365カレッジ リニューアルのお知らせ

自分に合った治療法を見つけられたのは、愛する家族がくれたたくさんの勇気のおかげです

患者さんインタビュー
松前 直子さん

がんであることが分かったとき真っ先に思い浮かべたのは将来への不安と家族の顔でした

[まつまえ・なおこ]——東京都生まれ。2015年、ホジキンリンパ腫と診断される。現在は闘病体験をブログで発信しながら、ライフ・メディエイターとして、リフレクソロジーやカウンセリング、カードを使った占いなどで、心と体を癒やす仕事に携わっている。

私が体の異変を感じたのは、2014年9月のことでした。乳首から滲出液しんしゅつえきが大量に出はじめたのです。乳がんを疑って検査を受けましたが、異常は見つかりませんでした。

2015年1月、今度は左の鎖骨の下辺りがぽっこりとれているのに気づきました。腫れた部分の大きさは、直径5㌢くらい。冷やしても腫れは治まりませんでした。

患部から少しずつ痛みを感じるようになりましたが、幼い頃から病院が苦手だったので、そのまま放置していました。すると、3~4ヵ月後の夜に突然、それまで体験したことがないほどの激しい痛みに襲われたのです。たとえるならば、腫れた患部に餅つきのきねを力いっぱい振り下ろされたような激痛でした。

知り合いの整形外科の先生のところへ駆け込み、血液検査を受けました。検査の結果、白血球の数がかなり多く、肝機能が低下していると指摘されましたが、痛みの原因ははっきりしませんでした。

夕方や夜中になると痛みがひどくなるので、整形外科で処方された強い痛み止めを服用してしのぎました。とはいえ、薬でどんなに痛みが抑えられても、「痛みの原因が分からない」という不安はどんどん膨らんでいきました。

2015年6月、職場の健康診断でレントゲン検査を受けた結果、縦隔じゅうかく腫瘤しゅりゅうがあることが分かりました。縦隔は左右の肺や胸骨に挟まれた空間で、心臓や食道などの臓器があるところです。まさに、私が痛みを感じていた部分でした。

健康診断を受けた後、私はレントゲン写真を持って、以前てもらった整形外科の先生を訪ねました。すると、写真を見た瞬間、先生の顔色がサーッと変わったのです。先生の様子から「ただ事ではない」と察した私の目に、思わず涙があふれてきました。

先生から「詳しく調べる必要がある」といわれ、検査を専門とする機関でCTスキャン(コンピューター断層撮影装置)を使った検査を受けました。さらに、総合病院でPET-CT(PET〈ポジトロン放出断層撮影装置〉とCTスキャンの画像を同時に撮影できる機器)で検査を受けた結果、担当の医師から「肺がんか胸腺きょうせんがんか悪性リンパしゅです」と告げられたのです。私はこれから自分がどうなるのか、どうすればよいのか分からないまま、主人と中学2年生の娘の顔を思い浮かべるばかりでした。

抗がん剤治療の強烈な副作用に苦しみましたが、娘のためにも絶対に治すと誓いました

採取したがん組織の検査が終わった7月に、ステージⅡBの悪性リンパ腫と判明。さらに私の場合は、複数の種類がある悪性リンパ腫の中でも、日本では患者数が少ないホジキンリンパ腫であることも分かりました。

血液のがんは、抗がん剤治療が効くといわれています。私は主治医の先生と相談し、全部で4回の抗がん剤治療を受けることにしました。また、先生から「状況によっては放射線治療も行うかもしれません」と、今後の治療方針を伝えられました。

抗がん剤治療がお盆明けから始まることになったので、お盆休みの間は家族旅行に出かけました。家族3人で「治療の前に思い出を作ろう」と話し合い、愛知県に住む友人の家を訪ねることにしたのです。旅行中、不安がなかったというとウソになります。それでも私は「必ず治る」と信じて、家族水入らずの旅を楽しむことにしました。

8月17日から始まった抗がん剤治療は、予想以上に体への負担が大きいものでした。1回目の治療のときは入院しましたが、2回目以降は自宅から通院して治療を受けました。抗がん剤治療の副作用で特につらかったのが、猛烈な吐き気と倦怠感けんたいかんです。治療を受けるたびに、もがき苦しんでいました。

