声優 小笠原 早紀さん
声優である私にとって舌を切除するか放射線治療を行なうのかは悩ましい選択でした
最初に異変を感じたのは、2019年3月のことでした。口の中に突然痛みが走り、鏡を見てみると舌の左側面にぽっこりと炎症が起こっていました。口内炎だと思ったのですが、5日たっても治る気配がありません。言葉を発するたびに激痛が走って声優の仕事に支障が出そうだったため、早めに口腔外科の先生に診てもらったんです。
最初は処方された塗り薬で様子を見ることになったのですが、1週間たっても症状が治まらなかったので同じ病院で再び診察を受けました。すると、口内炎が大きくなっていることが分かったんです。先生も少し深刻な様子で、「これはもっと大きな施設で検査したほうがいい」と、近くの大学病院を紹介してもらうことになりました。
大学病院で検査を受けた結果、舌がんと診断されました。ただ、幸いなことにステージはⅠ期だったんです。声優の仕事をしていなかったら、検査を先送りにしていました。早期に発見できたのは、仕事のおかげです。
検査結果が出たときに最初に考えたことも、やはり仕事のことでした。すでに決まっている仕事がいくつもありましたし、何より声優にとって舌がんというのは職業生命に関わる一大事です。自分の命の心配よりも先に、「仕事に穴をあけてしまうことになるかもしれない」「関係者の方々にご迷惑をかけてしまったらどうしよう」と、私は頭を抱えてしまいました。
担当の先生から提示された選択肢は「外科手術によるがんの切除」と「放射線治療」の2つです。しかし、これらの治療法にはそれぞれ問題がありました。先生がすすめるのは外科手術をしてがんを取り除くことでした。ただ、この治療法を選ぶと舌の形が変わってしまうため、どうしても話しにくくなってしまいます。一方の放射線治療は首の近くにも放射線が当たってしまうため、声帯に影響が及んだ場合、治療後に声の質が変わる可能性が高いとのことでした。
担当の先生や事務所のスタッフさんと相談に相談を重ねて1週間ほど悩み続けた結果、私は外科手術を受ける決意をしました。舌は筋肉の塊ですから、形が変わっても鍛えることができるのではないかと考えたのです。また、ある仕事先の関係者の方が「復帰するまでいつまでも待っていますから」といってくれました。そうした周囲の言葉にも背中を押してもらい、手術を決意できたのだと思います。
5月の下旬に手術を受け、全身麻酔で舌の左わきを6㌢ほど切除しました。麻酔から目が覚めた瞬間、付き添ってくれていた母に「痛いところがなくなってる!」と笑顔で伝えたんですが、これはまだ麻酔の効果が残っていただけでした。麻酔や痛み止めの効果が切れた後は、脈動に合わせて激しい痛みに襲われました。まるで口の中で除夜の鐘が打たれているようでした。
リハビリが始まったのは手術から1週間後でした。最初は水を飲む練習です。このときに初めて知ったことですが、私たちは普通に水を飲む際も、無意識に舌を使って水を取り込んでいるそうです。ところが、多くの舌がんの患者さんは、手術後に水を飲むと舌をうまく使うことができずに口からどぼどぼとこぼれてしまうというのです。
ところが、私はすぐに水を飲むことができたんです。予想以上に早くリハビリがうまくいったのは、話し好きの母と手術後に会話を重ねたおかげかもしれません。また、声優という職業がら、舌の筋肉が鍛えられていたこともよかったのでしょう。
仕事に復帰を果たした直後に転移が発覚……今年、再手術を受けました
一方で、言葉を以前のように話すことはたいへんで、特に滑舌を取り戻すのには苦労しました。自分では普通に話しているつもりでも、正しい発音にはなっていませんでした。例えば、我が家の愛猫である「シアン」の名をいっているつもりでも、かたわらの家族には「フィアン」と聞こえているような状態だったんです。
リハビリとして、声優が日頃から行っている滑舌トレーニングを実践しました。初めのうちは「さ行」や「た行」の発音がまったくできず、絶望的になったものです。思うように話せないことで言葉を発するのが怖くなってしまい、会話に消極的になってしまうのも大きな悩みの種でした。同じ舌がん経験者の方のブログなどを拝見していると、皆さんもリハビリ中は同じ悩みを抱えているようでした。
