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胃がん術後にワインから新しい道を手にしました

患者さんインタビュー

地方銘酒つるや店主 鶴田 清司さん

深酒とストレスによる胃潰瘍だと思ったら、胃がんと告げられて落ち込みました

[つるた・せいじ]——東京都生まれ。希少な日本酒と厳選されたワインを扱う酒店のほか、飲食店2店舗を経営。45歳のとき、ステージⅠの胃がんであることが判明し、手術を受ける。

私は、東京都西東京市の()(なし)駅から徒歩5分のところにある「地方銘酒つるや」という酒店を経営しています。大学を出てしばらくの間はサラリーマンをしていましたが、27歳のときに父の代からの酒店を継ぎ、今年で26年目になります。

父から酒店を任された私が最初に着手したのは、店の営業形態を「日本酒の専門店」に変えることでした。当時、酒販免許(酒類販売業免許)制度の規制緩和が始まっていて、お酒のディスカウントショップがあちこちにオープンしはじめていました。さらに、スーパーやコンビニエンスストアでもお酒を扱うようになれば、昔ながらの酒店が窮地に追い込まれるのは時間の問題。何か特徴を出さないと生き残れないと思ったんです。

私自身が日本酒好きだったことも、店の業態変更を決断した大きな理由の1つです。幸い、ちょうどいいタイミングで(ぎん)(じょう)(しゅ)ブームが起こり、店は順調に売り上げを伸ばしていきました。2003年には日本酒をおいしく味わえる飲食店もオープンさせ、酒店と飲食店の相乗効果を狙った経営戦略を実現させることができたんです。

私は商売人の多い家系に生まれました。商売人の血が騒ぐとでもいうのでしょうか、私自身、商いが楽しくてたまりませんでした。昼間は酒店の仕事で(ほん)(そう)し、夕方からは飲食店に顔を出して1日中働きました。混んでいるときにはホールを手伝うこともありました。どんなに忙しくても、充実感でいっぱいだったんです。

ただ、振り返ってみると、私はサラリーマンのときから体調が万全とはいえませんでした。会社の健康診断を受けるたびに思わしくない数値が出て、医師から「もう少し節制してください」といわれていたんです。特に、胃は「要注意」の臓器でした。それでも、学生時代からお酒を飲む機会が多く、吐くまで飲むような深酒も珍しくなかったので、「胃が荒れるのはあたりまえ」と、あまり気にしていませんでした。

体調が急変したのは、2012年2月でした。胃が急に痛みだしたんです。とはいえ、胃の違和感とは学生時代からつきあっていたので、最初のうちは「この程度の痛みなら薬を飲めば治まるはず」とたかをくくっていました。ところが、このときばかりはどういうわけか、時間がたつにつれて漠然とした不安が募ってきたんです。

当時、私は公私にわたって大きなストレスを抱えていました。仕事では、飲食店の業績がいまひとつで、これからどうすればいいのかと頭を悩ませていました。家庭では、離婚という難問に向き合っていました。もともと不調の多い胃に、ストレスによるダメージが加わっても不思議はありません。「今回はきちんと検査を受けたほうがいい」と考えを改めて、近所のクリニックを受診しました。

胃カメラによる検査の結果は()(かい)(よう)でした。「やっぱり大したことはないじゃないか」とほっとしたのを覚えています。念のために組織を取って検査をするとのことでしたが、「少し酒を控えればいいだろう」というくらいの軽い気持ちで、薬をもらって家へ帰りました。

1週間後、クリニックの先生から電話があり、「すぐに来てください」といわれました。薬が切れたから電話をくれたのだろうと思ってクリニックを訪ねると、胃がんと告げられたんです。

がんになるなんて、思ってもみませんでした。当時、私はまだ45歳。大学時代にテニス部で厳しい練習に耐えてきた経験から、体力には自信を持っていました。

さらに、私はずっと「自分は運がいい」と確信していました。受験も就職も店の経営も、人生の節目はすべてがうまくいっていたんです。周りの人にも恵まれていました。それなのに、若くして胃がんになるなんて——運がいいというのは勘違いだったのかと思い、ひどく落ち込みました。地元の大きな病院であらためて検査を受けると、担当の医師から「胃がんです。ステージはⅠかⅡでしょう」と告げられました。

胃が3分の1になったけれど生きていることの“有り難さ”を実感できるようになりました

がんと診断されてからものの感じ方が変わり、さらに健康的な生活習慣も身についたという鶴田さん

がんと診断されたことで、ものの感じ方や見える景色が違ってきました。病院からの帰り道、考えごとをしながらぼんやりと歩いていると、冷たい風が顔に当たってハッと我に返りました。ふだんであれば何とも思わないことでも、そのときは風が自分を元気づけてくれているように感じたんです。道端の草を見ても、「寒いのによくがんばっているな」と声をかけたくなりました。

