俳優 鹿賀 丈史さん
数々の映画やドラマ、舞台で活躍するほか、社会現象的なブームとなったバラエティ番組『料理の鉄人』(フジテレビ系列)でも異彩を放った俳優の鹿賀丈史さん。「私の記憶が確かならば……」の決まり文句を鹿賀さんの代名詞のように思い出す人もきっと多いでしょう。8月にミュージカル『ある男』を控える鹿賀さんに元気のをお聞きしました!
小学生時代に合唱を始め将来の夢は声楽家で音楽が大好きでした

歌との出合いは、小学校3年生の時に地元・金沢の少年合唱団に入ったのがきっかけでした。
ただ、これは決して自分から望んで始めたことではないんです。人より歌うのが上手だったわけではないのですが、気がついたら当たり前のように入団していました。きっと、学校の先生のすすめだったのでしょう。
この市営の合唱団は、当時の私にはとても楽しい場所でした。子どもにたっぷり愛情を注いでくれる優しい先生たちは、児童合唱曲ばかりではなく、時にはシューベルトといったちょっと難易度の高い曲など、やりがいのあるカリキュラムも用意してくれました。
また、音楽活動自体もさることながら、子どもたちはみんな仲がよくて、学校の外の新しいコミュニティに加われたことも楽しかったですね。
父の仕事の都合で、一度金沢を離れ、東京の麻布十番で2年ほど暮らした時期もありました。これはこれで、都会での生活が目新しかったですし、山の手の子どもたちの活気に触れるのがとても楽しくって……。私自身、誰とでもすぐに親しく交われる、人懐っこい子どもだったのでしょう。
そして、金沢に戻り、中学、高校と進む中でも、音楽への関心は失わず、中学では吹奏楽部でトランペットを担当し、高校では合唱部に入ってレッスンに明け暮れ、さらに自宅ではピアノの練習に夢中になっていました。
そういえば、小学校の卒業文集には「将来は声楽家になって世界を回りたい」なんて書いていましたから、基本的に音楽が大好きな子どもだったということですね。
だから、一時期は本気で音楽大学を目指していて、高校卒業後も浪人生活を送る決心をしていました。ところがある日、アルバイト先の友人が劇団四季のオーディションを受けるといい出して、「おまえも歌えるんだから、一緒に受けてみないか」と誘ってくれたのです。
当時の劇団四季はまだまだ小さな所帯で詳しいことはよく知らなかったのですが、幸いなことに私は20数倍の競争率を乗り越えて、研究生として劇団四季に入ることになりました。誘ってくれた友人は残念ながら落ちてしまったのですが、これが人生の分かれ道でしたね。

