ミュージシャン 桑野 信義さん
大腸がんと告げられた後、「俺、治りますよね」という言葉が口からこぼれました
主治医から「ステージⅢからⅣの大腸がん」と告げられたのは、2020年9月のこと。気づいたら「大丈夫ですよね。俺、治りますよね」という言葉が口からこぼれました。でも、先生は「大丈夫」とはいわなかった。「がんばりましょう」というだけ。「……これはかなり重いんだな」と愕然としたことを思い出します。
予兆はあったんです。1年くらい前から、下痢や便秘を繰り返し、ときどき血便も出ていました。でも、何でも都合良く考える俺は、「これは痔だ」「ウォシュレットの使いすぎで切れたんだ」と思い込もうとしていました。でも、血便は治まらない。家族からせっつかれて、病院で検査を受けました。結果は肛門近くにがんが見つかり、直腸がんと診断されました。
思えば、若い頃からめちゃくちゃな生活をしてきたので、がんになるのは当然だったのかもしれません。多忙のため、食生活や睡眠時間は不規則そのもの。それでも「俺が体を壊すなんてことはないだろう」と勝手に考えていました。そんな傲岸不遜な生き方が、がんを招いてしまったんでしょう。
がんと宣告されて頭をよぎったのは、子どもと妻、父のこと、そして仕事のことでした。実は、2021年4月にシャネルズ(現ラッツ&スター)のデビュー40周年記念ツアーが行われることになっていました。ツアーには、どうしても出たい。
ツアーに参加するための選択肢は二つありました。一つはすぐ手術をする方法です。しかし、その場合はがんが肛門に近い場所にあるので、人工肛門を一生つけることになります。もう一つは抗がん剤でがんを小さくしてから手術をする方法です。その場合は一時的に人工肛門になりますが、元に戻せる可能性があるとのことでした。
俺は迷わず後者を選びました。2021年2月まで治療を続け、がんが小さくなっていれば手術をする。3月はリハビリに当て、4月のツアーに参加。ツアー後に残りの抗がん剤治療を受けるという計画を立てました。
満場の拍手を浴びた時は、これまでのつらかった思いがみな吹き飛んでいくようでした
抗がん剤治療の苦しみは地獄そのものでした。最初のうちは水を飲むだけで、のどが締め付けられるような感覚に襲われ、次いで手足がしびれて冷たく感じはじめ、しだいに下痢がひどくなってトイレに行きっぱなし。脂汗が止まらなくなり、めまいに襲われてトイレで気を失ってしまったこともあります。
抗がん剤の副作用の苦しさは、経験した人でないと分からないと思います。それでも4月からのツアーを目標にがんばりました。2月になると、幸いがんは小さくなっていました。すぐ手術が行われ、しばらく人工肛門のお世話になりました。
手術前の説明で、人工肛門がおなかの右側につけられれば人工肛門を外して元の肛門を復活できる可能性があり、左側の結腸にしかつなげられない場合は一生人工肛門を外せない、とのことでした。手術後に人工肛門が右についていることを確認した俺は、「ああ、良かった」と思う間もなく、意識は遠のいていきました。
手術を終えると4月のツアーに向けて、リハビリと人工肛門のトレーニングに取り組みました。人工肛門は、腸と直接つながった「パウチ」と呼ばれる袋に便がたまるしくみになっています。パウチを取り外して排泄物を処理するのですが、慣れないとなかなか大変です。
最初は自分が人工肛門だと知られることを恥ずかしく感じていました。でも、人工肛門をつけている人は日本に20万人もいるそうです。それに、海外には人工肛門をつけたまま水着モデルをしている人もいるそうなんです。
思い切って「俺、人工肛門つけてるんだ」と周りにいってしまうと、気持ちがらくになりました。カミングアウトしてからは、自分の人工肛門に愛着さえ芽生えてきて、「ジュニア」という名前をつけてしまったほどです(笑)。
4月5日に手術を受け、19日に退院しました。予定ではそれから1ヵ月半リハビリをし、ツアーに参加することになっていました。ですが、退院してからの体調がおもわしくありません。
俺の担当はトランペットなので、吹く練習を始めたのですが、踏ん張っても音が出ない。これはとてもショックでした。長い間吹いていなかったので、口が素人のものになっていたんです。何より体力がもたない。これではツアーでステージに立って、演奏をやりきる自信がありませんでした。結局、事務所と相談したうえで、4月のツアー参加は無理という結論に達しました。
