1999年、私は進行性の腎臓がんにかかり、両親には「余命半年、2年後に生きている可能性は0%」と告知されました。病床で「もう一度、ホノルルマラソンに出たい!」と強く願った私は、その夢を持ちつづけました。ただ夢を見るのではなく、ゴールシーンをありありと描くことで、つらい治療を耐え抜きました。
6年後の2005年、その夢はようやく実現しました。実をいうと、私はもう一つの夢を描いていました。「ホノルルマラソンのゴールで結婚するパートナーが待っていて、次の日に結婚式を挙げる」という夢です。イメージの中で結婚式のスピーチで涙を流すほど、リアルに夢を描いていました。その夢は2008年に叶います。ホノルルマラソンの翌日、病床で夢に描いたとおり、ホノルルの教会で、たくさんの仲間に祝福されながら結婚式を挙げることができたのです。
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2005年にホノルルマラソン完走という夢を果たした私は、自分が発行する『メッセンジャー』やトーク&ライブなどで、この言葉を伝えていました。すると、その後、想像もしていなかったことが起こりました。なんと、私の言葉に影響されて、たくさんのがん患者さんが実際に走りはじめてくれたのです。
青森県在住のSさん(47歳)は、2003年9月に乳がんの手術を受けました。Sさんは私の「走れるほど元気になったのではなく、走ったから元気になった」という言葉に触発されて、2006年に故郷の青森で初マラソンに参加。5㌔の部に出場したSさんは、号泣しながら感動のゴールを果たします。Sさんはその後、10㌔、ハーフ、フルマラソンと走る距離を延ばしていき、いまでは完全にマラソンランナーになっています。2009年にはなんと、100㌔を走るウルトラマラソンをみごとに完走。そのとき、彼女はいいました。
「がんになる前より100倍元気になりました!」
結婚もされたSさんは、お子さんにも恵まれています。
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東京で病院を開業しているNさんは、2003年に前立腺がんが再発し、5年生存率0%と告知されます。Nさんは抗がん剤、放射線など、すべての治療を拒否。自分で腫瘍マーカーの数値を測りながら、自身の自然治癒力を高める方法でがんを治そうと決意されました。
告知された余命の5年間、Nさんは「何もしないで死を待つなら、好きなこと、やりたいことをとことんやろう!」と思ったといいます。そして、余命を告げられたタイムリミットの2008年12月、みごとにホノルルマラソンを完走。帰国後、医学的な治療は何も受けていないのに、Nさんの腫瘍マーカーの数値が急激に下がっていたのです。Nさんはこういいました。
「細胞には計り知れない力がある。ときには治療も必要だけど、本来持っている細胞の治す力を抑えてしまってはいけない。細胞が働きやすい環境を作ってやるのが大事。細胞はいい仕事するよ」 と。
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自分以外のたくさんの人の経験から「夢を持ち、叶えていくことで人は元気になれる」「走ることで元気になれる」ことを確信した私は、もっとたくさんの人に元気になってもらいたいと思いました。私の生きがいは、宝物のおすそ分け。そんな中、私の中で発芽した夢は、がん患者さんを集めてホノルルマラソンツアーを開催することでした。
治すことを目的にするのではなく、治った後のワクワクする楽しい夢を持つ。その夢を叶え、自分自身の大きな可能性に気づいてほしいと願っています。2010年から始まった「がんサバイバーホノルルマラソンツアー」は現在も続いていて、約400名の方が完走されています。