プレゼント

子宮頸がんを克服できたのは 団結してくれた家族と 職場の仲間たちのおかげです

患者さんインタビュー
美容師 UNIX第三営業部部長・蕨店店長 田中恵美子さん

子宮頸がんと診断された後、息子たちに見られないようにトイレで泣くこともありました

[たなか・えみこ]——1976年、東京都生まれ。美容短大を卒業後、株式会社UNIXに入社。川口店主任、イオンモール川口店店長を経て現職。2013年、長女を出産した後に受けた検査で子宮頸がんと判明。現在、再発なく体調は良好。

私は、3人の子どもを育てながら、スタイリスト(美容師)として埼玉県にあるUNIX蕨店で店長を務めています。仕事と家事、育児の3つを同時にこなすのは、正直大変です。でも、壁があれば挑戦して乗り越えたくなる性格と、家族や同僚に助けられているおかげでなんとかやっています。

わが家は旦那と中学2年の長男、小学5年の次男、4歳の長女の5人家族です。子宮頸がんが見つかったのは、長女を出産したときでした。「死ぬかもしれない」と思った私は、息子たちに見つからないようにトイレで泣いたこともありました。でも、生まれたばかりの長女をはじめ、3人の子どもを残して死ぬわけにはいきません。生きるために努力しようと、気持ちを切り替えました。

前向きでチャレンジ精神が強いのは、子どもの頃にスポーツに励んでいたことが影響しています。幼稚園のときに水泳を始めた私は、オリンピック代表選手の候補になったこともありました。

いちばん調子がよかった高校2年のときの大会でも、残念ながらオリンピック代表選手に選ばれませんでした。競技生活を終えた後も複数の大学から水泳の特待生として推薦入学の話が来ていたのですが、やりきったという気持ちだったのでお断りしました。

私は、美容専門の短期大学に進学しました。母も祖母も叔母さんもいとこも美容師という家系に育った私は、そんな家庭環境が嫌で美容師以外の道を選ぶつもりでした。ところが、友達に誘われて行った原宿の美容室で会ったすてきな美容師さんに魅せられたんです。仕事をしている姿はもちろん、担当しているお客様から信頼を置かれている姿がカッコよくて、美容師の道へ進もうと決めました。

UNIX蕨店は17時までの営業。育児や通院が必要なスタッフでも働きやすいと地元でも評判

美容師としての経験を積んでいた20歳のときにUNIXに入社し、川口店に配属されました。寝る間を惜しんで練習を重ね、21歳のときにスタイリストとしてデビューすることができました。主任に昇格した23歳のときは、1ヵ月に400人のお客様を担当したこともあります。25歳でイオンモール川口店の店長になり、27歳のときにお客様とのご縁から結婚しました。

店長は通常の美容師の業務の他にも若手美容師の練習を見たり、在庫を管理したり、衛生に気を配ったりなど、たくさんの仕事があります。当時は毎朝7時過ぎに家を出て、帰宅は毎晩夜中の12時を過ぎていました。

幸いなことに、旦那は家事を私に押し付ける人ではありません。旦那は仕事でまかないを作っているので料理ができますし、洗濯や掃除もしてくれます。夕食は旦那が作り、朝食は私が準備をするなど、支え合って生活をしていました。

結婚後まもなく妊娠したのですが、切迫流産(流産になる可能性が高い状態)と診断されて入院。1年間休職し、28歳のときに長男を出産して9ヵ月後に時短勤務で復職しました。会社で時短勤務が適用されたのは私が初めてだったので、会社といっしょになって新しい勤務形態を作ったと思っています。

次男を出産したのは31歳のときです。2007年6月に次男を出産して12月に復職したのですが、実際は10月からパートタイマーとして働いていました。というのも、休職中に本社に「田中さんはいつ復帰するんですか」という私の復帰を願う多くのお客様からの電話があったからです。出産から半年後の復職は大変ではありましたが、目指していた信頼の置かれる美容師になれた気がしてうれしかったです。

