一般社団法人ミライフル代表理事、古都鎌倉〝思い出〟図書館館長、健脳相談士 椎原 洋さん
神奈川県鎌倉市は、日本を代表する古都の一つとして、多くの観光客でにぎわっていす。鶴岡八幡宮をはじめ、鎌倉大仏、長谷寺といった名所旧跡が立ち並ぶ中、2024年に開館した「古都鎌倉〝思い出〟図書館」がひそかな注目を集めています。
脳の活性化と自己肯定感を高める回想法を参考に「思い出ノート」を考案

人生の折り返し地点を過ぎると、これまでの人生をふと振り返りたくなることはありませんか? 自分の人生以外にも、老いてゆく親の背中を見ながら、「自分を育てるために頑張ってくれた親の人生をもっと知りたい」という思いを持つ人もいるのではないでしょうか。
私たち一人ひとりには大切な思い出があります。自分・親・友人との思い出をはじめ、日記や趣味の収集物に至るまで、思い出の内容は多岐にわたりますが、それぞれがかけがえのない存在といえます。そのような「個人の大切な思い出」を預かる会員制の図書館が、2024年に開館した「古都鎌倉〝思い出〟図書館(以下、思い出図書館と略す)」です。館長を務める椎原洋さんに、開館までのいきさつと設立時の想い、さらには今後の展開について伺いました。
「私は長年、毎日新聞社に勤務していました。営業職を担当していましたが、2014年に新規事業開発室へと異動になったんです。新聞の購読者層を考えた私は、社内でシニア事業の立ち上げを提案しました。毎日新聞社が設立に関わった公益財団法人認知症予防財団(以下、予防財団と略す)との関係もあって、認知症を中心に健康や心の問題のテーマを担当することになりました」
予防財団の事業のほかにも、健康講座を開講する毎日文化センターの仕事にも携わっていた椎原さん。ある時、聴講者の一人から「自分史を書きたい」という相談を受けたといいます。
「自分史の制作が新しい事業になると思った私は、自分史を書籍化する『毎日思い出ブックス』というレーベルを立ち上げました。ところが、実際に自分史の執筆を依頼すると、『昔の出来事を思い出すことができない』と悩まれる方がおおぜいいらっしゃったんです。その解決になったのが、認知機能の低下を防ぐ方法として予防財団が提唱している『回想法』です。昔の出来事や経験などを思い出すことで脳を活性化し、自己肯定感を高める回想法は、医学的にも認知症の予防効果が認められています。人間の脳は加齢や認知症の影響を受けると近時記憶がなくなり、古い記憶が残りやすいといわれています。回想法を応用すれば、自分の半生を振り返る自分史の制作に役立ち、さらには認知症予防にもなると思って考案したのが『思い出ノート』です」
「思い出ノート」を残すための保管場所として図書館の設立を構想

椎原さんたちが考案した「思い出ノート」とは、①思い出しの準備、②100の質問、③年表、④白地図の主に4つに分かれた項目を書き進めていくと「自分史のもと」が完成する便利なノート。予防財団の監修を受けて2019年に発売され、現在まで15万部売れているそうです(1冊500円・税込)。
思い出ノートが好評を博す一方で、椎原さんは、思い出度を高めた自分史作りに役立たせる目的で、思い出ノートの書き方をアドバイスするワークショップの開催を始めたといいます。
「例えば、思い出ノートの項目に『子どもの頃のあだ名は何でしたか?』という質問がありますが、自分のあだ名はもちろん、ユニークなあだ名として記憶に残っている友人の存在やエピソードについても書いていただきます。回想法は記憶が記憶を呼び覚まします。一つの質問をきっかけに、多方面で眠っていた記憶がよみがえることも少なくないんです」
「思い出し方講座」と命名した記憶の掘り起こしのアドバイスは、本人にまつわる記憶はもちろん、親・兄弟・祖父母・親類・友人にも及びます。また、当時の時事ニュースと連動させることが記憶の呼び覚ましに役立つ場合もあるため、思い出ノートには百年分の年表が付録になっています。
「あなたのご両親はどのようにして知り合い、愛を育み、いつ結婚されたのかなど、若い頃のご両親の人生を知らない方が意外と多いんです。思い出ノートには、あなたの弟や妹が生まれた時、世の中ではこんなニュースがあって大騒ぎをしていたなど、自分のこと以外の出来事も書いていただきます。掘り起こした記憶を関連づけてノートに書き留めていくことで、より濃密な自分だけの自分史のもとができ上がります」
思い出ノートは評判となり、多くの企業から、自社の事業展開に合わせたオリジナルの思い出ノートを作ってほしいという依頼が増えるようになったといいます。

