プレゼント

ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる!第15回

ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる

雨野 千晴

名前が覚えられない私を勇気づけてくれた言葉

[あめの・ちはる]——北海道生まれ。北海道教育大学札幌校卒業。公立小学校教員として10年間勤務。2017年にADHD(不注意優勢型)と診断。現在はADHD専門ライフコーチ、NPO法人代表理事、福祉事業所スタッフなど"多動な"複業活動を展開中。

私は固有名詞を覚えることが苦手です。例えば、お気に入りのお店でも、おしゃれなレストランの名前などは「ほら、カタカナの……5文字くらいで『カ』がどこかに入ってるお店で……」といった具合です。なんとなくの感覚でとらえていて、具体的な名称を記憶するのが苦手なんです。ADHDの診断基準にそのような苦手さが項目として挙げられているわけではないのですが、私と同じように「名前を覚えるのが苦手」という人は多いようです。

いちばん困ってしまうのが、人の名前を覚えられないこと。ちょっと思い出せない……くらいならまだしも、私の場合、1年間一緒に働いた同僚の名前すらとっさに出てこないこともあるほど。さすがにそこまでの仲で「あなたの名前なんでしたっけ……?」とは聞きにくいですよね。

教員時代によかったのは、同僚の先生方の名前が出てこなくても「先生!」と呼べばすんだことです。しかし、子どもたちの名前はそうはいきません。教員1年目に、指導担当の先生から「始業式までに全員の子どもの名前を覚えるように」と教えられました。「名前を覚えてもらえることは、自分を見てもらっているという思いにつながる。それだけで、子どもたちと心を通わせる手掛かりになる」と。ほんとうにそのとおりだと思うのですが、私にとってはとても難しいことでした。子どもたち全員の写真入り名簿を持ち帰り、受験勉強のごとく深夜まで暗記に明け暮れました。

教員を退職することに決めた最後の年は特に大変でした。それまではクラス担任を受け持っていたので、主に関わる子どもたちは30人ほどでしたが、その年は教科担任として6つのクラスの授業を受け持つことになったからです。関わる子どもたちは約200人。その年、私は初めて「新学期までに徹夜して名前を覚える」ことを諦めました。そのぶんの時間を、教材研究や子どもたちの提出物へメッセージを書くことなど、自分ができることで子どもたちへ還元できることに使おうと決めました。そして、どのクラスでも初めの授業で、「先生は名前を覚えるのが苦手です」ということを正直に子どもたちへ伝えました。

新学期がスタートして半年ほどたったある日、冗談で私に「名前当てクイズ」を出してきたお子さんがいました。私は目の前のお子さんの名前を答えることができませんでした。ほんとうに申し訳なかったし、情けなかった。自分はなんでこうなんだろう……。子どもたちに謝りました。

「私は名前が覚えるのが苦手だと春に話しましたね。実は、半年たってもまだ覚えられていません。さっきはAさんの名前を間違えてしまいました。でも、Aさんがいつも理科ノートをていねいに取っていること、自分の考えをしっかりまとめられていること、実験の準備を積極的に取り組んでいることは、ちゃんと覚えているからね」

そんなふうに正直に話すと、あるお子さんが、「先生、大丈夫だよ。名前覚えたいって思ってるんでしょ。それでいいじゃない」といってくれたのでした。

あれから7年がたち、びっくりする出会いがありました。私が働いている生活介護事業所へ、最後の年に図工を受け持ったお子さんがアルバイトで入ってきたのです。当時、小学6年生だったBさん。私はBさんの名前を覚えていなかったのだけれど、彼女のかわいらしい笑顔とていねいに制作する様子、卒業制作で作った木彫りのオルゴールの柄や名前の上に塗った鮮やかなスカイブルーの色合いを鮮明に覚えていました。

私は名前を覚えることができません。だけど、一人ひとりがどんなお子さんだったか、それぞれの輝く瞬間を退職した今でも鮮明に覚えています。一人ひとりに、得意・不得意、できる・できないがある。「それでいいじゃない」といってくれたあの子の言葉が、今も私を勇気づけてくれています。

イラスト/雨野千晴