きせき)に入られた人も少なくありません。つまり僕だって、もしかするとあと10年は生きられないかもしれません。だったら、できる限り今を楽しんで、嫌なことから目を背ける工夫をするのも大切でしょう。

ただし、いつどうなってしまうか分からないからこそ、僕は人間ドックや健康診断を欠かしません。転ばぬ先の(つえ)というやつで、こう見えても意外とその辺りは慎重なんです。

そう考えるのも、今の仕事や人生が楽しくて、満足しているから。街中のロケで通りがかりのおばちゃんに、「あなたを見ていると元気が出るわ」といってもらえることがたびたびありますが、これこそがまさに僕にとっての本望です。自分を見て元気になってくれる人がいると、それがまた僕にとってパワーになる。これが理想的な循環です。

「〝その時はその時〟と割り切ればいいんです」

目指すのは、僕のおやじの姿なんです。今から10年ほど前、80歳になったおやじは、「人生の中で今がいちばん幸せだ」といいました。新潟の田舎(いなか)からまさに身ひとつで出てきて、リヤカーを引きながらの行商から始め、とにかく苦労した時期が長かったけれど、そんな時代に比べたら、子育ても仕事も一段落して、年金をもらって周囲とバカ話に興じていられる毎日が、幸せでしかたがない、というんです。

この言葉に、僕はとてつもない衝撃を受けました。果たして、自分は80歳になった時に、そんなことをいえる人生を送れているだろうか?と。それは決して簡単なことではないのでしょうが、どうにか、そういうふうに人生をまっとうしたいと僕は常々思っています。これはきっと、読者の皆さんも同じですよね。

だからこそ、ストレスをためず、健康診断をちゃんと受けて、あとはできるだけいつも笑って過ごすことが大切です。将来に多少の不安があっても、どうせ考えてもどうにもならないのなら、「その時はその時」と割り切ればいいんです。

また、「がんばります」という言葉もよくないですね。わざわざ自分を追い込むようなことをする必要はありません。どうしてもいいたいなら、頭に「適当に」と添えて、「適当にがんばります」といい換えてみてください。少しは気持ちがらくになって、今よりも楽しい毎日が始まるかもしれませんよ。