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ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる!第2回

ADHD女子・雨野千晴のうっかりさんでもちゃっかり生きる

雨野 千晴

「うっかり女子でも大丈夫」をモットーに七つの肩書で〝多動な活動〟を展開する雨野さん。うっかりしても自分を嫌いにならず、前向きに生きられる〝雨野流ちゃっかり生活〟のヒントをお届けします。

「なんで忘れるの?」って不毛な問いかけなんです

[あめの・ちはる]——北海道生まれ。北海道教育大学札幌校卒業。公立小学校教員として10年間勤務。2017年にADHD(不注意優勢型)と診断。現在はADHD専門ライフコーチ、NPO法人代表理事、福祉事業所スタッフなど"多動な"複業活動を展開中。

最近は〝うっかり〟についてご相談をいただく機会が増えました。お悩みには大きく分けて二種類あり、一つはご本人について。もう一つは、身近な方についてのことです。どちらの悩みにも共通して思うのは、「諦める」「期待しない」姿勢が大事ということです。

ADHD脳のタイプは、「自分がやりたい!」と思うことへの集中力が半端ない一方で、それ以外のことは周囲がびっくりしてしまうくらい抜け落ちてしまうことがあります。さらに、目の前のことに集中しがちなので、なんでも直前になるまでやらないところもあるんです。前の日に準備しておけばいいのに朝起きて急にやりだしたり、せっかく用意した荷物を忘れて出てしまったり。私はそんなことがしょっちゅうです。

こんな時、昔の先生だったら「お前の努力が足りないんだ!」「だらしない!」「やる気がないからだ!」なんていうかもしれません。でもこれって、そういう問題じゃないんですよね。だって、わざとじゃないんですから。「なんで忘れるんだ!」っていわれても、分かっていたら忘れ物なんてしません。忘れ物以外のこともそうですが、私は「その人の特性を変えようとしない」視点が大事かなと思います。

本人や身近な人がうっかりした時に「諦める」「期待しない」といわれても、「そんなことない!ひどい!がんばればできるんだから!」って思った人もいるかもしれませんね。でも、人ってそんなに簡単には変われません。それを矯正しようとすれば、どこかにひずみが出てしまうこともあると思うんです。「諦める」というのは、その人の成長を諦めるという意味じゃなく、自分の本質をかけ離れた「こうあるべき」という理想論を諦めるということ。自分らしさ、その人らしさを正そうとして、その人が本来持っている朗らかさやユニークささえもつぶされてしまう。その結果「自分はダメなんだ」という思いだけが残ってしまうことがあるからです。

変わることを勝手に期待されて、勝手にがっかりされるのは悲しいこと。そうではなくて、忘れんぼうのその人らしさを生かしながら「ちゃっかり生きる」工夫を考えたほうが早いんですよ。では、具体的にはどうするかというと、「忘れることを前提にして用意をしておく」。うっかりをフォローできる環境を整えておくんです。

例えば、うちの次男は私に似てうっかりタイプ。めちゃくちゃ忘れ物をするし、落とし物もします。だから、体育帽や習字の筆など、なくしたり忘れてきたりする学用品は100円ショップで5個ずつ買ってあります。うっかりさんは、高価なものならなくさないように大切にするかというと、そうでもないんです。お気に入りの大切なものだって、うっかりなくしちゃいます。それは私自身の経験から実証ずみ。だから、忘れ物やなくし物には根性論を持ち込みません。それは昭和の時代に置いていきましょう。

小学校の教員をしていた最後の年に図工を受け持ったクラスで、「忘れ物をすると怒られるから」という理由で図工が嫌いだというお子さんがいました。ADHD脳のタイプは、発想力や独創性の豊かな人が多いように思います。私はその子の自由な発想の作品が好きでした。それが忘れ物を理由に嫌いになっちゃうなんて、もったいなさすぎます。私は忘れ物については怒らないと約束して、貸し出し用の道具を用意しておきました。ただし、忘れ物をしてしまった時は、必ず前の休み時間に職員室へ借りに来るという約束をしました。

その年度の終わりに、子どもたちから手紙の寄せ書きをもらいました。その子の手紙には「前は図工が嫌いだったけど、先生やみんなとやった1年間はとても楽しかった」と、道具を忘れてしまった時に私が笑って貸し出したエピソードについて書いてくれていました。

「ちゃんとしなきゃ」という強迫観念を捨てること。できないことがあっていい、うっかりすることもある。そのうえで、自分らしさ、その人らしさを生かす工夫を考えることが大事だなって私はいつも思っています。

イラスト/雨野千晴