でも、復帰まで待ってくれている関係者の方、ファンの方、かたわらで支えてくれている家族のことを思うと、弱気になってはいられません。SNSでたくさんの応援コメントをいただいたことも励みになりました。「一刻も早く元の声を取り戻して仕事に復帰したい」という気持ちが、リハビリに向かういちばんの原動力になりました。
手術から2週間後に退院したのですが、がんとのほんとうの闘いはここからでした。予想以上にがんが深部に達していたため、退院後も放射線治療を受けなければならなかったんです。声帯に影響が及ばないように放射線治療の先生が試行錯誤して考えてくださったのは、舌を無理やり引っ張り出して、放射線を直接当てる方法でした。もちろん、たいへんではありましたが、おかげで声が変性せずにすみ、心から感謝しています。
さらに、切除した側に舌が偏ってしまうことにも悩まされました。クロワッサンのような形に舌が曲がってしまうため、巻き舌はおろか、舌を伸ばして上顎につけることすらできない状態が続いたんです。努力を重ねましたが、自己流の滑舌トレーニングでは限界があると感じ、ボイストレーニングの先生にお願いすることにしました。
ボイストレーニングの先生ご自身も大病を患った経験があるそうで、私の悩みや不安を理解してくれ、親身になってトレーニングを助けてくれました。例えば、舌を上顎に強く押しつける動きを何度も繰り返す〝舌の腹筋〟など、独自のメニューを一生懸命に考えてくれたんです。
がん告知からおよそ4ヵ月後の9月、周囲のサポートのおかげで、想像していたよりもずっと早く仕事に復帰できました。ところが、がんとの闘いはこれで終わりではなかったんです。
復帰後の冬にカゼを引いた際、首の左側のリンパ節がうずらの卵くらいの大きさに腫れてしまいました。がんを患っていたこともあり、定期的に検査を受けていたところ、少しずつ大きくなっていることが判明したんです。大事を取って切除したところ、がんの転移が見つかりました。
幸いにしてがん細胞はすべて取りきれたのですが、「リンパ節に転移が確認された以上は周囲も切除したほうがいい」という先生の意見もあり、2021年2月に再び手術を受けました。今度は首すじから顎の下にかけてメスを入れる大がかりな手術で、傷跡が残ることも避けられませんでした。
さまざまな困難がありましたが、結果としてまた仕事に復帰することができ、毎日を元気に暮らせています。この傷跡とも今後は上手につきあっていくつもりです。今回の取材でお世話になっているメイクさんに、傷が目立たなくなるコンシーラーを教わりました。自分でも驚くほど傷が目立たなくなったので、今後に生かしたいと思います。
がんばった分だけ日々必ず前に進めることを私は闘病を通して実感しました
こうして私ががんとの闘いにくじけずにいつも前を向いてこられたのは、自分の就いている声優という仕事が子どもの頃からの憧れだったからです。特徴的な声のせいで、幼い頃はクラスメイトからよくからかわれていました。そんなある日、アニメなどのキャラクターを演じる声優という職業があることを知って、自分が目指すのはこれしかないと確信したんです。
夢をかなえるために、高校卒業後は故郷の青森を出て上京しました。オーディションを受けても連戦連敗で苦しんだ時期もあり、「自分には向いていないのかも……」と弱気になったこともありました。
それでも、いくつかのアニメやゲームへの出演を機に少しずつ仕事が増えはじめ、いまこうして多くの方に応援していただけるようになったのは、幸せ以外のなにものでもありません。
がんからの復帰後である2020年1月に、現在の夫と結婚しました。実は、結婚を望む彼に私は「やめたほうがいい」と何度も伝えていたんです。がんの治療を終えたとはいえ、その先どうなるか分からない身だったからです。でも、彼とご両親の強い希望に後押しされて結婚を決めたおかげで、幸せな家庭を築くことができました。夫の存在も、治療中はもちろん、いまも大きな支えになっています。
大病が身に降りかかると、誰だって慌てますし、不安になるのもしかたのないことです。でも、つらさに負けずにがんばった分だけ必ず前に進めることを、私は闘病を通して実感しました。大切なのは、いまその状況の中で楽しさを見いだし、ポジティブな心を失わないことではないでしょうか。つらいときこそ、少しでも前進している自分に目を向けてみてください。