「印象深いのはカラオケ機器メーカーの大手企業さんからのご依頼で、往年の歌手や懐メロの曲名も盛り込んだ思い出ノートを作ったことです。老人施設ではカラオケルームを併設していることが多く、入所者さんたちの交流の場として人気です。カラオケ好きの入所者さんには、懐メロに関する質問をきっかけに自分の人生を振り返っていただき、思い出ノート作りや認知症の予防に役立ててもらっています」
現在までに約400回、思い出ノートの書き方をアドバイスするワークショップを重ねてきた椎原さん。ワークショップの参加者から寄せられたたくさんのアンケートが、思い出図書館を設立するきっかけになったといいます。
「アンケートを読むと、1000人に2人の割合で、『自分や両親が書いた思い出ノートをどこかに残しておきたい』というひと言が添えられていました。思い出ノートを完成させても、いつまでも自分の手元に置いておけるものではありません。そこで、『思い出ノートや自分史を預かる場所があってもいいのではないか』と思うようになったんです」
現在、全国には自分史図書館と呼ばれる施設が複数ヵ所あるといいます。とはいえ、いずれも預かるものは自分史に限定しているそうです。
「自分の生きた証しは、必ずしも自分史だけではありません。例えば、60年間にわたって新聞の切り抜きをスクラップしたノートを100冊以上所有されている方がいました。その方は息子さんに『自分が死んだ後も、このスクラップブックを残してほしい』と頼んだものの、息子さんから断られたそうで、私のもとに相談に来られました。ほかにも、『誰にも読まれたくない日記を預かってほしい』と相談された方もいらっしゃいました。スクラップブックも日記も、ご本人にとっては大切な思い出です。館内のスペースには限りがあるので、基本的にはデジタルデータを活用しながら、思い出のお預かりをしていきたいと考えています」
大好きだった祖母への恩返しのためにも図書館の運営を続けたい

大手新聞社の毎日新聞社を早期退職して「思い出図書館」を立ち上げた椎原さん。行動のきっかけになった一つの理由は、祖母が患った認知症にあったと振り返ります。
「祖母は寡黙な女性で、私をとてもかわいがってくれたんです。私も大好きで甘えていましたが、認知症と診断されてしまいました。ある日、祖母から『誰々さんって知っている?』と尋ねられた時、私はそのまま『知らないなあ』と答えてしまったんです。認知症の患者に否定的な対応は控えるべきという基本的な知識を知ったのは、だいぶ後になってからです。私に否定されたと思った祖母はプイッと横を向いてしまい、これが祖母との最後の会話になりました。2004年のことです。祖母のお墓参りをした時、祖母にかわいがられた思い出が次々と浮かびましたが、『祖母が好きな歌手や本は何だったのだろう。そもそもどんな人生を歩んできたのだろう』と思いました。そして、どんなに考えても答えが出てこない自分に気づいたんです」
かわいがってもらい、大好きだったはずなのに、祖母の人生についてほとんど知らなかった事実にがくぜんとした椎原さん。もっと祖母の人生について知っておきたかったと、今でも後悔していると話します。
「私と同じ気持ちで大切な人を見送った経験がある人はたくさんいるはずです。思い出ノートの普及をはじめ、予防財団の講師も務めさせていただいているのも、祖母への想いがさせているのだと思います。思い出ノートは無限の可能性を秘めています。思い出ノートの書き手を個人から地域に代えることで、日本全国の伝統的な行事や生活文化の伝承に役立てられるかもしれません。一人ひとりの大切な思い出を守り、伝えていくことを使命に、思い出図書館を運営していきます」


