俳優 杉本 哲太さん
リーゼントの不良少年から、今では日本を代表するバイプレーヤーとして活躍している杉本哲太さん。横浜銀蝿の弟分のロックバンド・紅麗威甦のボーカルとしてデビュー。俳優としては映画賞の受賞をはじめ、連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)や『相棒』(テレビ朝日系列)、大河ドラマなどの人気作品に引っ張りだこで、存在感を発揮しつづけています。キャリアを積むほどに渋みを増す杉本さんの近況と元気の秘訣に迫ります!
江の島の海辺の町で潮干狩りや地引き網を楽しむ少年時代でした

僕が生まれた神奈川県茅ヶ崎市は、江の島に近い海辺の街です。だから、子どもの頃から浜辺で遊ぶのが当たり前で、晴れた日はいつも潮干狩りをしたり、地元の漁師さんと一緒に地引き網を引いたりしていました。そして、漁師さんから分けてもらった魚を家に持って帰って、晩ご飯の材料にする——小学生の頃は毎日がそんな生活でした。当時は今よりも海がきれいでしたし、恵まれた環境でしたよね。
毎年、秋にはシロギス釣り大会が催されたのもいい思い出です。みんなで浜辺から投げ釣りをするのですが、これがなかなか難しくて、僕は結局、一度もシロギスを釣ったことはありません。釣れるのはもっぱらメゴチばかりで、いつかシロギスを釣りたいと意気込んでいたのですが、残念ながらその夢はかないませんでした。
ちなみに、小学校の卒業アルバムでは、将来の夢の欄には、「刑事になりたい」とか「探偵になりたい」と書いた記憶があります。これはテレビドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系列)や、江戸川乱歩シリーズの『明智小五郎』に夢中になっていた影響です。こうして俳優になったことで、そのどちらの役も経験できましたから、シロギスは釣れなかったけど、こちらの夢はかなえられたといっていいでしょうね(笑)。
そんな僕の故郷では、勉強のできないやつは16歳になると、波に乗るか、それともバイクに乗るかという2択を突きつけられる雰囲気がありました。そこで勉強が苦手だった僕は、波に乗ってみようと何度かサーフィンにチャレンジしてみたのですが、これはあまり自分には向いていませんでした。
サーフィンをやる際には、サーフボードと足をリーシュコードという紐でつなぎます。だから、振り落とされると、ボードに引きずられるかたちで海中をもがきつづけることになるんです。これは怖いですよ。水もしこたま飲むことになりますし、そのままおぼれてしまうのではないかと、毎回必死でした。
そこで波は諦めて、バイクに乗り始めたことがやんちゃの始まりです。性分としても、こちらのほうが合っていたのでしょうね。いわゆる不良少年ですから、決して褒められたものではありませんでしたけど、仲間とバイクを乗り回す毎日は楽しかったですし、こういう時期があったからこそ、今の自分があるのは間違いありません。実際、芸能界入りのきっかけも、そんな生活の延長線上にあったんです。
ある日、横浜で地元の不良少年たちにいちゃもんをつけられ、一触即発の状態になっていたところを、たまたま通りがかった人物が仲裁に入ってくれました。その人物というのが、当時人気絶頂だった「横浜銀蝿」の嵐ヨシユキさんだったんです。
僕らのような不良少年からすれば、神様のような存在ですから、これにはびっくりしました。もちろんケンカどころではありません。無事にその場が収まったところで、僕はとっさにこんなことを口走っていました。
「嵐さん、僕を仲間に入れてください!」
というのも当時、横浜銀蝿のレコードのジャケットの裏に、「君も銀蝿の仲間にならないか」という、新人募集の告知が出ていたのを覚えていたからです。突然、目の前に憧れの人が現れて、僕はすっかり舞い上がっていたんです。
横浜銀蝿の弟分としてデビューするはずが先にドラマが決まりました

