プレゼント

ADHDの偏った集中力やこだわりをアートに活かしています

有名人が告白

葉っぱ切り絵作家 リトさん

焼き魚の骨を夢中で取っていたらご飯を食べ忘れていました

[りと]——1986年、神奈川県生まれ。自身のADHD(注意欠如・多動症)による偏った集中力やこだわりを前向きに生かすため、2020年より独学でアート制作をスタート。インスタグラム、ツイッターに毎日のように投稿する葉っぱ切り絵が注目を集める。『情熱大陸』(TBS系列)、『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)、『あさイチ』(NHK総合テレビジョン)、『スッキリ』『ヒルナンデス!』(ともに日本テレビ系列)など、TV番組や新聞で続々と紹介される。世界各国のインターネットメディアでも驚きを持って取り上げられる。個展で販売される作品も毎回即完売するほど人気。『いつでも君のそばにいる 小さなちいさな優しい世界』『葉っぱ切り絵メッセージカードBOOK 離れていても伝えたい』(ともに講談社)が大きな話題を呼んでいる。

幼い頃はどこにでもいる「普通の子」でした。スポーツはさっぱりでしたが、といって勉強が特に好きなわけでもなく、成績も、まぁ「そこそこ」。

当時、夢中になっていたのは何といってもTVゲームでしたね。学校から帰ると、仲の良い友だちとTVゲームをする毎日。それから、仮面ライダーとかガンダムなどキャラクターものも大好きで、情報満載の漫画雑誌『コロコロコミック』を愛読していました。

ただ、あらためて振り返ると、周りの人よりも集中力が異常に高かったとは思います。集中力が求められるジグソーパズルや「レゴ」ブロックなどは、取り組みだすと、周囲が見えなくなるほど自分の世界に入り込んでいました。

日常生活でもそうでした。いったん気になりだしたら、それに対して集中してしまう。例えば、晩ご飯に出てきた焼き魚の骨を取ることに夢中になって、食事中であることを忘れてしまうことも。

忘れ物はかなり多かったですね。ポケットにティッシュを入れたまま洗濯に出してしまうことは誰でも経験あることだと思いますが、僕の場合、それが三日に一度くらいの頻度でした。

それから、出かける前に何か別のことに気持ちが向いてしまうと、大事なことを忘れてしまう。定期券や携帯電話、家のカギを家に置いて出かけてしまうなんてことはしょっちゅう……。

こうした性質を深く考えることもなく、将来や人生の目標も特に持たないまま、とりあえず周囲の友だちと同じように大学に進み、バイト先だったすしチェーンにそのまま就職しました。

ところが、社会人として就職したことを境に、「自分は周りの人たちとは違うのではないか?」という漠然とした不安を抱くようになりました。ただ、当初は、「単に仕事ができない要領の悪いタイプ」だと思うだけでしたが。

例えば、店の( ちゅう)(ぼう)でおすしを作っているとき、急にレジで「お客さんの対応をしてくれ」といわれても、うまく対応できません。といって、またすし作りの業務に戻っても、さてどこまでやっていたのかを思い出すのが難しいといった感じです。そんな、仕事をうまくできないストレスを日々ためている自分がいました。

バイトの頃は、自分なりのペースで仕事を進めることができていたのですが、正社員となったらそうはいきませんよね。さらに、回転ずし部門に異動になったことで、仕事内容が大きく変化しました。お客さんがそれぞれ次々にさまざまな注文を出してくる状況に、僕は臨機応変な対応ができませんでした。

あまりにキツくなったので、退職も考えて学生時代の友だちに相談すると、「俺だってキツいよ、仕事ってそんなもんだろう」という返事。「もう少しだけがんばってみよう」と努力を続けてはみたものの限界がきて、7年勤めた会社を辞めました。

インターネットで症状を調べたら発達障害だと確信したんです

その後転職を重ねて、「ここなら」と入った三社目の和菓子屋さんでも相変わらず怒られてばかり。

社会人となってから九年ほどたったある時、自分のように「要領が悪い人はどんな工夫をしているのか」とインターネットで調べてみたんです。すると、そのとき初めて「発達障害」という言葉が検索結果に出てきました。まったく知らなかった言葉だったので、よく調べてみると、これまで自分が苦労してきた状況がぴったり当てはまります。自分は100%、発達障害の一つであるADHD(注意欠如・多動症)だと確信しました。実際、すぐに病院で診察を受けると、ADHDと診断されました。

こう診断されて、正直、ホッとしました。仕事ができなかったのは怠けているからではなく、脳の障害が原因であると医学的に証明されたからです。

まずは、障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳・二級)を取得してから、障害者向けの求人を探すことにしました。

ところが、障害等級や希望などの条件を入力して検索をかけてヒットした求人は三件だけ。「自分の人生はほんとうにこの三択なのか?」と考えても、どの会社に入ってもまた同じ問題にぶつかることが目に見えていました。その時、サラリーマンとして生きる道を探すのはやめて、「自分の人生は自分で切り開き、独立独歩で生きていこう」と強く心に誓いました。

まず考えついたのは、自分のように、発達障害で苦しんでいる人の手助けをしたいということ。ツイッターを使って、僕がADHDだと分かった経緯や悩みなど、いろいろな情報を発信する取り組みを始めました。

