女優 由美 かおるさん
人気時代劇『水戸黄門』(TBS系列)の「かげろうお銀」役をはじめ、国民的人気を誇る女優として活躍する由美かおるさん。70歳になるいまも10代の頃と変わらないプロポーションを維持し、Y字バランスができるほどの身体の柔軟性を保たれています。多忙な日々の中でも若々しく、楽しく過ごすその秘訣は、37年間続けてきた独特の呼吸法にありました——。
『11PM』の出演によって石原裕次郎さんとの共演が決まったんです
私が芸能界へ進むことになったのは、幼稚園の頃に始めたバレエがきっかけでした。近所にクラシックバレエを習っているお姉さんがいた影響で、「私もやりたい!」と親におねだりしたんです。
中学生になって、友人の誘いで西野バレエ団に入団することになりました。西野バレエ団はさすがの名門で、周りはそれまで見たこともないほどレベルの高いメンバーばかり。これが私にとっては非常に刺激的で、毎日、一生懸命練習を続けていました。この頃は、「将来の夢は?」と聞かれたら、「バレリーナになりたい」と即答していたほどです。
そんなある日、主宰の西野皓三先生が、あるテレビ番組で企画・構成・振り付けを担当することになり、私を抜擢してくださいました。「番組内で歌と踊りを見せるショーコーナーを創るので、出てほしい」といってくださり、それが日本テレビ系列で放送されていた『11PM』でした。
当時中学生の私は、芸能界のこともテレビのことも何も分かりませんでしたが、西野先生が選曲してくださった曲をミニスカートに網タイツ、そしてハイヒールを履いてカメラの前で全力で歌って踊りました。このときに披露したのは、ドリス・デイの『ティーチャーズ・ペット』という曲でした。
これが放送されると、「あの子は誰?」「次はいつ出演するんだ?」という問い合わせがテレビ局に殺到し、電話回線がパンクするほどの反響がありました。これにはとても驚きました。
その番組への問い合わせの中に、なんと石原裕次郎さんからの連絡がありました。しかも「あの子を次の作品の相手役にしたい」という要請でした。
石原裕次郎さんといえば、雲の上の大スターですから、私にとっては夢のようなお話でした。それがトントン拍子に実現し、映画『夜のバラを消せ』という作品で私は女優デビューを果たすことになりました。
さらには、ほかの番組からも次々に出演オファーが舞い込み、私は期せずしてテレビの世界に飛び込むことになったんです。
流れに身を任せているうちに芸能界入りをしたわけですが、意外と肌に合っていたようで、16歳になる頃にはレギュラー番組で司会を担当するなど、多忙な日々が続きます。その番組でイタリアへ飛び、ジュリアーノ・ジェンマさんやモニカ・ヴィッティさんといったトップスターにインタビューをする機会を得て、これが後にイタリアでレコードデビューをするきっかけにもつながりました。西野先生のおかげでさまざまなご縁をいただきました。
本来であれば学生生活を楽しんでいる年頃ですが、とにかく見るものすべてが新鮮でした。目の前のことに必死に挑戦しているうちに、あっという間に時間が流れていきました。
映画・テレビドラマ・ブロードウェイミュージカルの舞台と、たくさんの作品に主演させていただきました。何冊もの台本と新しい曲の譜面を抱え、新しい振り付けを覚えてと、覚えなければならないことも山積み。1日の睡眠時間が2~3時間で、移動の車の中や、撮影の合間の休憩時間に寝るという生活が何年も続きました。
そうして映画やドラマに出演しているうちに、『水戸黄門』(TBS系列)シリーズに「かげろうお銀」役でレギュラー出演が決まりました。1986年のことです。どちらかといえば西洋的な作品に出演することが多かった私にとって、時代劇もまた新鮮なチャレンジでした。