研究生としてレッスンに励んで2年目、『ジーザス・クライスト=スーパースター』というロックオペラの劇で、私は主役のジーザス役に抜てきされます。このあたりは子どもの頃からずっと音楽に打ち込んできた下地が物をいったのかもしれません。
ちなみに、この『ジーザス・クライスト=スーパースター』は、当時新設されたばかりの中野サンプラザホールのこけら落とし公演でした。大きな会場とあって、先輩方は皆、いつもと違って緊張した面持ちで準備を進めていましたが、私はもともと楽観的な性分のせいか、緊張することはまったくなく、本番前も楽屋の前の駐車場でキャッチボールをしていて怒られたほどですから、ちょっと緊張感が足りなさすぎだったかもしれませんね(笑)。
もっとも、駆け出しの若輩者ですから、本番での自分の出来自体は、大したことはなかったと思います。しかし、とにかく作品が素晴らしく、日本初上演であったこと、さらにジャポネスク・バージョンとして歌舞伎のような隈取メイクだったことなどから、大いに話題を呼び、それまでの日本の演劇界、ミュージカル界に一石を投じた作品といっても過言ではありません。
こうした実績を皮切りに、私は『ウエスト・サイド物語』や『カッコーの巣をこえて』など、さまざまな作品に出演することになります。同時に劇団四季そのものがどんどん大きくなっていき、私自身も劇団とともに成長していったのでした。
私は29歳の時に劇団四季を去ることになりますが、これは『カッコーの巣をこえて』で、音楽やダンスを含まず、台詞と演技だけのストレートプレイを経験したことで、お芝居の面白さを身をもって体感したことが大きかったですね。
ミュージカルは私にとって大切なジャンルの1つではありましたが、ここから先はより幅を広げて、映画やテレビドラマの世界でも芝居がしてみたい——そんな気持ちが膨らみはじめたのです。
そこから、私は松田優作さん主演の『野獣死すべし』や、金田一耕助役を拝命した『悪霊島』、和田誠監督の『麻雀放浪記』などなど、多くの映画で演技をさせていただく機会を得ました。
フジテレビが1990年代に放映した『振り返れば奴がいる』では、中川淳一という、病院の外科部長でありながらちょっとミステリアスな役柄を演じ、好評をいただきました。実はこのキャラクター、後にあの『古畑任三郎』シリーズの中でもそのまま登場しているんです。こういう、分かる人には分かるギミック(仕掛け)もまた、ドラマの面白さですよね。
思い返してみても、ほんとうに楽しい仕事ばかりで、私は下積みらしい下積みを経験していないのかもしれません。もちろん、研究生時代はお金に苦労をしましたけれど、それで毎日が苦しかったということはなく、ただただ好きな音楽と演技にまい進することができ、人としてこれほど幸せなことはないと感じていました。
まさか、こうして74歳になるまで舞台で歌いつづけているなんて、夢にも思っていませんでしたから、ほんとうにぜいたくな人生ですよね。

撮影:田中亜紀
2025年8月には、『ある男』という新たなミュージカルに出演します。芥川賞作家の平野啓一郎さんの作品が原作で、英訳もされた話題作です。人のアイデンティティにテーマを求めた少し重厚な作品ですが、私としてはなによりも、まったくオリジナルのミュージカルだという点に心を引かれました。やはり、みんなで一から創り上げるオリジナル作品というのは、演者としても意欲的になるものなんです。
舶来の作品はどうしても、向こうで完成したものをある程度模倣しなければなりませんし、場合によっては現地から演出家を招くこともあります。それに比べれば、楽曲そのものから書き下ろしのオリジナルミュージカルは、古典的な名作をやるのとはまったく違ったやりがいがあります。
おそらく、キャストの皆さんも同じ思いなのか、台本の更新も異様なスピードで進みました。否が応でも、皆さんのモチベーションの高さを感じます。
ちなみに、私はこの作品の中で一人二役をやります。立場も性格もまったく真逆の二人を演じますので、ぜひ楽しみにしていただきたいですね。私自身も本番を迎えるのが心から楽しみです。
突然わが身を襲ったマロリー・ワイス症候群で吐血がやみませんでした
私は過去に、マロリー・ワイス症候群を患った経験があります。1990年に『レ・ミゼラブル』というミュージカルに出演していた時のことでした。
私の場合、食道のつけ根の部分の前後に傷が2ヵ所できていたようで、出番を終えた直後に気持ち悪くなってきて、スタッフの方に「ちょっと戻しそうだからバケツを持ってきて」とお願いしたら、グボッとチョコレート色の吐しゃ物が出て……。突然の吐血でした。これには周囲がびっくりしていました。
問題はその日、まだもう1公演残っていたことで、周囲が「これはだめだ」「中止にしよう」とてんやわんやの中、私は「大丈夫だからやろう」と、かたくなに公演続行を主張しました。

