プレゼント

前向きな気持ちが体を元気にさせるんです

私の元気の秘訣

歌手 チェリッシュさん

夫婦デュオの先駆けとして知られるチェリッシュ。大ヒットソングの『てんとう虫のサンバ』は結婚式の定番曲として親・子・孫と世代を超えて歌い継がれています。現在でも年間130本以上のステージをこなすなど、精力的に音楽活動を続けているチェリッシュのお2人に、元気の秘訣を伺いました。

彼女の歌声を聴いて「いっしょにやらないか」と声をかけたんです

[チェリッシュ]——『ヤング720』(TBS系列)をきっかけに出会った松崎好孝さん(左)と松崎悦子さん(右)の夫婦デュオ。『てんとう虫のサンバ』『白いギター』が大ヒットし、アルバム『チェリッシュ・スーパーデラックス』でビクターの過去最高売上を樹立。1977年に結婚後、アメリカ進出や全国ツアー、テレビ出演などを展開。現在でも年間130本以上のステージをこなしている。

——結成は1968年。当初は男性メンバーのみの4人組バンドだったそうですね。

(まつ)(ざき)(よし)(たか) (以下、好孝):そう、当時はグループサウンズの人気に陰りが見えはじめ、フォークソングが注目を集めていた時期でした。(えつ)ちゃんとはすでにその年、TBS系列でやっていた『ヤング720』という情報番組で出会っているんですよ。

(まつ)(ざき)(えつ)() (以下、悦子):私はもともと引っ込み思案な性格なので、芸能界に入りたいなんてまったく思っていなかったんです。それがたまたま、高校時代に友だちと遊びで応募したオーディションに通ってしまって……。

好孝:それでも、悦ちゃんと話してみるとコーラス部出身だというし、当時の女性歌手にはいないタイプの、個性的ですてきな歌声の持ち主でした。そこで「ぜひうちのグループでいっしょにやらないか」と声をかけたんです。これが結成翌年、1969年のことでした。

悦子:まさか自分がこうして音楽の世界でやっていくことになるなんて、夢にも思わなかったですけどね。それまでは普通に主婦になって子育てをするのが夢でしたから。

好孝:まさに〝縁は異なもの味なもの〟というやつだよ。

——それが、こうして夫婦デュオの形になったのは?

好孝:当時、同期にあたる世代に、()(やなぎ)ルミ()さんや(あま)()()()さん、(みなみ)()(おり)さんがいました。いずれもすごい人気でしたから、所属レーベル会社の本音としては、悦ちゃんをソロでやらせて対抗馬にしたかったんですよ。その意味で、ちょうどチェリッシュのメンバーが1人、2人とやめていったのは会社側にとって渡りに船で、下手をしたら僕もクビにされるところだったかもしれない(笑)。

悦子:でも、とてもじゃないけど、私1人でなんてできないですからね。結果的にこうして2人が残って、デュオでやっていくことになりました。

——お2人はその後、数多くのヒット曲を生み出します。中でも1973年にリリースされた『てんとう虫のサンバ』は、(こん)(にち)も多くの人に歌われつづけています。

『てんとう虫のサンバ』は世代を超えて愛される結婚式の定番ソング(写真提供:ビクターエンタテインメント)

好孝:この曲はもともと、LP(アルバム)の中の1曲だったんです。それまでの僕らの作品とはがらりと違う曲調で、「たまにはこういう曲もおもしろいだろう」と、いわばおまけのようなつもりでした。ところが、これがあるラジオ番組のテーマ曲に採用されると反響が広まり、急きょシングルとして発売することになったんです。

悦子:それがいつしか結婚式の定番曲になり、こうしてお母さんからお子さん、さらにお孫さんへと歌い継がれているのは、ほんとうにうれしいことです。もっとも、いまの若い人たちは『てんとう虫のサンバ』は知っていても、誰の曲なのか分からないという人が多いみたいですけど(笑)。

健康はある日突然、奪われてしまうものと思い知らされました

——ところで、悦子さんは昨年、胃がんを患い、全摘出手術を受けたことを公表されました。心配したファンも多かったと思います。

悦子:最初は「疲れがたまっているのかな?」という程度で、病院で栄養剤をもらっていたんです。ところが、腸の左側辺りに違和感があったので、念のために胃カメラを飲んで細胞を取る検査をしてもらったところ、胃の(ねん)(まく)(しゅ)(よう)ができる(いん)(かん)(さい)(ぼう)がんと診断されました。初期でしたが一時は「私、もうダメなのかな?」と思いましたし、残された時間で仕事や家庭のことをどう処理すればいいのか、すごく悩みました。

好孝:僕ら家族としてもほんとうにびっくりしましたけど、幸い仲間内に医師が何人かいて、親身に相談に乗ってもらえたのはありがたかったです。精密検査の結果、先生のすすめで胃を全摘出することにはなりましたが、とにかく発見が早かったのがよかったですよ。

悦子:1年遅かったら助からなかったかも、といわれましたからね。最初の検査のとき、先生が念を入れて細胞の病理検査をしてくれなければ、こうしてステージに復帰することもできなかったでしょう。

——とはいえ、療養中も不安や心配は尽きなかったと思います。

好孝:その点では、息子と娘にもずいぶんと助けられました。音楽活動を休んでいる間、アメリカに住んでいる息子が「家で暇しているなら、こっちへ遊びに来たら?」と航空券を送ってくれたんです。確かに、家に引きこもっているといろいろ考えてしまうので、いい気晴らしになりました。

悦子:私は私で、娘といっしょに思い切ってハワイで療養することにしたんです。まだ体調面が心配ではありましたけど、ハワイで買い物を楽しんでいるうちに、体がどんどん元気を取り戻していくのが実感できました。2週間もすると、食事もたくさんとれるようになり、1日に何千歩も歩けるようになっていましたから。

——やはり、心が元気を取り戻すことは大切ですね。

悦子:今回のがんで、いままであたりまえだった健康は、ある日突然奪われるものなんだと思い知らされました。その反面、前向きな気持ちさえ保っていれば、体もちゃんと元気を取り戻すものですよね。

好孝:結局、泣いて過ごしても笑って過ごしても、1日は同じ1日ですから。僕らも70歳を超えましたけど、だからといって家でぼんやりしているのではなく、積極的にやりがいや目標を見つけて行動しなきゃ。たとえ病気になったとしても、いつもどおりに楽しく過ごすのが、結局いちばんの(りょう)(やく)ですよ。