『水戸黄門』の撮影現場は、職人肌のスタッフがそろっていて、作品として多くの方に愛されつづけました。私自身も25年もの長きにわたって出演させていただくことになり、この現場で学んだことは数知れません。いまでも大切に思っている作品の一つです。
「西野流呼吸法」の実践で細胞レベルからイキイキしています
今日までの長い芸能生活の中で、やめたいと思ったことはありません。それは芸能界入りするときの父との約束があったからです。
『11PM』のプリマに西野先生が抜擢してくださったとき、父は私が芸能界に入ることに猛反対でした。まだ、中学生の娘を親元から離すことが心配だったのでしょう。西野先生と話をした父は、西野先生のすばらしい人柄に触れ、この先生なら信頼して任せられると認めてくれました。ただ、一つだけ父が私にいって聞かせたことがありました。
「いったん決めたことは、途中で投げ出してはいけないよ。やると決めたからにはどんなことがあってもやり抜く覚悟がないのであれば、初めから芸能界には行かないほうがいい」
断腸の思いで送り出してくれた父との約束です。どんなことがあっても守り通そうと思っています。
さらに、30代のときに始めた「西野流呼吸法」の影響も大きいです。私はこの呼吸法の実践で細胞レベルからイキイキと自然体でいられるようになりました。
西野流呼吸法とは、西野バレエ団の西野皓三先生が創始した独自の呼吸法のこと。西野先生は「生命の真実・身体の構造」を科学的に解明するために大阪市立医専(現・大阪市立大学医学部)で医学を学んでいるうちに、医学では解明できない「生命の躍動・ワクワク感・生命に感動を与える芸術」に心を引かれ、バレエの世界へ。ニューヨークのメトロポリタン・オペラ・バレエスクールに留学。帰国後、西野バレエ団を設立され、多くのスターを育てられました。その後、「生命の根源」をさらに求めるために武道を始められ、合気道・中国拳法の師範となりました。西洋の医学・バレエ、東洋の武道の動きの真髄からインスピレーションを得て創始されたのが西野流呼吸法です。
西野先生が37年前にこの呼吸法を創始されたとき、私は一番弟子の一人として指導を受けたのですが、その体験は衝撃的でした。先生の指導に沿って呼吸法を始めたところ、みるみる全身が緩んでいき、いつの間にかすっと眠りに落ちてしまったのです。普通の体操や運動とはまったく別物だと直感するのに、十分な体験でした。
呼吸法を毎日続けるうちに、私の身体に思いもよらない変化が起こりはじめます。バレエの練習をしている際、身体の軸がしっかりと安定し、意識してバランスを取らなくても、自然にぴたりとポーズが決まるようになったんです。呼吸法のおかげで全身が緩み、動きの幅が広がってパワーが出せるようになりました。
実際、西野流呼吸法のお稽古に通う人の中には、プロのダンサーやアスリートがおおぜいいますが、誰もが「パフォーマンスが上がった」と口をそろえます。質のよい呼吸をすることで全身に酸素がたっぷりと行き渡り、細胞の一つひとつが活性化します。その結果、その人が本来持っている潜在能力が最大限に発揮できるようになるのです。年齢的には古希を超えた私が、健康で好奇心にあふれ、楽しく過ごしていられるのは、西野流呼吸法を実践しているおかげです。身体の柔軟性も保たれているので、いまでもY字バランスができます。
毎朝の呼吸法で全身を緩めることが美と健康の秘訣です
呼吸法を実践していると、身体の中からエネルギーが湧いて気持ちにも変化が出てきました。
実は、私はもともと人前で話をするのが大の苦手で、台本がなければ何を話していいのか分からずおどおどしてしまう人間でした。ところが、日本人間ドック学会からの依頼で、医師の先生や医学部の教授など医学の専門家1500人の聴衆を前に呼吸法に関する講演を行った際には、別人のように堂々と話せることに驚きました。それ以来、全国の公共団体、医学会、企業などから講演の依頼を数多くいただくようになりました。
