高橋 宏明さん
妻の付き添いのつもりで受けた検査で、食道がんと診断されても冷静でした

食道がんと分かったのは、ほんとうにたまたま、偶然といってもいい成り行きからでした。
病院嫌いでなかなか健康診断を受けたがらない妻を説得する目的で、「じゃあ市がやっている検査を一緒に受けてみようか」と持ちかけたのが始まりでした。要は、自分は単なるおまけのつもりでいたわけです。51歳の冬でした。
私が暮らしているのは群馬県高崎市。これまで会社の健康診断は毎年受けていましたが、高崎市の検診を受けたのは初めてでした。
ちなみに、今回受けたのはがんに特化した格安の検査プラン。胃がん、大腸がん、前立腺がんという、日本で最も罹患数が多い三大がんの検査が受けられるのは、私としてもいい機会でした。
胃カメラを飲んだのが、2025年1月22日のこと。結果が出るまで3週間ほどかかるといわれていたのですが、1週間後に病院から連絡がありました。
「市に送る書類の件でお話があります、なるべく早めに来ていただけませんか?」
この時は、申込書類に不備でもあったのかなと考える一方で、「もしかすると、重篤な病気が見つかったのかもしれない……」と悪いほうにも想像が膨らんだのを覚えています。
私は、高校卒業後から地元の電子部品メーカーに勤めてきました。工場の交代勤務のため、シフトによっては夜勤もあります。50代になった身としては、そろそろ不規則な働き方をつらく感じはじめていましたが、夜勤手当は手取りに大きく影響するので、まだまだがんばらなければと思っていた矢先のことでした。
病院を再訪したのは、検査からおよそ10日後の1月31日。担当の先生は、書類うんぬんという話には触れることなく、冒頭から「検査結果が思わしくありません」と口にされ、さらに「胃腸炎や逆流性食道炎などいくつかの疾患が見つかりましたが、最も重いものからいうと、高橋さんは食道がんです」と告げてきました。
妻の付き添いのつもりで受けた検査で、自分のがんが見つかるなんて「まさか」の展開ですが、生来ののんきな性分のためか、その言葉を耳にして頭が真っ白になるようなことはありませんでした。それより、実際に浮かんだのは「ああ、そっちのパターンだったか——」という思いでした。
なにしろ自覚症状はまったくなかったので、自分が食道がんだといわれても、落ち込んだり、絶望したりするようなこともなく、むしろ「こういう時、どういう振る舞いをすればみっともなくないだろう」と変に冷静な自分がいました。
それに、先生が「この段階で発見できたのは、ラッキーですよ」といい添えてくれたのは安心材料でした。罹患してしまったものはしかたがないですから、ちゃんと治すしかありません。
ただ、なにより妻のことが気がかりでした。
わが家は専業主婦の妻と2人暮らし。私が休みの日には2人で買い物に行ったり、一緒にオンラインゲームに興じたりするのが日常のささやかな楽しみでした。
心配性な妻のことですから、私ががん宣告を受けたことを知ったら、きっと取り乱すでしょう。いや、それどころか激しく泣き崩れる姿が容易に想像できます。
一体どう説明したものかと悩みながら、ひとまず平静を装い、いつもどおりに帰宅。そして、普通に晩ごはんを食べて、ゲームをやって、そろそろ寝ようかという時間帯になって、私はつとめて自然な口調を意識しながらいいました。
「そういえば、今日病院でいわれたんだけど、俺、食道がんだったよ」
当然、妻はびっくり。予想していたとおり、慌てふためいて目に涙を浮かべ、その晩は過ぎていきました。
しかし、ほんとうに大変だったのはここからでした。
まず、先生に指示された別の大きな病院で再検査を受けたところ、がんは1つではなく2つあることが分かりました。さらに、市の検診で受けた検査の結果が自宅に届いてみると、なんと大腸がん検査に陽性反応が出ていることが判明したのです。
「上から下まで、全部かよ……」と、さすがにこの時は、自分はもう長くないのかもしれないと諦めに似た気持ちが湧き上がってきました。
「治らないわけがない」と思い、この状況を楽しまなければ損だと考えるようにしました
最初の入院は2月27日から。この時は2つの食道がんを内視鏡で切除する手術を受け、入院期間も1週間程度ですむはずでした。
体への負担はさほどありませんでしたが、切った場所が場所なので、食事のたびにのどの奥に激痛が走るのには参りました。水を飲んでも痛みが走る状態で、食べられるのは重湯や全粥くらい。食べ物が患部を通り過ぎさえすれば平常どおりでいられるのですが、これはかなりつらかったですね。
そして1週間後、退院の前日にあらためて担当の先生からこう告げられました。
「高橋さん、切除した細胞を検査したところ、リンパ節への転移が見つかりました。引き続き、外科のほうで対応しますね」
これが、がんの怖いところです。最初は「ごく初期でラッキー」といわれていたのに、いざ細かく病理検査をしてみたら、思いのほか進行していたわけです。