苦しんでいたのは私だけではありません。抗がん剤の副作用にもがき苦しむ母親の姿を間近で見つづけていた娘にも、精神的な負担がかかっていました。

不安や心配のみならず、「もしかしたら母親がいなくなってしまうのではないか」という恐怖が、娘の心を徐々にむしばんでいきました。通学していた中学校の先生から「登校していません」と電話がかかってきたこともありました。帰宅した娘に事情を尋ねると、「通学路がぐにゃぐにゃと曲がって見えたので動けなくなった」と話してくれました。

娘が私のことをどれだけ心配してくれたかと思うと、胸が熱くなりました。娘を一人にしてはいけない。娘のためにも絶対に治してみせる———そう心に誓ったのです。

ただ、当時の私にとっては、抗がん剤で得られる治療効果よりも、副作用のつらさのほうが強烈でした。治療を重ねるごとに、体と心が衰弱していくのが自分でもよく分かったのです。

3回目の抗がん剤治療を終えたとき、私は「このまま治療を続けると、たとえがんを克服できたとしても、肉体的・精神的なダメージが大き過ぎて二度と立ち直れない」と思いました。以後は毎日、4回目の抗がん剤治療を受ける直前まで、治療を続けるかどうか悩み抜きました。そして葛藤の末、主人や実家の母と姉に「もうこれ以上、抗がん剤治療を続けられない」と、断念することを伝えたのです。

抗がん剤治療を最後までやり遂げることで、がんを克服した人はたくさんいます。抗がん剤治療の価値を認めている主人はきっと、私が治療をやめることに強く反対するだろうと思っていました。

ところが、主人は「ママらしいね。ママがしたいようにすればいいよ」といってくれたのです。主人の「ママの気持ちを尊重したい」という優しさに心を打たれ、勇気をもらいました。

実家の母と姉も「何度も交通事故に遭っているのに無傷でいられるあなたなら、きっと大丈夫」と口々に励ましてくれました。私を案じていた娘も、「もうママが苦しむ姿は見たくない」と賛成してくれたのです。

直感で選んだ食事療法や運動、健康食品を根気よく続けたら定期検診の結果はA判定でした

抗がん剤治療をやめる決意を固めたものの、自分の体のために何をすればいいのか見当もつきませんでした。手探りで前に進もうとしていた私を導いてくれたのは、がんを克服した人たちの体験談でした。本やインターネットを通して、がんを乗り越えた人たちの経験を読むと、希望が湧いてきたのです。

たくさんの体験談から力をもらった私は、自分自身にしっかりと向き合うために催眠療法を受けることにしました。催眠療法によって瞑想めいそう状態に入ったとき、私の頭の中に「道の途中に落ちてきたものを拾い上げるように進め」という言葉が浮かびました。自分自身の声ともいえるメッセージによって、以後の私は情報に振り回されることなく、自分の感覚で「いいな」と思える治療法を選べるようになりました。

私は直感で選んだ陶板浴とうばんよくによる温熱療法、発芽玄米を食べる食事療法、速足で歩く運動療法、健康食品を使ったサプリメント療法などを根気よく続けました。こうした治療法がすべてのがん患者さんに同じ効果を発揮するとは限りませんが、自分を信じて取り組むことにしたのです。

抗がん剤治療を断念してから半年後の2016年6月、定期検診を受けた結果はA判定でした。うれしさが心の底からこみあげてきました。

松前さんはリフレクソロジーやカウンセリング、カードを使った占いなどにより、人々の心と体を癒やしている

私はいま、リフレクソロジーやカウンセリング、カードを使った占いなどで、多くの人々の心と体をやす一助となる仕事に携わっています。もともと私は、超自然的な現象や考え方に興味があり、もっと深く勉強したいと思っていました。ところが、「母親」「妻」という役割への責任感や周囲への配慮などのしがらみから、自分の素直な気持ちや欲求をずっと抑え込んでいたのです。

私はがんを経験したことで、「治療の主体になるのは主治医の先生ではなく、自分自身だ」という強い思いを持ち、自分の心と体の声を真摯に受け止めて行動することの大切さを学びました。がんになったことをきっかけに、「よいことも悪いことも、すべての出来事には意味がある」と思えるようになり、自分がしたいと思ったことを行動に移せるようになったのです。

私がたくさんのがん患者さんたちの体験談によって救われたように、私の闘病体験やいま携わっている仕事が、病気や人間関係で苦しんでいる人のお役に少しでも立てるのなら、とても幸せです。

"【あなた】によって開かれる"
Nao👼さんのブログです。最近の記事は「『こころ』に響かないこと(画像あり)」です。
この記事は「健康365」2019年10月号に掲載されています。