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チャンスをつかむ小さなきっかけになれば幸せです

患者さんインタビュー

小平 今朝好さん

前立腺がんの可能性が高いと感じた当時は、不安に駆られてうつ寸前でした

[こだいら・けさよし]——2019年5月、ステージB、T2aN0M0の前立腺がんと判明し、グリーソンスコア8で悪性度の高いがんだと告げられる。陽子線治療ののち、ホルモン療法を受けている。現在も現役のファイナンシャルプランナーとして勤務。2020年2月、地元紙の『東信ジャーナル』に自作の手作りカレンダー「カナと漢字のおもしろ人生訓」が掲載される。2020年4月、NPO法人腺友倶楽部に入会。

22歳で日本生命に入社し、73歳になった現在も現役のファイナンシャルプランナーとして働いています。2003年の健康診断で、初めて便潜血反応が陽性になり、2005年に大腸内視鏡検査を受けたところ、良性ではあるものの、最大25㍉、最小4㍉のポリープが合計7個も見つかりました。

40歳から30年以上健康診断を受けてきて、ポリープが見つかった以外、検査項目はすべて基準値の範囲です。丈夫な体に生んでくれた両親に感謝していました。ところが、2017年秋からは、夜間頻尿に苦しむようになりました。毎晩4、5回、尿意が起こって目を覚ましてしまうんです。

最初は年のせいだと思っていましたが、翌年になっても夜間頻尿は治る気配がありませんでした。「原因は加齢ではなく病気かもしれない」と心配になって近場のクリニックを受診したんです。クリニックでは、(ぜん)( りつ)(せん)()(だい)や前立腺がんの指標であるPSA検査を受けることになりました。長い間健康診断を受けてきましたが、PSA検査だけは受けていませんでした。

PSA検査を受けた結果、基準値は4.0以下であるのに対して5.02であると判明しました。その後、検査のたびにPSA値は上昇しつづけ、2019年には6.59に達したんです。同年4月に別の病院でMRI(磁気共鳴断層撮影)検査を受けたところ、左側の前立腺に8㍉ほどの影があることが判明しました。ここにきて、私は「がんの可能性が高い」と感じるようになったんです。

人生を振り返ってみると、20歳の頃に東京の銀座でバーテンダーとして勤務し、地元に帰って保険会社の営業を本業としながらもバーテンダーを継続。さらに、クラブやキャバレー、ディスコなどのトップとして経営に参画しました。また、40歳からは結婚式の司会者の活動を始め、16年間で600組以上の挙式に携わりました。2、3足の草鞋を履き、充実した人生を送ってきた自分が、前立腺がんの可能性が高いと感じた当時は、不安に駆られてうつ寸前でした。

私は前立腺がんにはどんな治療法があるのかをインターネットで調べるだけでなく、全国20数ヵ所の病院へ直接電話で聞くようになりました。今考えると軽率な行動でしたが、当時は切羽詰まった思いで自制することができませんでした。もちろん対面で診察しなければお話しできないという答えが多かったものの、電話で親切ていねいに説明してくれるところも少なからずありました。中には医師の先生から電話をかけ直してくれる病院もあり、涙が出るほどうれしく、近場であればすぐに診療を受けたいと思ったものでした。

がんの標準治療は手術療法・放射線療法・化学療法(抗がん剤治療)があり、前立腺がんにはロボットを使った先進的な手術も健康保険が使えることは聞いていました。また、インターネットで放射線を専門とする大学教授による講演の動画も見つけました。教授の話では、放射線療法は機能と形態を温存できる可能性が高く、比較的負担が少ないとのこと。特に印象に残ったのは「前立腺がんの手術は体にとって大ケガ」という言葉でした。

動画を見て放射線療法が大きく進歩していることは分かりましたが、自分に合っているかというと不安が拭えませんでした。前立腺は直腸に非常に近い場所にあるため放射線療法で弱った直腸の痕にポリープができて治療が必要になると、腸管に穴が開いてしまって(じん)工肛(こう)(もん)になる可能性があるという話を聞いていたんです。

小平さんは自身で情報を集めたうえで陽子線治療を受ける決心をした

さらに情報を集めたところ、従来のピンポイントで照射する放射線療法よりも進化した陽子線治療や重粒子線治療といった「粒子線治療」があり、ごく最近になって健康保険が適用されるようになったことを知りました。粒子線治療は前立腺の後ろにある直腸までは届かず、ほとんどががんに留まるそうです。さらに自分なりに情報を精査したところ、重粒子線治療よりも陽子線治療のほうが直腸への影響は少ないと感じました。

2019年4月に受けた精密検査の結果、予想どおり前立腺がんと診断され、ほかのがんではステージⅡに当たるステージBだと告げられました。がんの広がり具合は、T2aN0M0と説明されました。T2aは前立腺の片側の半分程度の大きさであることを示し、N0とM0はそれぞれリンパ節とほかの部位に転移がないことを示しているそうです。また、悪性度を示すグリーソンスコアは、2~10まで段階がある中で8と、悪性度の高いがんであることを示していました。

担当の先生はがんの告知の後、治療法についての説明を始めました。懇切ていねいに話してくださり、最後まで説明してもらうのは申し訳ないと思いました。そこで、説明の途中で、自分から「陽子線治療はどうでしょうか」と聞いたんです。担当の先生は嫌な顔ひとつせず、「納得しなかったらいつでも帰ってきていいですよ」といって陽子線治療を行っている病院への紹介状やデータを速やかに用意してくれました。