結局、食道の大部分を切除する必要があると説明を受け、より大がかりな手術と、さらに長い入院生活を強いられることとなりました。
なお、大腸のほうは悪性のポリープが4つあったものの、こちらは日をあらためて1泊だけの入院で切除してもらいました。
この当時の心境を率直にいうと、「治らないわけがない」でした。割り切って考えれば、これはなかなか得られない経験です。だったら、「この状況を楽しまなければもったいない」——そんな思いすらありました。
そうして迎えた3度目の入院生活は、4月7日から始まりました。事前の説明では、食道を切除して胃袋をつり上げてつなげる術式を目指すものの、それで処置しきれない場合は、大腸の一部を切り取ってのどにつなぐ手術を行うことになるかもしれないとのことでした。
素人の私からすれば、どちらも大がかりな手術であることに変わりはなく、「お任せします」としかいえません。ただ、大腸の組織をのどの奥につなぐというのは、本来は排泄する器官がのどもとに来ることになるので、なんだか不思議な感覚を覚えたものです。
手術の結果、幸い大腸を移植する必要はなかったのですが、まったく想定外だったのが、術後1日程度で出られるはずの集中治療室(ICU)で5日間も過ごさなければならなかったことでした。
集中治療室にはスマホも持ち込めませんし、テレビもありません。許されている娯楽は本かラジオだけ。幸い、術後の経過は良好でしたが、事前に本などを持ち込んでおくべきだったと心の底から後悔しました。
また、集中治療室は基本的に急患対応を行う場所なので、24時間消灯がなく、ひっきりなしに人の出入りがあり、しかも激しい動きがあります。睡眠で時間をつぶそうにも、頻繁に大きな物音がするうえ、2時間に1度は看護師さんのチェックが入るので、まったく熟睡できません。今回のがん体験で最もつらかったのは、間違いなくこの5日間の生活でしょう。
術後しばらく、固形物は口にできず、栄養摂取は点滴と腸ろう(カテーテルで腸に直接送る手法)のみ。一般病棟へ移って食事ができるようになってからは、食べ物をのどに詰まらせて嘔吐してしまうことが続いたため、すべての食材にとろみを付けてもらうことになりました。

最初のうちはあんかけみたいでいいなと思っていたのですが、あまりに毎食続くのでしだいにうんざりしてきます。なにしろフルーツにまでとろみを付けられてしまうので、今ではすっかりとろみ恐怖症になってしまいました。
しかし、それよりも私にとって重大な問題だったのは、術後の経過がよすぎることでした。
どういうことかというと、私が加入しているがん保険では、入院期間が20日間に達しなければ満額の給付金が下りないのです。ところが、先生は「この様子なら、最短で家に帰れますよ」と2週間強での退院を促してきます。
さぁ、困ったことになったぞと人知れず悩んでいたら、予定されていた退院日の直前に激しいせきと腹痛に襲われ、食事もまったくとれなくなってしまいました。これはとても自宅で過ごせる状態ではないということで、入院期間の延長を申し渡された時には、苦しみながらも心の中でガッツポーズをしたものです(笑)。なお、腹痛は単なるガスだまりのようでした。
ようやく退院できたのが4月28日。入院期間は22日間でした。
退院後しばらくは、体力が低下したために起こるさまざまな生活の不便に悩まされました。なにより、消化器内の逆流を防ぐ逆止弁の役割を果たしていた食道を切除してしまったため、寝ている時に突然胃酸が逆流し、激しくむせ返りながら目を覚ます羽目になるというのも、食道がん患者ならではの体験でしょう。
ちなみに、この問題は傾斜を付けて眠ることで、ある程度は解決できるというので、介護用のベッドをオーダーしました。
その後、5月の上旬に腸ろうを除去する処置を受け、6月からは仕事も再開しました。産業医の指導により、今はまだ半日だけの勤務ですが、少しずつ日常生活を取り戻しつつあります。

しばらく忘れていた「おなかがすく」という感覚も、徐々に戻ってきました。もっとも、油断をするとダンピング症候群(ゆっくり送り込まれるべき食べ物が急に腸に流れ込むことで、体が不調を起こす症状)に襲われるので、無理なく食べられるものから少しずつ口にするようにしています。
なお、私はもともとお酒が大好きなのですが、不思議なもので今は1滴も飲みたいとは思いません。まだ、体がお酒を受け止めるレベルに回復していないということなのでしょうね。
振り返ってみれば、1月のがん告知から、この半年間はあっという間でした。しかし、こうして無事に手術を終えたとはいえ、私ががん患者であることに変わりはありません。寛解に至る5年という期間すら1つの目安にすぎず、食道がんは再発すると非常に厄介な病気であるとも耳にします。
最初の頃はいろいろな方のがん体験を調べたり、関連書籍を読んだりしていましたが、最近思うのは「がんの症状は一人ひとり異なる」ということ。世の中にはがん患者を不安にさせる情報も多いですから、気にしないことにしました。
不確かな情報に振り回されるよりも、これから自分の身に起こることに1つずつ、適切な対処をしていくこと。ほんとうの健康は、その積み重ねの先にあるものだと感じています。


