落語家 柳家 花緑さん
学校でいじめに遭わなかったのは落語があったからです
いまでこそ、こうして落語家として生計を立てていますが、子どもの頃は勉強がからっきしで、いわゆる落ちこぼれでした。そんな自分にコンプレックスがなかったわけではありませんが、不登校になることはなく、毎日元気に学校に通っていたのは、生まれもっての楽観的な性格のおかげか、あるいはクラスに好きな女の子がいたからでしょう。やはり、色恋のパワーは偉大です。
振り返ってみれば、同居していた祖父が昭和の名人といわれた五代目・柳家小さんということで、かなり特殊な小学校時代でした。なにしろ、週末など一般的な休日がわが家には当てはまらないので、家族旅行も平日に行くしかありません。学校の先生もわが家の事情を察してくれていたのか実におおらかで、「先生、明日から家族で伊豆へ行くのですが」というと、「お、そうか。小さん師匠によろしく伝えてくれな」といった具合でした。
おまけに私自身が9歳で高座に上がって注目を浴びていましたから、クラスメイトたちも応援してくれていました。教室にあった懐かしい観音開きの扉がついたテレビで、私の出演した番組をみんなでを見てくれたそうですから、うれしいですよね。やはり、子ども心にも周囲に一目置かれるというのは、気持ちのいいものでした。
あんなに成績が悪かったのに、いじめられたりバカにされたりすることがなかったのも、落語というアイデンティティがあったからこそです。ただ、それでも当時は、プロの落語家になろうという気持ちはありませんでした。
けれどそのうち、母にそれとなく導かれ、祖父のもとに正式に入門することになります。さほど強い意思があっての入門ではありませんでしたが、ほかになりたい職業もなく、何より落語しか成功体験を持ち合わせていなかったので、この道を選ぶのが自然だったというわけです。
中学生時代は学業のかたわら雑用をこなし、落語の稽古に励むという修業生活でした。私の場合、既に高座に上がってお客様の前で落語をする経験をしていましたし、祖父や叔父である六代目・柳家小さんからいくつかの噺を教わっていましたから、中学卒業後の入門時にはすでに11席ほどの噺を習得していました。そのため、普通は1年ほどの見習い期間を経て初めて前座として寄席の高座に上がれるところを、楽屋入りからわずか数日で出番が回ってくるという異例ずくめ。「スーパールーキー現る!」といった感じで落語界に迎えられたので、私にとって落語はとても心地のいい世界だったんです。
視聴者からのメールが自分の発達障害を知るきっかけになりました
そんな私の発達障害が判明したのは、あるテレビのバラエティ番組に出演したことがきっかけでした。
中学校時代の通知表を見せながら、「いまでは師匠と呼ばれている私ですが、子どもの頃の成績表は1と2しかない落ちこぼれだったんですよ」と明かす内容でした。
すると、番組を見たある女性から、私が所属する事務所宛に一通のメールが届いたんです。メールには「うちの息子も師匠と同じ障害を持っています」と書かれていました。
障害というネガティブな文字にびっくりしましたが、私としては心外なわけです。そこで、「お子さんについてのご苦労はお察ししますが、私が不出来だったのは障害とは無関係だと思いますよ。音楽や美術の成績は、むしろ周囲よりよかったですから」とお返事を差し上げました。
するとまたメールの返信があり、「それもうちの息子と同じです。やはり、師匠もディスレクシアではないでしょうか」と書かれていたのです。どうやらそのお母さんとしては、同じ障害を抱えながら立派にやっている私を見て、ぜひ子育ての参考にしたいという思いがあるようでした。
こうなると、内心では「まさか自分が……」と思いつつ、さすがに気になってしまいます。確かに振り返ってみれば、思い当たる節がないわけではありません。「自分がほかの人ではありえないミスを繰り返して、人知れず苦しい思いをしてきたのも、そのディスレクシアという障害のせいなのかもしれない」と思うようになったのです。2014年、私が40代になってからのことでした。
そのお母さんからいただいたメールをきっかけに、自分なりに発達障害について調べてみたところ、ディスレクシアとはつまり、「識字障害」のことと知りました。識字障害について書かれた文献の症状はことごとく自分に当てはまり、まるで私自身のプロフィールを読んでいるような気分にさせられました。
「自分はディスレクシアだ」と、もう受け入れるしかありません。その後、2018年11月にテレビ番組の企画で大阪医科大学LDセンターで識字障害の検査を受けると、先生から「きれいなディスレクシアですね」というお墨付きをいただきました。
子どもの頃からしょっちゅう忘れ物をして先生に叱られていたのは、注意欠如・多動症(ADHD)が原因。夢中になると授業中でもおしゃべりに没頭してしまうのは多弁症。発達障害について知れば知るほど、思い出すのがちょっと嫌な、幼い頃の少し恥ずかしい思い出の理由がすべて腑に落ちました。
