タレント 松村 邦洋さん
ビートたけしさんのものまねを筆頭に、数多くのネタでお茶の間に笑いを届けているタレントの松村邦洋さん。心筋梗塞や新型コロナウイルス感染症などを乗り越えて活躍しつづける、元気の秘訣を伺いました。
テレビで観ていたビートたけしさんに憧れものまねを始めました
田んぼが広がり、山々に囲まれている——そんなのんびりした田舎町、山口県田布施町が僕の故郷です。道を歩けば「おはようございます」「こんにちは」といったあいさつはもちろん、田植え中の近所の人に「精が出ますね」といった言葉をかける。家族はもちろん、住民どうしが互いにあいさつを交わすのがあたりまえの環境で育ちました。
そのおかげで、いまでもあいさつを大事にしています。仕事の出来不出来はしかたないとしても、あいさつの出来不出来はあってはいけないと思っています。あいさつは元気よくすれば、それで100点満点ですからね。
幼い頃は、実はスリムで運動神経もいいほうでした。小学生時代は野球漫画『巨人の星』や『ドカベン』に夢中になり、父親とキャッチボールをよくしましたし、地元のソフトボールチームにも入っていました。
ポジションはピッチャー。球速だけでなくコントロールもよく、そこそこうまいほうでしたから、将来はプロ野球選手になりたいと思っていたんですよ。ところが、同級生にすごいのがいました。抜群の運動神経の持ち主で、投げる球は剛速球——とてもかなわないと思いましたね。なんと彼は後にプロ野球に入ってピッチャーとして活躍することになるんですが、おかげで小学生の時点でプロ野球の世界は無理だと諦めたわけです。
中学生の頃になって、到来したのが漫才ブーム。お笑い番組が続々とスタートし、テレビ山口で夜中に放送されていた『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系列)に夢中になり、よく夜更かしをしたものです。
あるとき学校で、「ビートたけしです」と、たけしさんのものまねをすると、周りから「100点!」と褒められたんです。その言葉が気持ちよくて……。
味をしめた僕は、片岡鶴太郎さん、大平シローさんといったお笑い芸人のものまねを、次々と学校で披露する日々を送るようになり、やがて「ものまねができれば芸能界で活躍できるかもしれない!」という気持ちがはっきりと芽生えてきました。ただ、テレビに夢中になりすぎて、高校2年生のときに留年してしまいましたが……(苦笑)。
大学生になると、福岡のテレビ局でアルバイトをするようになり、ものまね番組にも出演して敢闘賞をもらいました。ある日、鶴太郎さんがテレビ局に来ることになり、僕は鶴太郎さんの控室を訪ねてあいさつをしてから、即「ビートたけしです」と、ネタを披露したんです。すると、鶴太郎さんがネタを返してくださったんです! 僕は「ビートたけしです」と、同じものまねを繰り返すのが精いっぱいでしたが、鶴太郎さんは「おまえ、ものまねうまいよ」と、うれしい言葉をかけてくれました。この一言で、本気で芸能界に入りたくなり、やがて、その鶴太郎さんの紹介ということで、いまもお世話になっている太田プロダクションに入ることができました。大学は中退して上京し、僕のタレントとしての歩みがスタートします。21歳のときでした。
上京したての頃は、大都会・東京になじめず、ホームシックにもなりました。トイレも田舎ではくみ取り式でしたが、東京では水洗があたりまえ。いろいろと、慣れるまでに時間がかかりました。上京して33年もたちますが、正直、いまだに都会での暮らしに慣れているとは思っていませんね。
いよいよ芸能界の仕事に取りかかったわけですが、最初の頃は、同じ事務所だった山田邦子さんや鶴太郎さんといった先輩方が出演する番組の収録が始まる前に、お客さんを盛り上げる「前説」をやらせていただくことなどから、徐々に経験を積んでいきました。
やがて、ラジオやテレビの仕事もたくさん入るようになり、憧れのたけしさんの番組にも出させていただきました。後々のことですが、たけしさんが監督を務めた映画『TAKESHIS.』に役者として出演させていただくなど、タレントとして幅広いお仕事をこなすようになります。