長女が予定より2ヵ月も早く生まれたのは、私にがんを知らせるためだったと思います

長女を出産したのは2013年10月、37歳のときでした。産婦人科の先生に「11月まで自治体の子宮がん検診を無料で受けられる」と教えてもらい、軽い気持ちで受けたんです。検査結果が出た12月、先生から「すぐに病院に来てほしい」と電話がありました。

子宮がん検診の結果は要再検査でした。先生にどうしたらいいかと尋ねると、「経過観察でもいいかもしれないけれど、もしがんがあったら進行してしまいますよ」といわれました。出産直後は子宮が活発に動いているので、がん細胞も活性化するのだそうです。

先生はすぐに近隣の総合病院に連絡を取ってくださったのですが、手術まで1年待ちといわれました。近くの病院のほうが便利なので1年待とうと思ったのですが、先生は「待たないほうがいい」といって、都内にある総合病院の診察予約を取ってくださったんです。

2014年の年明けすぐに、紹介された総合病院を受診し、細胞診を受けました。1週間後に検査結果を聞きに行くと、採取した5ヵ所の細胞のうち4ヵ所から陽性反応が出ていました。担当してくれた先生から「経験上、子宮頸がんの可能性が高い」といわれ、早急に手術を受けることをすすめられました。

3月にレーザーと内視鏡を使った手術を受け、1週間ほどで退院。手術後の病理検査で、Ⅰ期の子宮頸がんだったことが分かりました。手術を受けるまでに1年待っていたらと思うと怖くなります。

長女は、予定日より2ヵ月も早く生まれてきたんです。もし、予定日どおりの出産だったら、私は子宮がん検診を受けずに、手遅れになっていたかもしれません。長女は私の病気を知らせるために、早く生まれてきてくれたのだと思います。

がんと分かったとき、私はもちろん、旦那も大きなショックを受けたそうです。でも、私も旦那も気持ちの切り替えは早かったように思います。子どもたちには、隠すことなく、母親ががんであることを伝えました。すると、息子たちが私の体調を気遣ってくれるなど、家族全員ががんと闘うために団結できるようになったんです。

退院から、1ヵ月間は絶対安静といわれていたものの、その後は軽く動くようにといわれていました。じっとしていると患部が癒着するおそれがあるので、動いたほうがいいそうです。

その後は半年間のホルモン治療を受けながら、2014年4月から仕事に復帰しました。ホルモン治療ではひどいむくみに悩まされ、頭痛と倦怠感にも襲われました。ただ、理解のあるスタッフに恵まれていたので、復帰後しばらくはゆっくりと仕事をさせてもらえました。

母親と患者の視点を持ちながらお客様とスタッフが気持ちよく過ごせるお店作りに挑戦していきます

家族の一員として田中さんを支えてきた長男は中学2年生に成長

現在は、UNIX蕨店で店長を務めています。閉店時間が17時という、美容室として珍しい営業形態は、私の提案で実現しました。ここは、子育て中のママさんや治療を受けながら働きたいという美容師さんがイキイキと働けるお店なんです。夜遅くまで営業しているお店だと、他のスタッフより早く仕事を終えるのは気が引けますが、17時閉店なら気兼ねなく帰れますし、保育園のお迎えにも間に合います。蕨店ならではの勤務形態は、会社の理解と私の挑戦心があったからできたと思います。

振り返ってみると、がんを患ってよかったのかもしれません。以前のわが家は、インスタント食品やファストフードで食事を済ませたり、のどが渇いたら甘いジュースを飲んだり、食生活がすごくいいかげんだったからです。

いまでは毎日、煮干しとコンブで出汁を取ってみそ汁を作っていますし、納豆などの発酵食品を積極的に食べるようにしています。お昼は自分で握ったおにぎりを食べ、家で煮出した麦茶を飲んでいます。生活習慣を改めたおかげで、家族全員がカゼを引きにくくなりました。

お客様には、子宮頸がんを患ったことを包み隠さず話しています。検診を受けるかどうか悩んでいるお客様には、受診をすすめることもあります。

定期的に受けている検査では、がんが再発する気配はありません。体力も問題なく、元気に働いています。これからもチャレンジ精神を忘れず、前向きに人生を楽しんでいきたいです。