それはつらくてしかたがない選択でしたが、体調が万全でない自分が出ても、みんなに迷惑をかけるだけです。リーダーの鈴木雅之からは「7月の大阪で元気な姿を見せてほしい。いつまでも待っているから」という連絡が来ました。リーダーの言葉は、大きな励みになりました。せめてもの思いで、ツアーが行われている時間帯になると、ライブが行われている方角を向いてトランペットを吹きました。気持ちだけは、みんなと一緒に参加していました。
7月の大阪公演は、ツアーのファイナルです。俺は目標を7月の大阪公演に切り替え、抗がん剤治療の残り4クールを開始することにしました。
しかし、残りの抗がん剤治療は想像を超えるつらさでした。強烈なしびれが出て手足が氷のように冷たくなってしまう。この前の抗がん剤治療は、目前に迫った4月ツアーという目標があったから耐えられましたが、それがなくなっていまい、心と体の緊張が途切れてしまったのかもしれません。
精神的な落ち込みもひどいものでした。あれほどがんから立ち直って、ツアーへの参加を切望していたはずなのに、いつの間にか「死にたい」と口にするようになっていたんです。抗がん剤治療で助かる人が数多くいることは承知しています。でも、俺には合わなかった。6クール目以降の抗がん剤治療をやめる決意をしました。
主治医からは「抗がん剤を続けたからといって、再発しないとはいえません。やらなかったからといって、再発するとも限りません」といわれました。
さらに「ただし、今中断して、7月のツアーに出た後に抗がん剤治療を再開しようとしても、その場合は時間があきすぎているので再開することはできません。今やめてしまったらもう二度と抗がん剤治療はできません」と念押しされました。それでも俺はこれ以上抗がん剤治療を続ける気にはなれなかった。
この頃から俺は、免疫力を高めてがんを治した人の本を読みあさるようになりました。抗がん剤を使わなくても治った人がいるという事実がある。俺もその方向でがんばってみたいと思ったんです。
抗がん剤の治療を中止した時に、人工肛門を外す手術を行うことになりました。しばらく使っていなかった俺の肛門は、すっかり筋肉が緩んでしまい、役割をまったく果たさなくなっていました。肛門をコントロールできないので、いつまでもずるずると便が出つづける。トイレに行くまで間に合わなくなり、おむつが必要になりました。ちょっと力を入れただけでも出てしまうので、1日60回以上トイレに行く状態です。
こうなると、いつもお尻を気にしなければなりません。主治医によれば、3ヵ月で肛門が元に戻る人もいるし、1年以上かかる人もいる。中には一生緩んだままで、戻らない人もいるんだとか。俺の場合、どうなるのかは、先生にも分かりません。
肛門を締める運動をやってみましたが、残念ながら今のところ俺には効果はなし。おむつにパッドを入れてしのぐしかありません。しかも俺はラッパ吹きです。ぐっと腹に力を入れてラッパを吹くと、下から出てしまう。何も食べず、何も飲まなければ便も出ないことに気がついてからは、人と会う時やリハーサルの時は、前の晩から飲まず食わずで対処しました。
7月7日。とうとう俺は念願の40周年記念ツアーのファイナル、大阪公演のステージに立つことができました。丸一日、飲み食いを断っての本番。もちろん体はフラフラで、うまく吹くというより、自分のパートをこなすことに必死でした。それでもなんとか無事やりとげることができて、満場の拍手を浴びた時は、これまでのつらかった思いがみな吹き飛んでいくようでした。
全部受け入れたうえで治ると信じ、無理をせずに諦めないことが大切だと思います
現在、少しずつ仕事を再開しています。今はYouTubeで『ガンバー桑野チャンネル』も始めました。検診での腫瘍マーカーの結果も良く、再発の兆候はありません。人工肛門を外してから1年4ヵ月がたちました。コントロールできるようになってきたとはいえ、まだおむつは外せません。いまだに人に会う時は、前の日から飲まず食わずにしています。この状態がいつまで続くか分かりませんが、じたばたしても始まらない。
なってしまったものはしかたがない。全部受け入れたうえで、絶対に諦めない。治ると信じ、無理をせずに諦めないことが大切だと思います。俺はこれまで誰のいうことも聞かずにやりたい放題生きてきました。それが64歳になっていきなり人生が変わった。つらい経験もしましたが、もう一度生きるチャンスを与えてもらったんです。
残りの人生は、笑いと音楽で人を喜ばせることに使いたいと思っています。それが俺にもう一度チャンスをくれた神様への恩返しになるんじゃないかな。
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