心と身体は密接につながっています。身体にエネルギーがあふれると、思わぬ可能性が開けるものだと、あらためて実感させられた出来事でした。
ここで、私の毎朝のルーティーン(習慣)をご紹介しましょう。
午前7時半頃に起床するとまず、目覚めの呼吸法を行うのが私の日課です。
西野流呼吸法は、足の裏から息を吸い上げる「足芯呼吸」を基本としています。実際の呼吸は鼻から吸って口から吐きますが、樹木が根から水分を吸い上げ、葉の先まで全体に行き渡らせるようなイメージで、全身の細胞に働きかけ、ゆったり心地よく行う呼吸法です。
足芯(足の裏)から息を吸い上げるように、ひざ・もも・丹田(下腹部)、そして肛門に軽く意識を置いたまま背骨の中を通して百会(頭頂部)まで吸い上げます。百会で軽く息を止め、その息を身体の前面を下ろして丹田に収め、足芯に向けて吐き下ろしていきます。
この足芯呼吸の「天遊」や「円天」で身体のすみずみまで働きかけていくうちに、血液の循環がよくなり、全身の細胞が活性化し、しだいに足の裏や丹田、そして両手のひらが温かくなってきます。
その後、全身を緩めてねじる「華輪」でさらに身体にエネルギーが満ちて、気がつけば全身が軽く汗ばむくらいポカポカと温泉につかっているような心地よい感覚になります。
こうした朝のルーティーンで眠気は吹き飛び、ワクワクしながら1日のスタートを迎えることができます。この呼吸法を37年も続けているおかげで、カゼを引かなくなりました。
詳しいやり方はぜひ本をご覧ください。
健康と元気を保つためには、食事も重要です。例えば朝食は和食をしっかりいただきます。仕事などで朝が早い時は、チリメンジャコにノリ、チーズを乗せたトーストがお気に入り。デザートにフルーツやヨーグルトも欠かせません。朝食をとらない人も多いようですが、栄養はすべての源。ぜひ呼吸法とセットで習慣にしてください。
また、夕食も基本的に和食が中心ですが、肉でも魚でもなんでも食べますし、食前酒にワインをいただくこともあります。
意識しているのは旬の食材を積極的に食べること。新鮮な旬の食材は栄養価が高いですし、おいしいです。摂取すると全身の細胞が喜ぶのが分かります。それによってワクワク感が増し、新しいことにもどんどん挑戦したいという意欲が湧いてくるんです。
アコーディオンを始めたのも、60代になってからのことです。きっかけはパリで女性アコーディオン奏者の演奏を目にしたことで、「かっこいい!」とひと目でとりこになりました。
アコーディオンはとても難しい楽器です。右手で鍵盤を弾き、左手でジャバラを動かしながらコードのボタンを押して演奏します。演奏しながら歌を歌うので、四つのことを一度に行います。私は難しいことにチャレンジするのが好きなので、練習を重ねて少しずつできるようになっていくのが楽しいです。
父方の先祖は10代続いた宮大工でした。コツコツといいものを作るというDNAを私も受け継いでいるように感じます。
一昨年には37年ぶりにCDアルバム『Jewel Box』をリリースしました。その中にもアコーディオンの弾き語りを収めましたし、ステージでも披露しています。
そんな私のいまの目標は、生涯現役でいること。いくつになっても健康でワクワク人生を楽しむことがいちばんのモットーです。
長引くコロナ禍では行き詰まることもあるかもしれません。そんなときは、えてして実際に息を詰めているものです。息が詰まれば呼吸が浅くなって身体がエネルギー不足となり、動きたくても動けなくなってしまいます。質のいい呼吸ができると身体が緩み、エネルギーが生まれ、一歩踏み出すことができるようになります。一歩踏み出したことで新しい可能性が生まれ、また次の一歩、次の一歩へとつながっていきます。
足芯呼吸を実践することで深い呼吸が身につき、イキイキとした毎日を送ることができます。皆さんも楽しく呼吸法を始めてみませんか? そして機会があったらぜひ私といっしょにお稽古しましょう!