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ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる!第6回

ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる

雨野 千晴

片づけが苦手な私の大掃除の思い出

[あめの・ちはる]——北海道生まれ。北海道教育大学札幌校卒業。公立小学校教員として10年間勤務。2017年にADHD(不注意優勢型)と診断。現在はADHD専門ライフコーチ、NPO法人代表理事、福祉事業所スタッフなど"多動な"複業活動を展開中。

年末といえば大掃除ですが、「ADHD=片づけができない」というイメージをお持ちの方も多いと思います。まさに! わたくし、片づけが大の苦手です。小学校ではお道具箱がぐちゃぐちゃ。配布物はランドセルの底で「どんだけ圧縮された?」というくらいしわくちゃになって出てきました。高校生の時は、寝坊ぎみの私に朝ご飯として母が持たせてくれたおにぎりがカバンの奥底から〝緑色の物体〟として出てきたことも(つまり、入れっぱなしでカビていたのです……)。大学生の頃は、四畳半の自室に片づけられないレポートや資料が山積。地層のようになり、床は常に見えない状態でした。

「片づけなさい!」とたびたび家族から叱られても、なにをどう片づけてよいか分からなかった私。大人になった今、片づけが苦手な理由を分析してみました。

理由その1:動作の終わりに意識が向かない

例えば、買ってきた洋服のタグを切ろうとする時。引き出しからハサミを出してタグを切るところで、私の中では動作が完結してしまいがち。ほんとうは、切ったタグをゴミ箱に捨てて、ハサミを戻して引き出しを閉めるという動作が必要ですが、目的を達成した時点でその後のことは脳内から消え去ってしまうんです。

理由その2:ものの分類が苦手

なにをどこにしまうかを分類して決めること自体が私にとっては難しく、書類も洋服もパソコンのデスクトップのアイコンさえも、分類されずに雑然と混在しています。まだ実家に住んでいた、ある年の瀬。自室の大掃除が終わらずぼうぜんとしていた私は、「ちょっと視点を変えて、まずは全体像を把握してみよう」と、勉強机の上に上って部屋を眺めてみました。もちろんなんのアイデアも方法も思い浮かばず、目の前には絶望的な光景が広がっていたことが今でも脳裏に焼きついています。

理由その3:捨てることへの不安

ものを片づける時は、最初にすべてのものを出し、「捨てるもの」「取っておくもの」に分類してから、しまう場所を決めると教わったことがあります。ですが、「これには大切な思い出が……」とか、「これはいつか使うかもしれない……」と、なかなか「捨てる」ことができません。

さて、私は心理カウンセリングの仕事もしているのですが、カウンセラーの勉強をしていた時、おもしろいことが起こりました。自分や同期の仲間が「心」について学びを深めていくにつれて、自分自身の葛藤(かっとう)や不安が整理され、部屋の片づけが進んだという人が多かったのです。

ADHD当事者でありながら、整理収納アドバイザーとして活躍されている西原三葉(にしはらみわ)さんにお話を伺ったことがあります。「片づけられないことで悩んでいる方は、それまでに叱られたり説教をされたりして、自己肯定感が下がっている人も多い。なによりも大事なのが、責めたりせずに、その人の気持ちに寄り添って、捨てることを強要しないこと」とおっしゃっていました。「片づけができない」ということは、単に苦手というだけでなく、心のありようとも深く関わっているのかなあと思います。

私は週に1回、子どもと片づけの日を作っています。西原さんのお話を伺ってから、「捨てるもの」「捨てずにしまうもの」、そして「とりあえず取っておくもの」の三つに分けるようにしました。私から見たらどう見てもゴミだよね、というものも、子どもにとっては宝物だったりします。私自身についても、この洋服はもう似合わなくなっていて、着ないだろう……と思っていても、思い出があって捨てられないものもある。でも、しばらく期間を置いてから見てみると、「もういいかな」と、お別れができるようになったりするから不思議です。

年末に大掃除を終えてすっきり新年を迎えられたら最高ですね。だけど、そうでなくても、その人その人のペースで、自分や家族の気持ちを大切にしながらのんびり片づけに取り組むというのもいいんじゃないかな、と私は思っています。

イラスト/雨野千晴