「ありがたい」とは、漢字にすると「有ることが難しい」と書きます。私は死を意識して初めて、「生きていること自体が有り難いんだ」と実感したんです。

がんの手術では、胃の3分の2を切除しました。術後に麻酔が切れたとき、それまでに体験したことのない痛みに襲われて七転八倒しました。ほんの少し動いただけでピチピチと傷口が裂けるような感じがして、慌ててナースコールを押したこともあります。「たとえ激痛が走っても、生きていることをほんとうに『有り難い』と思えるか?」と試されているようでした。

痛みには苦しんだものの、幸いにも私の胃がんはステージⅠでした。担当の先生から「ステージⅠの5年生存率は95%以上です」と聞いて、力が湧いてきました。

やはり生きていることは有り難い。いや、生きているのではなく生かされているのかもしれない。深い感謝とともに、悔いのない人生を歩もう——「転んでもただでは起きない」を座右の(めい)にしている私は、そんな思いをかみしめながら退院したんです。

がんの手術後、生活に大きな変化がありました。胃が3分の1しかないので、いつもおなかが張った感じがして、食事の量が減りました。退院してしばらくは、1杯のソバでさえ食べられませんでした。最近ではもう少し食べられるようになりましたが、ゆっくりと()んで食べるので時間がかかるんです。

再発を防ぐため、体調管理にも気をつけるようになりました。「免疫力を高めるカギは腸」と聞いたので、腸内環境を改善するため、朝食は玄米や果物の入ったシリアルに青汁の粉と乳果オリゴ糖を混ぜ、牛乳をかけて食べています。食物繊維がたっぷり取れるだけでなく、乳果オリゴ糖は腸内で乳酸菌を増やす働きがあるそうです。

昼と夜の食事には、神経をとがらせることはありません。野菜を多めにとることを心がけているくらいです。特に、夜はゆっくりお酒を飲みながら、食事を楽しんでいます。

食事のバランスだけでなく、運動も意識しています。日頃からできるだけ歩くようにして、運動不足にならないように気をつけているんです。テニスも再開し、週に1度はテニススクールで汗を流しています。

ワインが取り持った妻との新婚旅行ではワインを飲みつつフルマラソンを完走しました

鶴田さんが経営する「地方銘酒つるや」は、東京都西東京市にある日本酒とワインの専門店

ずっと日本酒党だった私は、がんを経験してからワインに夢中になりました。きっかけは、「食欲を増進させるにはワインがいい」と聞いたことです。

好きが高じてワインスクールへ通い、ソムリエの資格を取得。店の一角にもワインを置くようになりました。さらに、2014年にはワインを楽しむための酒場をオープンさせ、新しいビジネスチャンスを切り開いたんです。いまの私には、日本酒とワインを扱う酒店、日本酒を味わえる飲食店、そして、ワインを楽しめる酒場という3本の柱があります。ワインとの出合いで、仕事の幅がぐっと広がりました。

ワインはもう1つ、大きな変化をもたらしました。「ワインが取り持ったご縁」で再婚することができたんです。

ワインのお店をオープンしたばかりの頃、いつも1人で飲みに来る女性がいました。何となく言葉を交わしはじめて、ワインの話をしながらいっしょに飲むようになり、気づいたら結婚していたんです(笑)。2人とも大のワイン好きなので、新婚旅行ではワインの産地として世界的に有名なフランス南西部のボルドー地方へ行きました。

ボルドー地方のメドックという町では、毎年9月にマラソン大会が開催されます。収穫間近のブドウ畑が広がる中、仮装したランナーがワイナリー(ワインの製造所)を巡りながら走るんです。各ワイナリー自慢のワインが置かれたエイドステーション(給水・給食の場所)に立ち寄り、ワインを飲みながらゴールを目指します。この大会に妻と2人で参加し、ワインを飲みながら42.195㌔のフルマラソンを完走したことは、一生の思い出になりました。

がんを患った経験は、商売をやっていくうえでプラスにはならないので、伏せておく人が少なくないといいます。でも、私は人から()かれるよりも先に、がんを経験したことを進んで話すようにしています。

早い段階で見つかれば、がんは怖い病気ではありません。私のように手術だけで治るケースもあります。早期発見をするためにもきちんと健康診断を受け、不調を感じたらすぐに病院で検査を受けることが大切です。このような、みずからの体験から得た学びを伝えていくことこそ、私の務めだと信じています。

最後に、少しだけお酒の話をさせてください。お酒は人生を豊かにしてくれます。皆さんがよいお酒を適量飲みながら、毎日を楽しく過ごされることを願っています。