ただ僕の中では、なんといってもものまねがいちばんです。学生の頃から演じているたけしさんや石橋貴明さん、草刈正雄さん、北大路欣也さんなどの芸能人だけではなく、掛布雅之さんや王貞治さんといったプロ野球選手から、小泉純一郎さんや安倍晋三さん、麻生太郎さんといった政治家まで——近所のおじさんや学校の先生なども含めると、ものまねのレパートリーは100を超えると思います。
ものまねの出発点は憧れて心から好きになることなんです
「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますよね。僕のものまねの出発点もまさにこの言葉どおりで、演じる方を心から好きになること、その方に憧れることがいちばん重要だと思っています。実際、僕がものまねをしているときは、その人になりきっていて、まるで魔法にでもかけられたように、心地よい気分になっているんです。
憧れている人のものまねをマスターする方法ですが、その人がテレビに出ていたら、まずは何となくまねてみます。次に、その人の特徴やよく口にする言葉などをノートにメモするんです。
例えば、高田文夫さんの「バウバウ」というネタ。高田さんがたけしさんとのトークの合間に大きく手をたたくことで、トークがおもしろく盛り上がっていくのを見たとき、「コレだ!」と感じました。すぐにメモしましたが、ノートには「ババババババ」という書き込みだけが残っています。つまり、初めてその場面に出合ったとき、僕にとっては「ババババババ」と聞こえていたのですが、ネタとして仕上げる際に「バウバウ」に進化していったわけです。
こうした特定の人物のものまねを取り込んだうえで、話題のニュースや流行をその人のものまねで演じます。「たけしさんがいま流行の話題を話したらこんな感じになるんじゃないかな?」といった具合です。
メモは繰り返し何度も見ますが、鏡の前でのものまねの練習はあえてやりません。「似ていないのが分かっちゃう」ということもありますが、僕のものまねは声がメインだと自負しているからです。ですから、たけしさんのおなじみの肩をぐいっと上げる動作も、特に練習はしていません。
たけしさんが師匠との思い出を綴った自伝『浅草キッド』が、昨年、映画化されました。監督は劇団ひとりの川島省吾くん。主演のたけしさん役は、柳楽優弥さんでした。いざ撮影が始まったものの、柳楽さんの演技や動きがなかなかうまくいかないとのことで、僕にサポートしてくれないかと声がかかりました。
演技に関して僕に指導できることはありませんが、「まねしようとする相手を好きになる」というポイントを、まずは伝えました。たけしさんのことを好きになって、たけしさんが出ている番組を徹底的に観るといいですよと。
次に声のまねですが、ゆっくりと発声したほうがいいとも伝えました。例えば、たけしさんの口癖「バカヤロウ」を、「バーーーカーーーヤーーーローーーウーーー」と、超ゆっくりと発音するんです。
車や電車による移動では見過ごしていた景色や町並みでも、自分の足でゆっくり歩いてみると新たな発見があったりしますよね。ものまねも同じ。ゆっくり発声することで、あらためてその人の特徴が見えてくると、僕は考えています。
それから、柳楽さんの気持ちをリラックスさせることも心がけました。さすがは俳優さんですから、自分なりの努力ももちろんされていて、しだいにたけしさんの動きや話し方を身につけていきました。ただ、冒頭と最後、現在のたけしさんが登場するシーンの声は、実は僕が担当しているんです。
俳優さんにものまねを指導する、正確には「所作指導」というのは、今回が初めての取り組みでしたが、機会があればぜひまたやってみたいと思っています。
マラソンの最中に心筋梗塞で倒れ、気づくとベッドの上でした
上京したときの体重は75㌔でしたが、夜更かしや暴飲暴食などで体重はみるみる増加し、現在のような肥満体型になりました。ただ人間ドックは定期的に受けていて、コレステロール値は高かったものの、ほかの数値はそれほど悪くなかったので、健康については特に気にしていませんでした。
ところが38歳のときに、過去最高の141㌔にまで体重が増加。すると、石塚英彦さん、伊集院光さん、内山信二くんといったデブ仲間と比べても、自分が特別なデブになっていることに気づきました。