陽子線治療にはホルモン療法を併用するとより成果が出やすいらしく、転院するまでの間は経口薬によるホルモン療法を前立腺がんと診断された病院で受けました。6月に転院し、持病である大腸ポリープの検査と切除、さらに大学病院に3日間入院して陽子線治療の精度向上と直腸への負担軽減のための処置を受け、7月からはホルモン剤の皮下注射が始まりました。

陽子線治療を受けるために、2019年11月初旬から12月初旬にかけて、平日のほぼ毎日、22日間通院しました。終了して2ヵ月後には、PSAの数値が0.003と劇的に改善。陽子線治療の後は、2年間のホルモン剤の皮下注射と10年間の経過観察をすることになっています。

優秀なファイナンシャルプランナーに贈られる表彰式でゲストの原辰徳選手(現・読売巨人軍監督)といっしょに撮影

幸い陽子線治療の副作用は軽くすみ、軽度の夜間頻尿と肛門に違和感があった程度でした。ただ、ホルモン療法の副作用のせいで、筋力・骨密度の低下だけでなく、体つきが女性に近くなって男性としての欲望がなくなりました。また、左小指の第一関節が曲がってしまいました。しかし、がんの脅威に比べたら軽いものです。

治療法は人によって異なるため、前立腺がんすべてにこの方法が最適だとはいえません。幸いにも私の前立腺がんの治療がうまくいっているのは、ひとえに医療従事者の皆様のおかげです。担当の先生はいつも笑顔で、心が温まって安心感を覚えます。医師の笑顔は患者の心の特効薬だと思います。陽子線治療の前の処置をしてくれた先生は、看護師に任せず、みずから車イスを押してくれました。その先生は、退院直前の回診に教授の先生といっしょに見え、私が挨拶をしたら「もうここに来ないようにしてくださいね」と笑いながら握手をしてくれました。また、多忙であっただろうに、電話で懸命に説明してくれた医師や看護師の方などにはただただ感謝するばかりです。

私から何かを感じ取ってくれる人がいるなら最大限積極的に生きなければと思ったんです

『東信ジャーナル』に記事が掲載されたことが、小平さんの考えを変えるきっかけになった

前立腺がんといえば「進行は遅く、すぐ死につながる病気でない」と慰められがちです。前立腺がんになった人でなければ分からない心労、苦痛があります。体内から出て行って欲しいのですが、免疫力を高めてがんを抑え込み、共存していくことも一つの手段です。もちろん、「悠長なこというな」という人もおおぜいいらっしゃると思います。やはり大切なのは、患者自身も情報収集を行い、個々人の治療方針を先生と相談したうえで納得して治療に臨むことなのでしょう。

がんになったことを他人に知られたくないという人は少なくありません。私も、陽子線治療が終わるまでは他言を控えていました。苦しさはありましたが、愚痴をこぼせばみじめさが返ってくるように感じていました。

そんな私ががんであることを隠さなくなったのは、地元紙の『(とう)(しん)ジャーナル』がきっかけでした。

私は2003年から、招福のオリジナル人生訓をつけた手作りカレンダーを仕事などで世話になっている人や入手希望者に配っているんです。人生訓は、ふと頭に浮かんだカナと漢字を並べているうちにできた文で「カナと漢字のおもしろ人生訓」と名づけました。一例を挙げれば「コツコツ コツコツと集中してコツコツやれば骨となり身になるが ボツボツ やろうかと思っているといつの間にかその気も没になり」などです。

この手作りの人生訓カレンダーが、2020年2月に地元紙の『東信ジャーナル』に取り上げられました。一面にカラーで掲載されたおかげか、多少なりとも反響があったようです。記事を読んでくださった人の中には、交通事故に遭って1ヵ月余りも意識不明の重体だった方がいました。意識が戻った後に東信ジャーナルを読んだ彼は「この記事を読んで生きる勇気をもらった」と電話をしてくれ、私は鳥肌が立つほどの感動を覚えました。

がんになって、「自分だけがなぜ?」と思ったことがなかったとはいいません。でも、『東信ジャーナル』の記事が私に大きな変化をもたらしました。私のつたない生き方でも何かを感じ取ってくれる人がいるなら、がんによる闘病生活を前向きに捉え、最大限積極的に生きなければいけないと思ったんです。

雅号の「(こう)(すい)」には、「幸せをつかんでほしい」という願いが込められている

2020年に参加した前立腺がんの患者会「NPO法人(せん)(ゆう)()()()」は、新型コロナウイルス感染症対策のため、会合などの活動は自粛しているようです。ですが、会報誌やメールで送られてくる同じ前立腺がんの患者さんの情報は大いに参考になっています。彼らと同様に、私のがんに取り組む姿勢も、誰かの励みになるかもしれません。

これからは自分を大切にして、いままでの苦労を労い、優しく褒めてやりたいと思っています。「健康寿命100歳に挑戦!」そんな気持ちを持ってこれからの人生も前を向いて生きて行きたい。過去を変えることはできませんが、これから迎える未来は変えられます。人との出会い、色々な情報、あらゆる物事が生き方を変える可能性を秘めています。

私は()(ごう)として「(こう)(すい)」を名乗っています。これには、「誰にでもチャンスはある。それをつかむかつかまないかで幸せは決まる。ヨイショヨイショと幸せの水を汲み上げて幸せをつかんでほしい」という願いが込められています。誰もが、それぞれの人生を精一杯生きて来たと思います。そんな人生を労い、もう一度生き方を前向きに変えられることが幸せだと思うんです。私の話が、誰かを前向きにする小さなきっかけになれば、これ以上の幸せはありません。