米農家、元バレーボール選手 中垣内 祐一
中垣内祐一元男子バレーボール日本代表で、2021年の東京オリンピックでは代表チームの監督も務めた中垣内祐一さん。57歳になった現在は、なんと故郷の福井で米農家に転身し、自然と向き合いながら新たなキャリアに挑戦しています。中垣内さんの元気の秘訣を探るため、福井市でご本人を直撃しました!
先生の誘いで始めたバレーボールは意外と肌に合っていました

福井に戻ってきたのは2022年、バレーボール男子日本代表の監督を退いてすぐのことでした。
こうして競技を離れて就農するケースが珍しいのか、ありがたいことにたびたびメディアが取り上げてくれるのですが、私としては決して突拍子もない決断をしたつもりはありません。家業がもともと米農家なので、「50歳になったら跡を継ごう」と昔から考えていましたから、むしろ遅かったくらいですよ。
父は鉄工所を経営しながら米を作る兼業農家でした。物心ついた時から当たり前のように農業が身近にあったので、田植えや稲刈り、そのほか子どもでもできる手伝いをするのは、私にとって日常でした。
それなりに活発で運動が好きな子どもではあったと思いますが、とりわけ変わった環境で育ったとは思っていません。自然の中で駆け回って、日が暮れたら家に帰るという、ごくありふれた日常の連続で、バレーボールをやることになったのも、単に中学校の先生から誘われたのがきっかけにすぎません。
自分としては、できれば野球部に入りたいと思っていました。ただ、なんとなくこの中学校の先生の誘いに応じてしまいました。取り立ててバレーボールに興味を持っていたわけではないのですが、「まあ、こういうものなんだろうな」と妙な納得感を持って受け入れていたというか……。きっと、野球にそれほど執着があったわけじゃないのでしょう。
そんな、ちょっと冷めたところがある子どもだったのかもしれません。
中学以来、ずっとこの競技を続けたことを思えば、バレーボールは私の性に合っていたと考えるべきなのでしょう。でも一方で、これが野球であれピアノであれ、なにをやるにしても自分なりに面白さは見いだしていたような気もしています。そういう性格の子どもでした。
高校生になってもバレーボールを続け、大学進学を考える時期になってようやく、「自分はこのままアスリートとしての道を行くのだろう」と、具体的なイメージを持ちはじめました。
もちろん、アスリートとして生きていくのは並大抵のことではないですし、ほんとうにやっていける自信があったわけでもありません。なにか確信のようなものがあっての選択というよりも、「自分はこういう方向に進む人生なのだろうな」と、ここでも少し達観した思いで物事を捉えていたような気がします。
ちなみに、現役時代はただ競技に打ち込むだけではなく、思わぬ形で注目を集めることになりました。テレビ番組に呼んでいただいたり、モデルの仕事をさせていただいたり……。それはそれで得がたい経験だったと今は思います。
ただ、人気というのは第三者によって作られるものであり、決してその人物の価値を表すものではないという気持ちはずっと持っていました。
まして、バレーボール選手としての価値につながるものではありません。だから、どれだけ周囲が騒いでいても、私自身に浮足立った気持ちは一切なく、むしろ煩わしく感じていたというのが本音です。もっと競技に集中しなければならないし、選手として結果を残さなければならないのに、と。
ただ、こうして時を経てから振り返ってみれば、たとえ作られたものであったとしても、あのように人気選手として取り上げてもらえた日々はかけがえのないものでした。今ではさまざまな経験をさせてもらえたことに感謝しています。
選手として引退を決めたのは、2004年のことでした。年齢にして36歳。なぜこのタイミングだったのかといえば、それは単に、選手としてパフォーマンスが上がらなくなってきたことに尽きます。
その後すぐに、「日本製鉄堺ブレイザーズ」というV・プレミアリーグのチーム監督に就任し、指導者の道に進むわけですが、これはみずから望んでのことではありません。私自身は指導者の柄ではないと思っていましたが、その一方で、「順番として、次は自分がやらなければ仕方がないのかな」という気持ちもありました。
もっといえば、これは所属していた企業への恩返しでもありましたし、バレーボールという競技をこの先も存続させていくため、必要な身の振り方だと考えました。
結果的には指導者として海外研修へ行くことになったり、日本代表の監督を務めさせていただいたり、ここでもやはり得がたい経験ばかりで、まさに感謝しかありません。
結果として15、6年ほど指導者としてバレーボールに関わった私ですが、実は監督業をやりながらも、たまに帰省した際はトラクターに乗っていたんです。頭の中にはずっと、「いつか福井に戻って家業を継ごう」という考えがありましたからね。
2022年に福井に帰ってきて農業を始めたわけですが、もともと下地があったかららくにやれるかというと、そんなわけはありません。むしろ分からないことだらけなので、周囲の先輩農家から毎日いろいろと教わり、四苦八苦しながら田んぼを維持しているのが現状です。「トライアンドエラーの毎日」といってもいいですね。