「最初はADHDに関する情報を発信しはじめたんです」

絵を投稿しはじめるきっかけは、情報収集のために参加した就労支援講座でした。余った時間が退屈で、配られたプリントの隅っこに無意識に落書きをしていたんです。

小さい頃は絵を描くことが好きでしたが、長い間絵なんて描いていませんでしたし、もちろんアートの勉強もしたことはありませんでした。ただ、久しぶりに描いてみると、かなり精緻な絵が描けたんです。この絵を一枚の紙の上に描き込んだら、アートっぽくなりそうな直感がありました。「もしかしたら、アーティストとして食べていけるのではないか?」と希望の光が見えた瞬間でした。それで、講座のほうは「おなかが痛くなったから」と仮病で早退(笑)。すぐに、家で絵を描きはじめました。

ボールペンと色鉛筆で制作した絵は、2週間ほどで描き上がりました。SNSのツイッターに投稿すると、「いいね」の反応がたくさん寄せられました。「これはいける!」と、絵を描いては投稿を続けました。

ところが、しだいに「いいね」が減っていきます。そこで、紙袋に絵を描いたり、粘土で立体の造形物を作って絵付けしてみたりなど、いろいろな試行錯誤を重ねました。投稿先もツイッターだけではなく、写真がメインのインスタグラムにも並行してアップするようにしました。

細かい作業にも集中して取り組める自分に向いていると思ったのは紙の切り絵でした。ただ、SNSに切り絵作品を投稿している人は非常に多く、どんなに時間をかけて作った切り絵も投稿した途端に埋もれてしまい、思ったような反応が得られません。

もんもんとしていたある日、ネットで検索していて見つけたのが、葉っぱに切り絵を施している海外アーティストの作品でした。僕は「これだ!」と確信し、すぐその日に葉っぱを探して切り絵にチャレンジして投稿。そこからは「葉っぱ切り絵」を毎日必ず一作品アップすることを心がけました。

ただ、今でこそSNSに投稿すると一作品で数万も「いいね」をもらえるようになり、フォロワー数も55万人(ツイッターとインスタグラムの合計)を超えましたが、最初からそうだったわけではありません。

葉っぱ切り絵を始めた初期によく題材にしていたのは、自分の好きなTVゲームや映画のキャラクター、絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)などの変わった生き物でした。また、切り絵の細かい技術を「どうだ!」と見せたい気持ちが強かったと思います。

けれど、どんなにがんばって細かい作品を投稿しても、反応が伸びず、悩みました。そこで、見る人に「かわいい!」といってもらえるようなウサギやネコといったキャラクターを登場させるようにしたのです。また、作品をあれこれ説明せず、つけるのはタイトルだけにして、見る人が葉っぱの上のストーリーを想像する余地を残すようにしました。

そうすることでSNSの「いいね」が増え、フォロワーさんも増えていきました。現在の童話のようなファンタジックな世界観は、僕一人で作り上げたものではなく、SNS上でのフォロワーさんたちとのキャッチボールから生まれたものなんです。

発達障害の子どもを持つ保護者から相談される機会が増えました

ツイッターに初めて投稿したイラスト。この頃はまだ反応も少なくてしばらく模索が続くが、緻密な表現は現在の葉っぱ切り絵に通じるものがある

おかげさまで、葉っぱ切り絵アーティストとして食べていけるようにはなりましたが、ADHDが治ったわけではありません。これは、仕事をしている時からそうでしたが、作品作りに集中した後は、疲れが一気に出るんです。そんな時は、あえて何もしないでダラダラと過ごす時間を設けるようにしています。

発達障害のお子さんを持つ保護者から、相談を受ける機会も増えました。あくまでも当事者の立場として僕からアドバイスできるとしたら、おかしいと思ったら早めに病院に行くこと。そして、診断を下されたら、「自分の得意なこと」と、逆に「苦手なこと」を明確にして、強い部分を生かせる仕事や生き方を探すことだと思います。まさに僕のように、です。僕は9年間苦手なことを経験しましたが、自分に合っていない生き方は、ほんとうにつらいですから。

病気が分かる前の僕は、何となく周りに合わせて生きていたと思います。9年間サラリーマンをやっていたのも、そう。どこかで誰かに守ってもらえると、甘えていたんでしょうね。でも今は違います。自分の頭で生き方をしっかり考えているし、自分で人生を切り開いていると胸を張っていえます。

今では、すっかりTVゲームをやらなくなりました。一方で「作品を見る人からどこまで評価されるか?」「社会から認められるか?」「仕事として稼げるのか?」と、自分自身が「人生」という大きなゲームの主人公となって、まさに冒険を続けているような毎日です。

仕事を辞めたことで追いつめられて、SNSでなんとかフォロワーさんを増やそうと毎日必死で続けた試行錯誤。それは、夢だった作品集の出版や、全国での個展開催につながりました。けれど、そこにとどまることなく現在も、葉っぱ切り絵のキャラクターのオリジナルグッズ制作やイベントのバージョンアップなどにチャレンジしつづけています。新しい課題が生まれるたびに、それをどうにかしてクリアしようとやる気に火がつくのは、幼い頃からTVゲームに夢中になってきたからこそ身についた感覚なのだろうと思うんです。

リトさんからのお知らせ

『葉っぱ切り絵メッセージカードBOOK 離れていても伝えたい』
(講談社、1,600円+税)
自身のADHD(注意欠如・多動症)による偏った集中力やこだわりを前向きに生かしているリトさんの作品集第2弾。大切な人に届けたい思いを葉っぱ切り絵に込めて贈れるメッセージカードが24枚。ポストカードとして使うことも、飾って楽しむこともできます。