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ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる!第12回

ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる

雨野 千晴

ADHDはマシンガントーク!おしゃべりが止まらない!

[あめの・ちはる]——北海道生まれ。北海道教育大学札幌校卒業。公立小学校教員として10年間勤務。2017年にADHD(不注意優勢型)と診断。現在はADHD専門ライフコーチ、NPO法人代表理事、福祉事業所スタッフなど"多動な"複業活動を展開中。

ADHDの特徴の一つに「多弁」というものがあります。おしゃべりが始まると止められない、止まらない! そして思いつくままに話すので、話題があちらこちらに飛んだりします。おしゃべりなタイプでない方も、口に出ないだけで頭の中は連想ゲームのように思考が忙しい場合も多いようです。

私はADHDの薬を飲んでいないのですが、服薬している友人は薬を飲むと頭の中がシーンとして、「普通の人の頭の中ってこうだったんだ!」と驚いたと話していました。誰かの頭の中と取り換えて経験することはできませんが、そのくらい、ADHD脳タイプの方はオーバーヒートぎみに脳を回転させたり、それが言葉になって飛び出してきていたりするのかもしれませんね。この友人もとてもおしゃべりで、1時間ノンストップで、ずっと一人で話しつづけることができます。私も今、インスタグラムのライブ配信「インスタライブ」というのをほぼ毎日やっているのですが、一人で話す配信なのに、べらべらといつまでも話しつづけています(笑)。

ADHD脳タイプといわれている有名人として、トットちゃんこと黒柳徹子くろやなぎてつこさんのお話のされ方に似ているといわれたことがあります。トットちゃんはその多弁さ、多動さで問題児とされ、小学1年生の時に退学になったという経歴をお持ちですが、私も同じように、子どもの頃から早口でおしゃべりでした。

そんな私ですが、20代後半の頃、人前で話すことができなくなった時期がありました。職場の人間関係がうまくいかず、ストレスだったのか、同僚の前で声を出そうとすると、のどのあたりがぎゅっと締まり、動悸どうきが起こってて言葉がうまく出てこなくなったのです。

マシンガントークをして、人前で発表するのも好きだった自分にとっては衝撃の出来事でした。悩みに悩んで話し方の教室に通おうかと思ったこともありました。私は小学校の教員だったのですが、この時初めてみんなの前に出て話をするのが苦手な子や、学校に来ると言葉が出ないという子どもたちの気持ちが分かったような気がしました。

さて、当時の話がウソのように、私は今、講師業をしたりライブ配信をしたりしています。話せるようになったきっかけの一つは、子どもが生まれて、赤ちゃんのための集まりとしてベビーマッサージやリトミックなどに行くようになったことです。

そういう場ではだいたい、赤ちゃんの名前と月齢だけ話す、簡単な自己紹介がありました。最初は緊張しましたが、決まっている短い言葉を話すだけだったので、だんだんと慣れていきました。そして、出会ったママたちと会話をするようになりました。

職場でうっかりミスを多発して、毎日緊張して出勤していた頃には「自分はダメな人間なんだ」と思っていましたが、そこで出会ったママたちは「うっかりの面白い人」として私を受け入れてくれたようでした。新たな自分の居場所を得られたことで、私は自分の思っていることについてもだんだんと話せるようになっていったのです。

「自分の考えていることを話せる」ためには、相手との間に「話しても大丈夫」と思える、安心できる関係性がまずは必要なのだなと思います。それは脳タイプに関係なく、誰にとっても同じことなのではないかな、と。すっかりマシンガントークに戻った今も、あの時に自分が感じたことは、忘れないようにしたいなと思います。

さて、私のパラレルキャリアの一つに、「カウンセラー」があります。先月より、自宅の一室で「カウンセリングルームあめのちはれ」をオープンしました。脳タイプや話し方にかかわらず、みんなが安心して自分を出せる環境を、自分の身近なところから作っていきたいと思っています。

イラスト/雨野千晴