株式会社ホソダ SHC代表取締役社長 細田 真也さん
先代の急逝により家業を継ぐ決意をしたバックパッカー社長
細田真也さんが化学品及び食品を扱う商社の細田商店を継いだのは、1988年のことでした。福井県は古くから染め物が盛んな地域として知られています。
かつては繊維に柄をプリントする際、染料に糊を用いるのが一般的でした。糊は増粘多糖類(高い粘性を持つ水溶性の多糖類)から作られます。細田商店ではでんぷんなどの食材を扱い、しだいに食用油や食品添加物でも事業を拡大。福井県から離れた名古屋にも支社を置くほど順調な経営を見せていました。
ところが、細田さんはもともと家業を継ぐ気はなかったといいます。
「私は学生時代から放浪癖があり、時間を見つけては海外をほっつき歩いていたんです。いわゆるバックパッカーですね。大学の勉強はからきしで、成績もダメ。世話を焼いてくれていた先生が『おまえの成績はどうにもならないから、せめて見聞を広めて来い』と、授業を休んで旅に出るのを黙認してくれたほどでした」
学生時代に訪ねた地域は、なんと40ヵ国近くに上るという細田さん。やがて卒業時期が近づき、さすがに就職活動を始めることになりました。
「何ヵ月も風呂に入っていないような格好で帰国して、関西空港からそのまま面接を受けに行くような、とんでもない学生でした。当時は大らかな時代で、むしろ自分のような人間をおもしろがってもらえた節すらありました」
縁あって決めた就職先は住友銀行。名古屋駅前支店に配属された細田さんの仕事は激務で、昼夜休日関係なく、ひたすら働き通しだったと振り返ります。
ところが、まもなく社会人1年目を終えようとしていた頃、事態は急変します。
「細田商店の二代目だった父が倒れ、そのまま急逝してしまったんです。長男である私が福井に戻って後を継いだのですが、決して甘い世界ではありませんでした。私が社長を継いで三代目となった1988年の時点で、染料の国内市場は1000億円ほどの規模がありましたが、染料の市場はどんどん中国などの海外に流れている状況でした。やがて家業がジリ貧状態に陥ることは目に見えていたんです」
細田さんの予想通り、現在、国内の染料市場は150億円程度まで縮小しています。当時すでに市場縮小の兆しが見えていた細田さんは、沈みゆく船の船頭を引き継いだ気持ちで家業を継承したそうです。それでも細田さんは、祖父と父から受け継いだ細田商店をどうにか立て直そうと、懸命にアイデアをしぼり出す日々を送ります。
「例えば、海外を放浪していた時に、よくハトを食べる機会がありました。フランス料理では高級食材とされているくらいですから、日本でも食用バトの事業を始めれば、きっと当たるに違いないと。自信満々で会議にかけたのですが、社内ではまったく理解されず、むしろ変人扱いされてしまって……。日本でハトは平和の象徴ですから、食べるなんてとんでもないというわけです。私としては大真面目だったんですけどね」
そういって笑う細田さん。三代目といっても社内では新参者ということもあり、当時は経営面だけでなく人間関係においても気苦労の絶えない試練の時期だったそうです。そんなある日、細田さんは取引先の食品加工会社で思いがけないヒントを得ます。
「取引先の担当者がぽつりと、『化学合成添加物がなくなったらいいんだけどな』とぼやいたんです。当時は食の安全性に関心が高まって、消費者が化学合成添加物をとても嫌っていた時期でした。とはいえ、保存料を使わなければ衛生面の安全が保てません。では、どうすればいいのかと考え抜いた結果、『化学合成添加物に代わる、天然の成分を探せばいい』と思ったんです」
これが、後に健康食品業界のバックパッカーとなる細田さんの長い旅路の始まりでした。
成分分析の知識を持つ人材を職業安定所(ハローワーク)で募った後、アジアに的を絞って〝まだ見ぬ成分〟を探し求める日々をスタートさせた細田さん。
1990年のことでした。
15年の歳月をかけてインドネシアで二つの貴重な成分を発見!
当初は趣味と実益を兼ねた仕事と気軽に考えていたという細田さんですが、未開拓の天然成分を見つけるのは容易なことではありません。ミャンマー、カンボジア、タイ、パキスタン、スリランカなどのアジア各国を巡り、地元でも秘境といわれる奥地に至るまで徹底的に調べつくした時は、すでに十数年の月日が流れていました。その間、本業の経営は一段と苦しくなり、このままでは会社が持たないという焦りとの闘いだったと振り返ります。
「アジア各国を巡っていると、まれに『これだ!』という食材に出合うことがあるんです。でも、収穫量が少なくて採算が合わなかったり、毒性が強くてとても食材に使えるものではなかったりと、ぬか喜びの連続でした。食材探しを始めて15年がたったところで、さすがにこれでダメなら諦めようと、最後に訪ねたのがインドネシアでした」
最後の地と決めた場所で思わぬ大発見が待っているのですから、人の運命は分からないもの。細田さんがインドネシアで運命的に出合った〝まだ見ぬ成分〟が、人間の免疫を向上させる作用を持つグネチンCという成分を含むメリンジョです。帰国後、大学や医療関係者の協力を得て検証を進めたところ、メリンジョには高尿酸や高血糖、脂肪肝などに対する改善効果が確認されたのです。
「メリンジョの調査と研究を進めると、メリンジョをよく食べる地域の人々の平均寿命が4年も長いというデータが得られました。ボルネオの部族ではメリンジョを〝命の木〟と呼んでいるほどで、地域に根づいた伝承が科学的に解明されたんです」
15年という長い歳月をかけて、ついに事業の新たな鉱脈を発見した細田さん。しかし、ストーリーにはまだ続きがあります。メリンジョとの出合いから2年後に、同じくインドネシアで見つけたのがジャワしょうがでした。ジャワしょうがに含まれるバングレンという成分には、神経を再生する作用が認められています。今日までの研究において、「老眼が治った」「自閉症の子どもが通学できるようになった」「10年に及ぶ嗅覚障害が回復した」「パーキンソン病が改善した」といった、従来の科学では考えられない驚くべき効果が報告されているのです。
「ご協力いただいている大学の研究機関では、ジャワしょうがによって人間の神経細胞が伸びることが確認されました。記憶力や認知機能の改善にも効果が期待できることから、ジャワしょうがを用いた臨床データは、世界中の研究者から注目されているんです」
細田さんが太鼓判を押す、メリンジョとジャワしょうがという二つの食材。現在はサプリメント用の材料として展開しているものの、研究中ゆえ本格的な事業化はまだこれから。細田さんは、今後の研究結果が待たれる二つの食材に無限の可能性を感じると話します。
「こんなにすばらしい食材があるということを、一人でも多くの人に知ってもらえるよう、情報発信に力を入れています。今はメリンジョとジャワしょうがのサプリメントで健康になったというお客様の声を聞くのが何よりの喜びですね」
食べ物に対する安心・安全・健康・快適という思いを込めて、会社名をホソダSHC(Safety・Healthy・Comfortableの頭文字)に変更した細田さん。細田さんが「人類に夢を与える可能性を秘めている」と表現するメリンジョとジャワしょうがの研究に今後も注目です。