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乳がん治療後に始めた太極拳と気功で元気!

患者さんインタビュー

佐藤 恵美子さん

生きることを諦めかけた私の気持ちを立て直してくれたのは3人の子どもたちの存在でした

[さとう・えみこ]——新潟県生まれ。46歳のとき、乳がんと判明。手術や放射線治療、抗がん剤治療、分子標的治療を受け、現在まで再発なく過ごしている。2008年から12年以上にわたってほぼ毎日、みずからの闘病体験をブログで発信。多くの読者を勇気づけている。

最初に〝異変〟に気づいたのは、洗濯物を取り込んでいるときでした。左のわきの下にビー玉のようなものが挟まっている感覚があったので「あれ?」と思い、何度も手で触れて確認してみたんです。するとそこには、丸くて硬いゴリゴリとした異物が確かに存在していました。同じような異物は左胸の乳輪付近にもありました。

もしかすると、乳がんかもしれない——とっさにそう考えた私は、前の年にマンモグラフィ検査を受けたクリニックを訪ねました。検査の結果、画像の中に(しゅ)(よう)の存在がはっきりと見えたんです。主治医の先生も「昨年は何もなかったのに……」と驚いていました。

大きな病院であらためてエコー検査や細胞診検査を受けたところ、結果はやはり乳がんでした。さらに、リンパ節に転移があり、「手術のために入院が必要」と担当の先生から告げられたんです。2006年7月、46歳のときでした。

私の家庭は夫と3人の子どもたちを合わせた5人家族です。乳がんが見つかった当時は、長男と長女のダブル受験を控えた慌ただしい時期で、末っ子の次男はまだ小学4年生。いわば子育てのピークといってもいいときでした。

夫とは故郷の新潟県(なが)(おか)市で出会いました。ところが、夫がすぐに大阪へ転勤になってしまい、5年ほど遠距離恋愛を強いられたんです。互いに速達で手紙を送り合ったり、ときには私が寝台列車で大阪へ向かったりして、どうにか遠距離というハードルを乗り越えて結婚に至りました。

遠距離恋愛の果てに結ばれたというとなんだかロマンチックに聞こえるかもしれませんが、夫婦げんかはしょっちゅうで、周囲に夫の()()をこぼすこともしばしば。正直、そんな夫婦関係にストレスを感じることが少なくありませんでした。

それでも、私が乳がんと分かったとき、夫は3人の子どもたちに「お母さんが死んだら、みんなでいっしょに死ぬぞ!」といったそうです。ずいぶん後になって聞いた話でしたが、夫の愛情と家族の(きずな)の温かさがひしひしと伝わってきました。

長男の奥さんの(ゆう)()さん(右)といっしょに孫の()()ちゃん(中)をあやす恵美子さん(左)

家族の悲壮な思いをよそに、急な入院の準備が慌ただしく始まりました。入院の日取りは、長男の野球大会や長女の三者面談を終えた後がいいだろうと、子どもたちの終業式の日に決めました。入院前夜には子どもたちの食事を作り置きして、「レンジで温めて食べなさいね」と伝えたものの、悪いときには悪いことが重なります。電子レンジが壊れてしまい、慌てて近所の家電店へ走るはめになりました。

それでもどうにか入院生活が始まり、手術も無事に終了。2時間半を要した手術で切除されたのは2㌢大の腫瘍で、リンパ節への転移が6ヵ所もありました。

乳がんにはさまざまなタイプがあります。ホルモン受容体やHER2(ハーツー)といった細胞の増殖に関わる物質の状態や、がん細胞の増殖能力によって分類されるそうです。私の乳がんは、担当の先生がいうところの「顔つきの悪い」タイプでした。ホルモン由来ではないHER2陽性型で、乳がんのおよそ1割を占めると説明を受けました。本やインターネットで調べてみると、5年後の生存率は3割程度でした。つまり、生きられる確率よりも死んでしまう確率のほうがはるかに高かったのです。

5年生存率を知ったときの気持ちは〝絶望〟よりも、どちらかというと〝諦め〟に近いものでした。もともと私はサラリーマンの妻として暮らすのが夢で、3人の子宝にも恵まれました。やりたいことはまっとうしたのだから、ここで人生を終えてもしかたがないと感じたんです。

とはいえ、3人の子どもたちの将来に思いをはせると、母親がいない生活の不便さやつらさは想像にかたくありません。「やはり病気をしっかり治さなければ」と気持ちを立て直しました。これががんとの闘いの、ほんとうのスタート地点でした。

