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ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる!第1回

ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる

雨野 千晴

「うっかり女子でも大丈夫」をモットーに7つの肩書で〝多動な活動〟を展開する雨野さん。うっかりしても自分を嫌いにならず、前向きに生きられる〝雨野流ちゃっかり生活〟のヒントをお届けします。

[あめの・ちはる]——北海道生まれ。北海道教育大学札幌校卒業。公立小学校教員として10年間勤務。2017年にADHD(不注意優勢型)と診断。現在はADHD専門ライフコーチ、NPO法人代表理事、福祉事業所スタッフなど"多動な"複業活動を展開中。

私は37歳の時にADHD(不注意優勢型)と診断を受けました。時間が守れない、遅刻が多い、片づけが苦手。自分の背後にはブラックホールがあるんじゃないかと真剣に疑うほど忘れ物やなくし物が多いんです。そんな自分のことを「うっかり女子」と称して発信しています。

子どもの頃からお道具箱の中はぐちゃぐちゃで、部屋の片づけは大の苦手。ただ、学校の勉強や人前でハキハキと意見をいうのは得意なほうでした。子どもの頃は過保護な母の全面サポートがあったので、忘れ物で困った記憶もありません。自分の特性に気づかず、学級代表なんかもやったりしていました。私のような不注意優勢型は、大人になってから実害が出て悩みはじめる方も多いようです。

1996年に私がうっかり女子の師匠として勝手にあがめているさくらももこさん作『ちびまる子ちゃん』のテレビ放送が始まりました。主人公は当時の私と同じ小学3年生。私は「わぁ、同級生だ!」と毎週楽しみに見るようになりました。まるちゃんは、夏休みの最終日に慌てて宿題を始めたり、授業中ボーッとして「自分がハーフで美人な女の子だったら……」と妄想にふけって先生に怒られたりと、ADHD的なやらかしを繰り広げていました。ナレーターのキートン山田(やまだ)さんに「まる子、しっかりしろ」と突っ込まれるまるちゃんを、私は大笑いで見ていました。実は自分もちびまる子ちゃんのような子どもだったとも気づかずに。

私が自分のうっかりを自覚しはじめたのは、高校に進学して、身の回りのことを自分でやるようになってからです。あまりにも忘れ物が多いので、全教科の教科書・ノートなどの学用品を毎日持ち歩く妙案を編み出したほど。おしゃれな手提げ鞄では持ち物が入りきらないので、私の通学鞄は車輪のついた大容量のカート。そんな通学鞄を使う女子高生は、日本で私だけだったと思います(笑)。

イラスト/雨野千晴

社会に出てからは、事態は一段と深刻になりました。学生時代に成績がわりとよかった私は、「うっかりもあるかもしれないけれど、私、仕事はできるはず!」という大いなる勘違いをしたまま、27歳で小学校の教員になりました。なくしてはいけない公文書やお金の管理、校外学習の引率など「うっかりしちゃった~」ではすまされない場面が増える中でうっかりミスを連発。さらに変なプライドから「報告・連絡・相談」がきちんとできず、職場の同僚からもすっかり見放されてしまったのです。

自業自得とはいえ、どん底の気持ちで毎日重い体を引きずり、学校へ向かう毎日。そんな時、私の目の前に再びちびまる子ちゃんが現れたのです。気分転換で手に取ったさくらももこさんのエッセイ本には、大人になったちびまる子ちゃん(さくらももこさん)が、うっかりしたりとんでもないことをしでかしたりしながらも、相変わらず面白おかしく過ごす様子がつづられていました。

ちびまる子ちゃんのすごいところは、先生に注意されてもお母さんにガミガミ怒られても全然落ち込まないところ。自分はなんてダメな人間なんだろう……などとメソメソせずに、「プップクプー♪」なんていいながら、ひょうひょうと生きている。そんなちびまる子ちゃんの姿に励まされながら、「どうしたらこんなふうに生きられるんだろう?」と思うようになったんです。

「ちびまる子ちゃんになるにはどうしたらいいのか」と考えた私は、2017年に教員を退職。「好きなこと・得意なことだけをして生きていけるかどうか」の実験をはじめました。6年たった現在では7つの肩書で〝多動〟に活動するパラレルキャリアーとして「書く・発信する」ことを中心に複業人生を送っています。

私がさくらももこさんから生きるヒントをいただいたように、これから私の連載を読んでくださる皆さんに、うっかりさんでもちゃっかり生きるための視点や工夫をお伝えできたらうれしいです。