僕の唐突な申し出に、嵐さんは穏やかな口調でこういってくれました。
「仲間になれるかどうかはさておき、今ちょうど、若いやつらを音楽スタジオに集めて練習しているから、そこに参加してみないか」
もちろん、この言葉に飛びつかないはずがありません。その場でスタジオの場所を聞き、次の日からレッスンに参加することにしました。
スタジオには20人くらいの不良少年たちが集まっていて、僕は彼らと一緒に、1ヵ月ほどレッスンを受けることになりました。といっても、ギターの練習やボイストレーニングといったメニューではなく、来る日も来る日も腕立て伏せや腹筋といった体づくりばかり。途中でふと、「もしかすると自分たちは、プロレス団体にでも売り飛ばされてしまうのではないだろうか」と、不安になったほどです。
なにしろそれまで荒れた生活を送っていた不良少年たちですから、こうしたトレーニングには当然ついて行けません。1人減り、2人減り……、そして1ヵ月がたつ頃には、20人のうち4人しか残っていませんでした。
そして、その4人に音楽会社の人がいったんです。
「よし、残ったおまえら。来年1月にレコードデビューするからな」
なにがなんだか分からないうちにことが進み、戸惑うばかりですが、すでにユニット名も「紅麗威甦」と決まっていて、横浜銀蝿の弟分として売り出されることになったんです。
そして、さらなるサプライズは、そこで嵐さんから、「おまえ、今度こういうドラマのオーディションがあるから、受けてみろ」といわれたことでした。
しかし、生まれてこの方お芝居などまったくやったことがありません。とても無理だと渋る僕に対し、嵐さんは「いいから行ってこい」の一点張り。結局、断ることもできず、僕は当時、横浜銀蝿の弟分として売り出し中だった嶋大輔さんと一緒に、オーディションを受けに行くことになりました。
いざ会場へ行ってみると案の定、僕ら以外は子どもの頃から劇団に所属していた連中ばかり。ずぶの素人である僕と嶋大輔さんは、明らかに見劣りしています。
これでは受かるはずがないと諦めていたところ、プロデューサーから「この中に、ほんとうに不良をやっていた人はいますか」との質問が飛びました。僕らとしては、思わぬアピールポイントの到来です。2人して「はい!」と元気よく手を挙げたところ、そのまま採用が決まってしまいました。
こうして僕の俳優デビューとなったのが、八千草薫さんが主演を務めたテレビドラマ『茜さんのお弁当』(TBS系列)でした。まさか、音楽よりも先に俳優としてデビューすることになるとは夢にも思っていませんでしたから、運命というのはほんとうに分からないものです。
こうして、右も左も分からないまま、芸能界での活動をスタートすることになった僕。今にして思えば、あの時たまたま嵐ヨシユキさんと遭遇していなければ、僕は名も無き不良少年のままだったでしょう。それどころか、もっと悪いことに手を染めていたかもしれません。
つまり、ぎりぎりのところで自分を踏みとどまらせ、更生させてくれたのが芸能界なわけで、この運命には感謝しかありません。
なお、『茜さんのお弁当』で俳優デビューしたあと、翌年には紅麗威甦として音楽デビューも果たしました。地元でくすぶっていた頃には、音楽をやろうなんてまったく思っていませんでしたから、これもまた予想外の展開です。
音楽もまた、ゼロからのスタートですから、この時期はとにかく必死でした。指先をぼろぼろにしながら、食らいつくようにギターの練習に明け暮れていて、どうにか必要最低限のコードを押さえられるようになりました。そんな苦労のかいあってか、シングル『ぶりっこROCK’N ROLL』がそれなりにヒットしたのは幸いなことでした。
一方、横浜銀蝿の事務所でお世話になりはじめてから2年目、今度は映画のオファーが舞い込みました。
スキンヘッドからリーゼントに戻したいとは思わなかったんです

僕としては音楽活動に注力していたタイミングなので二の足を踏んでいたのですが、嵐ヨシユキさんの指令は絶対ですから、すぐに東映のオフィスへ出向くことに。そこで決まったのが、小柳ルミ子さん主演の映画『白蛇抄』という作品で、僕は若い僧侶の役を拝命します。
問題は、それまで大切にしてきたリーゼントです。僧侶の役ですから当然、剃髪することは避けられません。でも、当時18歳の僕としては、坊主頭になるのが嫌で嫌で……。
それでも、いただいた役はまっとうしなければなりません。結局、僕は観念して、スキンヘッドで銀幕デビューを飾ることになりました。
しかし、これは自分にとって大きな一歩でした。すでにドラマは経験していましたが、映画の撮影現場にはまた違う独特の緊張感があり、新鮮で刺激的な体験をさせていただきました。いうなればこの時、役者として本格的なスタートをきった感覚を覚えたんです。
なにより不思議なのは、この作品を撮り終えたあと、スキンヘッドから再びリーゼントに戻す気持ちにならなかったことです。
おそらく、今後は演技の道に本腰を入れることになると、心のどこかで察していたのでしょう。その意味で、この『白蛇抄』という作品は、自分の人生を左右する大きな転機だったといえます。
あの時、プロデューサーがなぜ自分のような素人を起用してくれたのかは分かりませんが、今となってはただただ、感謝しかありません。
元気の秘訣は笑うこと。ネガティブな思考を排除して楽しいことを考えましょう