ストレスをためないようにプラス思考で生活しています。夫婦げんかも少しだけ減りました

手術に続いて放射線、抗がん剤治療を受けた私は、いわゆる三大療法をすべて経験しています。抗がん剤治療にはかなり苦しみました。髪の毛は抜け、皮膚も(つめ)もボロボロ。内臓のダメージも大きく、考えられる限りの副作用はすべて経験したように思います。

特に、髪の毛が抜けていくのは、また生えてくると分かっていてもつらいものです。でも、マイナス思考は体調にも悪影響。がんをやっつけて長生きすると決めた以上は、プラス思考で免疫力を上げていかなければなりません。そこで、おしゃれなウィッグを用意して、それに合う洋服も買いました。すると、毎日のお出かけが見違えるように楽しくなったんです。

そんなある日、担当の先生から提案されたのが、がん細胞を増殖させる特定の因子を狙い撃つ分子標的治療でした。私のがん細胞の表面にはHER2と呼ばれる物質があり、がん細胞に増殖の指令を出しているそうです。

分子標的治療ではHER2たんぱくの働きをブロックする治療薬を用いますが、抗がん剤と違って大きな副作用がないのが特徴です。さらに、抗がん剤と併用すれば再発率が5割以下に抑えられるというのですから、とても魅力的だと感じました。

年間で3百万円ほどの治療費がかかるのが難点でしたが、「命には代えられないよ」という夫のひとことで、私は分子標的治療を受けることにしました。こうした治療と家族の支えのおかげで、私は体の回復に合わせて少しずつ元の生活を取り戻していったんです。

でも、以前どおりの生活を送っていたら、いつかがんが再発してしまうかもしれません。家族の協力でつなげてもらったありがたい命です。「生活習慣を根本から見直す必要がある」と感じた私は、本を読んだりがんのシンポジウムに参加したりして自分なりに勉強を重ね、十分な睡眠と健康的な食事を徹底的に守るようになりました。

さらに、ストレスも大敵です。なるべく怒らないよう気をつけるだけでなく、常にプラス思考を心がけるようになりました。もちろん、感情をコントロールするのは簡単ではありませんが、家事を上手に手抜きするなど、心身にかかる負担を意識的に減らすようにしているんです。少なくとも夫婦げんかの回数は、僅かながらも減ったような気がします。

成人した子どもたちや孫と過ごすかけがえのない時間をこれからも大切にしていきます

一方、新たな問題も生じました。体力をつけようとおいしいものをたくさん食べていたので、手術前と比べて10㌔近くも体重が増えてしまったんです。写真の姿を見て、「これではいけない」とダイエットを決意。近所のフィットネスジムを訪ねると、講座の中に「(たい)(きょく)(けん)」とあるのを見つけました。

太極拳は無理なく足腰を鍛え、体の重心を安定させるのに最適な運動です。私は手術で左わきの下のリンパ節を取っているため、体のバランスを取るのに苦労していました。その影響で()(こつ)(しん)(けい)(つう)にも悩んでいたのですが、太極拳を始めてからはみるみる改善していきました。

太極拳にすっかり夢中になった私は、週4回のペースで通いつづけました。すると、体重が順調に落ちて、手術前よりも健康な体になったんです。体を動かすのがいっそう楽しくなってきたからでしょうか、気功にも関心を持つようになりました。

気功は太極拳よりも覚えやすく、ラジオ体操をする感覚で気軽に取り組めます。呼吸の力で〝気〟の流れを整えると、全身に汗がにじみ、エネルギーがみなぎってくるのが実感できます。いまでは太極拳も気功も、心身の健康を維持するための大切なライフワークになっています。

早いもので、気がつけば乳がんを患ってから14年の年月がたちました。成人を迎えた子どもたちや孫といっしょに過ごす時間は、私にとってかけがえのない宝物です。こうして元気を取り戻し、毎日を楽しく過ごせていることに、感謝の気持ちが後から後から湧いてきます。

とはいえ、闘病中は重い副作用に苦しんだり、治療法の選択に悩んだりしたこともありました。きっと、私と同じ境遇で困っているがん患者さんは少なくないはずです。そこで、がん治療の体験から得た学びを伝えたいと考えた私は、2008年4月からブログを始めました。慣れないことで初めのうちこそ苦労しましたが、このブログはいままで12年以上、ほぼ1日も休まずに続けています。

乳がんはつらい病気です。だからこそ、ブログでは「安心・安全・大丈夫」をモットーに、プラス思考で書くことを心がけています。乳がん患者さんが、前向きな気持ちになれるお手伝いができればと願っています。

佐藤さん(中央右)は、武術太極拳元日本代表選手・(なか)()(こう)()さん(中央左)の指導のもと、仲間とともに太極拳に打ち込んでいる