結局、もう開演間近であったことから中止にできず、私はいつもどおりに最後まで演技をやり切ったのですが、舞台袖に戻って来るたびにバケツに吐血していましたから、周囲は気が気じゃなかったでしょうね。最後はもう、顔から指先まで全身蒼白でした。終演後はそのまま用意されていた救急車に乗り、約1週間の入院生活です。
マロリー・ワイス症候群というのは精神的なストレスによって起こるものらしいのですが、私としては充実している毎日が楽しく、ストレスとはてっきり無縁だと思っていました。
でも、体は正直なものですね。全国を飛び回り、いろんな仕事をこなす生活は、少しずつ私の体に負荷をかけていたのでしょう。
ただ、マロリー・ワイス症候群は病気ではなくけがのようなもの。傷口さえふさがってしまえば、その後はすべて元どおりです。そもそも入院中から早く仕事に戻りたくてウズウズしていましたから、退院後はすぐに復帰しました。
この年になってなおさら感じるのは、私という人間は仕事をしていないと元気がなくなってしまうということです。舞台でも映画でもドラマでも、なんでもいいんです。とにかく皆さんの前で歌を歌い、演技がしたい。その一心で今日までやってきました。まさに天職なのでしょう。
年齢的に、そろそろ思うような声が出なくなるのではないかという心配もありますが、だからこそ発声練習は日々欠かしません。これも実は、私にとっての元気の秘訣の1つなのではないかと感じます。
スナックなどでカラオケに興じているシニアの皆さんは、たいていお元気じゃないですか? あれと同じです。大きな声で歌うとすっきりしますし、気持ちも晴れやかになります。だから、いつも夜眠る前に近所迷惑にならないようにタオルを口にあてながら、思いっきり声を出すんです。
ほんとうはカラオケに行ければいいのですが、台本を読むことに時間を取られることも多いので、手軽なリフレッシュを兼ねた、いい発声トレーニングになっています。
あとは足腰が弱らないよう、フィットネスバイクをこいでいます。私にとっての健康法は、この2つが中心。足腰こそ、健康の要ですからね。

また、精神的な健康法も、やはり大切でしょう。私にとっては、夜一人でお酒を飲みながら、パラパラと台本をめくりつつ、次の芝居について思いを巡らせる時間が、最高の癒やしになっています。
一人で飲むと飲みすぎてしまうという人もいますけれど、私の場合は蒸留酒をちびちびと適量やりながら、思考を整理したり妄想したりする。これが自分自身と向き合う大切なひと時なんです。
オフの日には、車を運転するのが好きですから、スピードを出さずに軽く湾岸のほうへ流しに出たりすることもあります。首都高速からレインボーブリッジを渡って、銀座方面へぐるりと回って返ってくる。これを3周ほどやると、ちょうど1時間くらいなので、いい気分転換になります。
私の場合、好きな芝居を仕事にしているのだから、それだけで気分転換もストレス発散も必要ないのかもしれません。それでも、リフレッシュの手段を持っておくというのは、重要なことだと思います。
カラオケならカラオケで、下手でもいいから気心の知れた仲間と定期的に集まって歌うとか、あるいは囲碁や将棋などでもいいでしょう。音楽鑑賞でも散歩でもお酒でも、好きなことであればなんでも人とのコミュニケーションの種になります。
逆に、一人で家にこもってばかりいるのは、おすすめできません。ちょっとスーパーへの買い物でも、近所の銭湯に行くのでも、なんでもいいのでなるべく動くこと。それを続けていくうちに、身近で意外な発見が得られたり、楽しい仲間と出会えたり、きっといいことがたくさんあるでしょう。年を重ねた今だからこそ、ぜひ日頃から意識してみてください。

『ある男』
●原作 平野啓一郎『ある男』(文春文庫/コルク)
●音楽 ジェイソン・ハウランド
●脚本・演出 瀬戸山美咲
●出演 浦井健治、小池徹平、濱田めぐみ、ソニン、上原理生、上川一哉、知念里奈、鹿賀丈史ほか
●日程 2025年8月4日(月)〜8月17日(日)
●場所 東京建物 Brillia HALL(豊島区芸術文化劇場・東京都豊島区東池袋)
●特別ゲスト 舟木一夫
●問い合わせ先 ホリプロチケットセンター ☎03-3490-4949(平日11:00〜18:00/土日祝休)
⬇︎⬇︎詳細はこちらから⬇︎⬇︎
https://horipro-stage.jp/stage/aman2025/