意外だったのは、自分が発達障害であるという衝撃の事実に驚かされた反面、すっと気持ちがらくになった事実でした。それまでは「自分は勉強ができないダメな奴」と思い込んでいましたが、「実は発達障害が原因だった」と考えると、どこかほっとできている自分に気づいたのです。
自分が発達障害であることを自然に受け入れられたのは、祖父が座右の銘としていた「万事素直」という教えがあったおかげだと思います。「何事もいったん取り入れて受け入れてみることが大切で、それでも違うと感じたのであれば元に戻せばいい」という意味です。祖父が教えてくれた万事素直の姿勢は、わが家の家訓でもあります。そのため、発達障害である自分をいったん素直に受け入れてみることに抵抗はありませんでした。
自分らしい個性・才能を大いに伸ばせる世の中になってほしい
「自分は発達障害なんだ」ということさえ受け入れてしまえば、日々の失敗も笑い話です。
例えば、若かりし20代の頃のエピソードです。いただいた出演依頼書には「田町」と書かれていたのに、なぜか「町田」と誤読して、都内でも真逆の方向にある街に向かってしまったことがありました。古典落語の「芝浜」という噺を演じた後のサイン会では、間違えて「浜松やりました」と書いてしまったこともありましたね。
また、落語家というのは座りっぱなしの職業なので、どうしても痔を患う人が多いんです。私もご多分にもれず、お尻の激痛に悩まされたので病院へ行きました。
ところが、受付で渡された問診票に「朝からお尻が痛いです。痔の疑いあり」と書こうとしても「痔」という漢字が思い浮かびません。そこで、持っていた携帯電話で検索をしてみたのですが、どれが正解なのか分かりません。診察までの時間がなくなってしまったので、なんとなくイメージしていたものに近い漢字として選んだのが、「侍」という文字でした。
つまり私は病院の受付で、「朝からお尻が痛いです。侍の疑いあり」という、訳の分からない問診票を提出したわけです。先方は私が発達障害であることなんて知りませんから、「お尻が痛いでござる!」とのたまう、けったいな患者がやって来たと思ったかもしれませんね。いまにして思えば、普通にひらがなで「じ」と書けばそれでよかったのでしょうけど、「じ」なのか「ぢ」なのかも分からなかったので……。
ともあれ、そういう経験すらネタにできるのは、落語家という職業ならでは。むしろ強みにさえなります。でも、目的地を勘違いして寄席に遅れるようではいけませんね。だから最近は、仕事の支度は前日のうちにたっぷり時間をかけて、入念に行うようにしています。出演依頼書と交通チケットを何度も確認し、必要なことはすべてメモ用紙に箇条書きにしておく。自分の発達障害に気づいたことで、マネージャーもすごく配慮してくれています。おかげで仕事面では、特に不自由することはありません。
ちなみに、新しい噺を覚えるときは、いまも昔もひたすら筆記して頭にたたき込んでいます。これは自分が識字障害であることを知る前からの習慣なんです。頭にたたき込むのは「文字として記憶する」というより、「書き出した文面をまるごとビジュアルとして記憶に焼きつける」という感覚の作業です。
発達障害を告白したことで、得たものも少なくありません。こうして取材を受けたり、講演で全国から呼んでいただいたりする機会も増えました。自分の体験や発達障害に対する考え方を広く発信するうちに、同じ悩みを抱える仲間や、同じ課題に立ち向かう仲間ができました。
「思っていたより普通なんですね」といわれることもありますが、そういう言葉をかけられるうちは、まだまだ発達障害に対する理解が十分ではないと感じます。
問題なのは、「私のように見た目には分からない問題を抱えている人が、この世の中に一定数存在する」という事実です。発達障害という言葉にとらわれることなく、ディスレクシアにしてもADHDにしても、その人なりの個性の一つと認められる社会になるのが、いまの私の理想です。実のところ、落語家仲間には私と同じ症状か、あるいはそれ以上ではないかと思える人もいるんです。それでも皆、自分らしい個性と才能を発揮しながら元気に楽しく生きています。
世間はどうしても、できる部分よりできないところばかり見てしまいがちです。ご家族に発達障害の方がいたとしても、それを無条件に心配してしまうマインドこそが問題じゃないでしょうか。できない面の心配ばかりするのではなく、できる部分を伸ばしていける環境や配慮がある世の中になってほしいです。世間の常識を少しずつでもいい方向に変えていけるよう、私もがんばっていきたいですね。
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