さすがにこれはマズいと思い、ダイエットを決行。食事は、朝は豆乳と青汁のみ。昼はご飯少なめで、揚げ物は衣を取る。夜はサラダや野菜鍋にして炭水化物の量を控えるなど、栄養士の指導のもとできちんと食事制限を続けました。
さらに、ジムにも通いました。筋トレのほか、プールでの水中ウォーキングに励み、仕事が休みの日は1日中プールにいて、ひたすらウォーキングしているなんて日もありました。もともと運動が嫌いでなかったことも、よかったんだと思います。
すると1年ほどで、マイナス50㌔の減量で、91㌔まで落とすことに成功したんです。ダイエットに取り組んだらマラソンにも興味を持つようになり、2007年と2008年にオーストラリアのゴールド・コーストで開催されるマラソン大会に参加し、2008年には約6時間50分で完走。2008年には東京マラソンにも出場しました。ただ、この東京マラソンは完走できませんでした。
悔しさをバネにして翌2009年も参加。どうしても完走したいという気持ちが強すぎて、いつもよりも速いペースで走ってしまいました。
当日は途中から記憶が飛んでしまっているわけですが、事前に体の調子が悪いといった自覚はありませんでした。ただ、練習不足だったことと、途中で給水補給がうまく行かなかったことは確かです。あらためていま思うと、まさに死ぬ気で走っていたんでしょうね(苦笑)。
そして、約15㌔走ったところで、心筋梗塞の発作で倒れ、一時は心肺停止状態に。気がついたら、病院のベッドの上でした。
〝病〟はお医者さんに治してもらいますが〝気〟は自分次第です
幸いなことに、いまは何の後遺症もありません。お酒やタバコはやりませんし、夜ふかしもしないで、ふだんから睡眠をしっかりとるようにしています。もしかしたら、こうした日々の習慣の積み重ねが最悪の事態を免れた要因ではないかなと、自分では思っています。ちなみに倒れたことでスポーツ新聞の一面を飾ることができたので、その新聞はいまでも自宅の玄関で額に入れて飾っています。
自分のものまねは声がメインですから、のどの調子を整えておくことが重要です。のどのケアはデビューしたての頃から、入念にしています。耳鼻咽喉科にも頻繁に通っていますし、「鼻うがい」もまめに行っています。お医者さんから聞いた話ですが、チューインガムやアメで唾液の分泌を促したり、小まめに水分を補給したりしてのどを乾燥させないことが重要なのだそうです。
2020年の暮れには新型コロナウイルスに感染し、翌年の元旦から約1週間入院しました。退院してしばらくは胸に違和感が残っていましたが、いまでは特に後遺症のようなものはありません。感染後はうがいに加え、石鹸をつけて両指の間から手首の辺りまで、しっかりと手を洗うようにしています。
楽しいことを考えたり、大きな声で笑ったりする——興味のあることに取り組んで、多くの趣味を持つことが、元気の秘訣だと思います。僕の場合、ものまねはもっとレパートリーを増やそうと思っていますし、歴史や野球、相撲、似顔絵描きなどにも関心があります。
そんな興味がきっかけで、2022年1月9日から放送されているNHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の解説本を書かせていただくことになりました。鎌倉時代は特に好きな年代で、楽しく取り組めました。
もう一つ、元気で過ごすために、ふだんから元気になる本を読んで、感銘を受けた言葉をノートにメモしておくことです。
例えば、相田みつをさんの「いいことはおかげさま、わるいことは身から出たさび」や、萩本欽一さんの「まだ運はあるか」「愚痴の多い人は成長しない」といったフレーズです。
〝病気〟という言葉は〝病〟と〝気〟からできています。〝病〟はお医者さんに治してもらうしかありませんが、〝気〟に関しては自分の意思次第でどうにでもなると考えています。
松村邦洋さんからのお知らせ
『松村邦洋「鎌倉殿の13人」を語る』
(プレジデント社、1,400円+税)
多趣味な松村邦洋さんが筆を執った、日本一おもしろい無勝手流大河ドラマの解説本。平家は滅びたのに、鎌倉幕府で始まる壮絶な殺しあいや真面目でおとなしかった〝あの人"がなぜ生き残れたのか?など、松村邦洋さんならではの切り口を楽しめる1冊です。