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自然にゆだねて闘わない。いまを生きることでがんを克服した物語

杉浦貴之の「治す力は自分の中にある!」
ミスター・メッセンジャー 杉浦 貴之

[すぎうら・たかゆき]——1971年、愛知県生まれ。28歳のときに腎臓がんを発症し、両親には余命半年、2年後の生存率0%と告げられ手術を受ける。以後、『メッセンジャー』編集長兼シンガーソングランナーとして精力的に活動中!

5月11日に東京医科歯科大学で行われた「リレー・フォー・ライフ東京御茶ノ水」に、チームメッセンジャー(がんサバイバーでホノルルマラソンを目指すチーム)として参加しました。

当日の夜、医師でリレー・フォー・ライフ東京御茶ノ水の名誉実行委員長を務める坂下千瑞子先生が、「誰か、この方と話してあげて~」といって、ある男性患者さんをチームメッセンジャーのブースに連れて来てくれました。

舌がんの手術を受けたばかりという男性患者さんの話をブースで聞いたのは、同じ舌がん、それもステージⅣから治療を経て4年になり、私が発行している『メッセンジャー』の表紙も飾ってくれた、プロスノーボーダーで神奈川県平塚市議会議員の渡部亮さんでした。

渡部さんはその患者さんに、熱心にアドバイスを送ってくれました。男性患者さんは勇気づけられ、励まされたのでしょう。表情がどんどん明るくなっていきました。

渡部亮さんが表紙を飾った『メッセンジャー』(第55号)には多くのがん患者さんが勇気づけられた

偶然にも、その男性患者さんの名前も「わたなべ」さんでした。男性患者さんもスノーボードの道具を買ったばかりだそうで、渡部さんといっしょに滑りに行く約束をされていました。

患者さんにアドバイスを送っていた渡部さんも、かつては患者さんの立場で希望のバトンを受けついだ一人です。

手術後に絶望しかけているとき、友人が手渡してくれたのが数冊の『メッセンジャー』でした。特に、若年性のがん患者の体験談が掲載された特集号を読んで心を打たれたという渡部さんは、表紙のモデルにもなったHさんの記事を読んで、生きるスイッチが入ったそうです。

24歳のときに骨肉腫を発症したHさんは、その後、再発・転移を繰り返しました。足の切断や抗がん剤治療と、幾度も壮絶な治療を受けます。8年間で計4回の再発・転移と5回の手術。トータル26クールの点滴による化学療法を経験し、最後は主治医から「もう、Hさんの悪性腫瘍に効く薬はありません」とまでいわれたそうです。

それでも主治医が諦めずに探してくれた治療法(がんワクチン)で寛解したHさんは現在、がん罹患から20年が経過し、ご結婚もされています。

Hさんは『メッセンジャー』に、こんなことを書かれています。

「寿命は誰にでもあります。明日のことは誰にも分かりません。神のみぞ知る、私の余命。命尽きるまで自然に身をゆだねて生きていく。自然にこの身を返すときも笑顔でいられるように、夢と希望を忘れず、生きているいまを精いっぱい生きたいと思います」

そんなHさんの姿に勇気をもらった渡部さんは、こう自分に宣言したのです。

「どうせ死んでしまうなら、好きなスノーボードを、とことんやってやろう」と。

渡部さんが雪上に復帰したのは、2018年のお正月明けのこと。体のダメージは予想以上に大きく、以前と同じように滑れず、途方に暮れてしまったそうです。

それでも徐々に滑れるようになった渡部さんは、退院から3ヵ月後の全日本スノーボード技術選手権大会で5位に入賞。2017年の全日本スノーボード技術選手権では、自身最高位の準優勝と、がんを発症する前よりも成績が向上したのです!

その理由を、渡部さんはこういわれています。

「以前の私は、スノーボードをするときに雪とけんかしていたように思います。筋力が落ち、力みが抜けたのが功を奏したのか、力任せに滑っていたフォームから、重力や遠心力と調和できるフォームに変わりました。さらに、『もしかしたら来年はこの場に立てないかもしれない』という気持ちが自然と集中力を高めてくれていたのです」

自然にゆだねる。決して闘わない。いまを生きる。このことが渡部さんの本来持っているポテンシャルをよみがえらせて、生きる力を高めたのではないでしょうか。そのバトンは、きっと次の誰かに渡っているはずです。

杉浦貴之 | 「命はやわじゃない」、がん・余命半年から19年を経過し、ますます元気になった男が伝えるメッセージ
杉浦貴之「がん余命半年から16年目を迎えて」 マガジンと歌とRUNで伝える「命のメッセンジャー」
この記事は「健康365」2019年9月号に掲載されています。