プレゼント

大切なことはいつから始めるかだと思います

私の元気の秘訣
松尾流家元 松尾 宗典さん

文亀2年(1502年)から続く茶道の流派「松尾流」の第12代家元としてご活躍されている松尾宗典さん。家元を襲名する前に竜安寺で行った修行は、いままでの価値観が180度変わるほど衝撃的なものだったと語る。

恵まれていた幼少期、中学時代の反抗期、修行を始めた大学時代

[まつお・そうてん]——第12代家元。大学3年生のときに父親が他界し、大徳寺龍光院に入って妙玄斎宗典の号名を受ける。竜安寺大珠院の盛永宗興老師に師事する。松尾流の特徴は男手前・女手前と分かれていることで「男性は男性らしく、女性は女性らしく」「茶碗は回さない」などの作法がある。松尾家の家紋は〝三つ石〝。一般財団法人松蔭会理事長。

松尾流は文亀2年(1502年)、始祖となる辻玄哉が誕生したことに端を発する茶道の流派です。辻玄哉は京都で呉服商を営むかたわら、千利休らに深い影響を与えた武野紹鴎に茶の湯を学んだ人物。6代目にあたる楽只斎宗二が表千家の奥義に達したのを機に、松尾流を名乗りはじめました。

名古屋に移ったのは享保5年(1720年)のこと。利休の茶を学びたいと切望する尾張の人々のために京都から派遣されたことがきっかけで、私で12代目の家元(当主)ということになります。

茶の世界は世襲制ですから、長男として生まれた私は、物心ついたときから松尾流を継ぐことが決まっていました。そのため、お弟子さんたちから「若宗匠」と呼ばれて持ち上げられ、欲しいものはなんでも買い与えられる恵まれた環境にありました。だから、デパートのおもちゃ売り場で「あれを買って」「これが欲しい」と泣きわめいている子どもを見ても、なぜ泣く必要があるのかがまるで理解できなかったんです。これではろくな人間に成長するわけがありませんよね(苦笑)。

中学生になると、そんな私に反抗期がやってきます。どんどん素行が悪くなっていく様子を見て、あるときついに父の堪忍袋の緒が切れました。

「おまえを跡取りにするなど、誰も納得しないだろう。25歳まではめんどうを見てやるが、それ以降はもう勝手にしなさい」

つまりは「出て行け」という勘当同然の宣告。父の言葉を受けてさらにエスカレートしたのか、高校を1度退学してしまいました。しかし、年齢を重ねていくうちに少しずつ生活は改まり、幸いにして大学にも進むことができました。

松尾流を継ぐことになったのは、大学3年生のときに父が他界したことがきっかけでした。東京で大学生活を送っていた私は、慌てて流派を継ぐ準備を始めなければなりませんでした。茶道は禅宗と深い関わりがあり、家元になるには僧籍に入る必要があります。私は、京都の竜安寺でおよそ3年にわたる修行を始めることになりました。

寺での修行は厳しいもので、毎朝4時に起きて掃除や座禅に励む日々。お風呂に入れるのも5日に1度だけ。周りには目上の人間しかいませんから、ちょっと失敗しようものなら、いちいち叱られます。

私は縦社会の経験が皆無でしたが、自分でもよく我慢できたものだと思います。最初の半年ほどは、「あと何日耐えれば家に帰れるぞ」と3年間を逆算し、修行から解放される日をひたすら楽しみにするばかりでした。

ある日、師匠に対して「こんなに自由のない生活にはもう耐えられません。帰りたいです」とこぼしてしまったことがあります。しかし、師匠は私にこういいました。

「おまえ、ここを刑務所かなにかと勘違いしてないか? 門を見なさい。カギもなにもかかってないのだから、出て行こうと思えばいつでも家に帰れるんだぞ」

なるほど、いわれてみればそのとおり。よし、次また叱られることがあったら、すぐに出て行けばいい。内心でそんな決意をしていた私に転機が訪れたのは、寺へ来てから半年ほどたった頃のことでした。

師匠の言葉がきっかけで修行に前向きに取り組み無事に12代家元を襲名

点前の一つひとつに美学があるという松尾家元

私の日課の1つに、師匠や兄弟子のために、まきをくべて風呂をたく仕事がありました。窓越しに「湯加減はいかがですか」と尋ねて火加減を調節するのですが、いつもひと苦労。兄弟子たちからは「熱すぎる」「ぬるすぎる」といった苦言はもちろん、「まきや時間の無駄遣いだ」とまでいわれる毎日でした。

ところが、ふと気づいたのです。師匠だけは私が湯加減を尋ねても、常に「はい、けっこうです」としかいいません。ほんとうは、湯が熱い日もぬるい日もあったはず。それでも師匠は文句ひとついわずに風呂を済ませて、いつか私が自分で察するのを待ってくれていたのです。

そこでその日は、いつもどこかやっつけ仕事だった風呂たきに、これまで先輩方からいわれた指摘を思い返しながら、細心の注意を払って取り組みました。すると、師匠に湯加減を尋ねたさいに、こんな返事が返ってきたのです。

「茶碗は回さない」など松尾流には独自の作法がある

「うん。先に誰かが入って温度を確認してくれたのではないかというくらい、気持ちがいいよ」

師匠の言葉を聞いて、私の目からは涙が止まらなくなってしまいました。周囲の誰もが、私が自分で成長するのを待っていてくれたことを知ったからです。そしてこの夜以降、私はすべての修行に前向きに取り組めるようになったのです。

修行を終えた私は、無事に12代目の家元を襲名することになります。荒れた少年時代や、いい加減だった学生時代を思えば、周囲にとって感慨もひとしおだったことでしょう。茶人としては遅いスタートでしたが、大切なのは「何歳のときに何をしていたか」ではなく、「いつから始めるか」なのだと実感しています。

世の中には病気やケガに悩み、やりたいことをやるのにちゅうちょしている人がおおぜいいると思います。でも、気負わず始めてみることをおすすめします。例えば、茶道で「ひざが悪くて正座ができないから……」と遠慮される方がいますが、最近の茶室にはイスが用意されています。どこかが悪いからできないなどと思う必要はありません。人生は一生修行なのですから、