その後、さまざまな俳優の皆さんとの共演でもまれながら、少しずつこの仕事に対する気構えが養われていった実感があります。
田村正和さんとの共演では、ガチガチに緊張して監督にどやされっぱなしでした。三國連太郎さんと凍死寸前のシーンを演じた際には、台本にないのに三國さんが奥田瑛二さんの頬をバシバシたたく迫真の演技に触れ、居住まいを正しました。
16歳でデビューしてからはや40年超、そうした1つひとつの経験を血肉として、ここまでやってくることができました。
幸い、俳優という仕事は肌に合っていたようで、還暦を迎えた今も充実した日々を送らせてもらっています。
そんな現在、目下、稽古に励んでいるのは、まもなく本番を迎える舞台『リア王-KING LEAR-』で、僕はケント伯爵の役に挑戦します。主君に寄り添い、最後まで忠義を尽くす役柄で、しぶとくて真っすぐ、それでいて面倒な人物を演じます。
『リア王』といえばシェイクスピアの4大悲劇における最高峰とされる作品で、この誰もが知る名作をいかに現代風に表現できるかというのは、僕自身も楽しみにしているポイントです。
ちなみに、リア王を演じる内野聖陽さんとは、十数年ぶりの共演になります。ポスター撮影の際に久しぶりにお会いしましたが、すでに〝リア王〟然とした雰囲気の片鱗を感じさせました。きっと、早くから気合いを入れて準備を進めていたのでしょう。
僕自身もこの芸能生活において、大の恩人である嵐ヨシユキさんに忠義を感じて生きてきた人間ですから、内なる想いとしては少しケント伯爵に重なるところがあるんです。だから今、本番に備えてコンディショニングにも余念がありません。本来は毎晩飲んでいるお酒も今は少し我慢しています。のどをいたわるために、冷たいものも控えているんです。

また、僕はもともと健康のために、納豆やみそ汁などの発酵食品を毎日とるようにしています。その意味では、やはり朝は和食が最高ですよね。
それから僕の健康に欠かせないのが、「コンブチャ」です。コンブチャは別名、紅茶キノコとも呼ばれる発酵飲料で、腸内環境を整えたり、免疫力を向上したりといった効果があるとされています。僕はこのコンブチャを、いついかなる時も切らさないようにしていて、先日映画の撮影で地方に滞在した時も、毎日必ず飲むようにしていました。
そしてもう1つ、僕にとって大切な元気の秘訣をひと言でいうなら、笑うことです。なるべく人の悪口などネガティブな言葉を排除して、なにか楽しいことを見つけたら大いに笑う——これに尽きます。
人間というのは、ネガティブなことを考えはじめると、ずっとそれにとらわれてしまい、どんどん思考が悪い方向へ行ってしまうものです。そうなると、健康状態も自然と悪化していくでしょう。だからこそ、なるべくポジティブな出来事に目を向けて、思考全体を前向きに誘導することが大切だと思います。
皆さんもぜひ、健康のためにも積極的に笑うように心がけてみてください。きっと身も心もらくに、楽しくなるはずですよ。
取材・文/友清 哲 写真/村上庄吾

『リア王ーKING LEARー』
●作 ウィリアム・シェイクスピア
●訳 松岡和子
●演出 森 新太郎
●出演 内野聖陽、前田公輝、井之脇 海、清水くるみ、川上友里、内田 慈、大山真志、永島敬三、和田正人、杉本哲太、山路和弘ほか
●日程・場所 2026年9月21日(月・祝)〜10月4日(日)
東京芸術劇場プレイハウス(東京都豊島区)ほか
●問い合わせ先 東京芸術劇場ボックスオフィス
☎0570-010-296(休館日を除く10:00〜19:00)
⬇︎⬇︎詳細はこちらから⬇︎⬇︎
https://kinglear.geigeki-classics.jp/