よく、「米作りの難しいところはどんなところですか?」と聞かれますが、難しいところしかないので答えようがないんです。逆に、らくな部分が一つでもあるなら教えてほしいですよ。
でも、やっぱり自分の性格なのか、農業にも農業ならではの面白さを見いだしながら、毎日頑張っています。
農業を始めてから、跡を継ぐ人がいない周囲の田んぼを預かるようになり、気がつけば今は30㌶以上を管理しています。これは当初の3倍に相当します。米農家に限った話ではないのでしょうけれど、後継者不足は深刻な問題です。
でも、生半可な気持ちで務まる仕事ではないので、それも当然なのかもしれません。
米農家の仕事の一連の流れをおおまかにまとめると、毎年2月頃から田起こしを始めます。そして、土をならして代かき(水を張った田んぼの土を細かく砕いて、平らにならす作業)をやっている間に、育苗箱に稲の種をまくんです。4月の終わり頃、大切に育てた苗で田植えが始まります。
稲の成長は天候に左右されるものですし、最近のような度を越した暑さや水不足は、農家の大敵。しかし、なにしろ自然を相手にした仕事ですから、自分の思いどおりになんてなるものではありません。
多くのトラブルに直面しながら、どうにかこうにか9月には稲刈り。それを乾燥させて、もみ殻を取って袋詰めして、ついに出荷となります。ほんとうに厳しい世界です。
ちなみに、私が今育てている米は全部で6品種。わざわざ品種を分けているのは、田植えや稲刈りの時期を分散させて、それぞれ段階的に収穫できるようにするためです。稲というのは、刈り取る時期を逃すとすぐ駄目になってしまうので、こうした工夫が思いのほか重要なんです。
令和の米騒動から考えるこれからの農業に求められるものとは?
こうした多くの苦労と日々直面しながらも、やりがいを持って農業に取り組めているのは、米農家として最高にうれしい瞬間があるからです。
それは、消費者の方から直接「おいしかったよ」という評価をいただけた時。自分で苦労して作ったものでお客さんを感動させられるというのは、なんともいえない喜びです。
自然とともに生きていることを、毎日実感できるのもこの仕事のいいところでしょう。農業というのはいやが応でも季節の移ろいを感じざるをえないわけで、考えてみればこんなに自然と寄り添いながら暮らすことができるのは、人として幸せなことですよね。

私は、農業法人として自前の販路を開拓するなど、営業の面でもさまざまな工夫をしています。このビジネスの部分に注目してくれる人も多いですが、作物をできるだけ高く、有利に販売する努力をするのは、当たり前のことだと思います。農家の仕事は、ただ作物を育てて農協に渡すだけではなく、皆さんそれぞれ、自分が作ったものにいかに価値をつけるか知恵を絞っているんです。
最近、日本は深刻な米不足に悩まされ、米価の高騰が社会問題となりました。ブランド米一俵(60㌔)の価格が、4万円、5万円に達することもあり、連日ニュースにも大きく取り上げられました。
もちろん、消費者からすれば、過剰な値動きはいいことではないでしょう。しかし、行き過ぎた高騰は、すべて農家の手を離れたところで起こっていることで、生産者の側にはなんのメリットもありません。
また、今回の米不足には、各方面からの農業政策に対するさまざまな提言もありました。でも、農家というのは地域が変われば、環境も事情もがらりと変わるもの。一概に補助するといっても、画一的にやるのではあまり意味がありません。
例えば、平野部の比較的トラブルが起こりにくい場所で行われる農業と、中山間地域でシカやイノシシの襲来におびえながら行う農業では、サポートするべき内容も異なるはずですからね。農業政策は状況に合わせて、多様なものでなければならないでしょう。
そして、地球環境を鑑みれば、これからの農業においては、高温化とそれに伴う水不足が極めて大きなテーマです。きっとこれから米は今までよりも高級な食材になるはずです。日本ではずっと、水や空気と同じように米は手に入るものと受け止められてきましたが、実は決してそんなものではないということが今回の騒動で浮き彫りになりました。
とはいえ、米農家の視点からすれば、それは「適正価格に落ち着くということ」にすぎません。メディアはどうしても米の価格高騰を悪いこととして取り上げますが、我々からすると、むしろ米の価格が大きく下落した時こそニュースにしてほしい。安すぎることは、今以上に現場にとっては深刻な問題なのですから。
今、私は農家の仕事とは別に、縁あって大学教授の仕事にも就いています。
現役時代以上に体が資本であることを痛感させられています

毎朝、田んぼに寄ってから大学へ行き、終わったらまた田んぼに戻るというなかなかハードな日々です。日によっては途中で商品の配達に回らなければならず、現役時代以上に、体が資本であることを痛感させられています。
そのため、食事には少し気を使っていて、毎日野菜をちゃんととるよう心がけていますが、あとはもうお酒を飲んで寝るのが私のせめてもの健康管理法です。
農業は自然が相手で、やるべきことが多種多様なため、休みが取れずに完全オフは盆と正月くらいのもの。人間ですから風邪をひくこともありますが、悪化させるわけにはいきません。少しでも風邪ぎみだと感じたら、薬を飲んで早寝し、とにかく全力で症状を抑え込む努力をするんです。
あまり意識しないようにしていますが、人並みにストレスもたまります。でも、ストレスの発散法は、遊んだりサボったりすることとは限らないと思います。仕事でためたストレスを仕事で発散することもできるはずです。例えば、私の場合ならスコップで土を掘る時に「全力を込めて発散する」なんてこともできるでしょう。
元アスリートだから頑丈だと思われがちですけれど、実際はそうでもないんですよ。トレーニングを続けているのであればともかく、普通の生活を2年、3年と続けていたら、もう一般の人と同じ体です。元アスリートは現役時代とは異なる点を誤解して、無理をするからすぐに体を壊すのだと思います。過信は禁物です。
今は、とにかく「早くプロの農家になりたい」。その一心で頑張っています。
福井県の農業従事者の平均年齢は約70歳と高齢ですが、見方を変えれば、それだけ経験と知見にたけた先輩が周囲におおぜいいるということでもあります。今ある環境をポジティブに受け止めながら、これからも自分にできることを精いっぱい頑張っていきたいですね。



