プレゼント

「楽しみなこと」や「生きがい」というのは、意外と今の身近にあるものなんです

私の元気の秘訣

俳優 緒形 直人さん

芸能一家に生まれ、自身もまた1988年のデビュー以来、数々の俳優賞を受賞して一世を風靡ふうびしてきた緒形直人さん。そろそろ還暦が近づいてきた今も、さまざまな作品で円熟味あふれる演技を披露しています。多彩な役柄を演じ分けて存在感を発揮しつづける緒形さんに、元気の秘訣ひけつをお聞きしました!

俳優一家で育ちながら父親の教えで役者は望みませんでした

[おがた・なおと]——1967年、神奈川県生まれ。デビュー映画『優駿 ORACIÓN』(1988年)にて日本アカデミー賞新人俳優賞、ブルーリボン賞新人賞など数々の賞を受賞。その後、『北の国から’89帰郷』(1989年、フジテレビ系列)ほかTVドラマにも多数出演し、NHK大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年)で主役を務める。『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』(1996年)では第20回日本アカデミー賞優秀主演男優賞受賞。近年の出演作に『64-ロクヨン-前編・後編』(2016年)、『万引き家族』『散り椿』(2018年)、『Fukushima50』(2020年)、『護られなかった者たちへ』(2021年)、『川っぺりムコリッタ』(2022年)、『シサム』(2024)、NHK連続テレビ小説『おむすび』(2024年)などがある。

父親が緒形拳おがたけん、母親が高倉典江たかくらのりえ、さらに兄の幹太かんたも俳優という家族ですから、幼少期からさぞ特別な生活をしていたように思われますが、実際はそうでもありません。

生まれは神奈川県横浜市で、私立の学校に通うわけでもなく、ほんとうに普通の小学生らしい生活を送っていました。授業が終わるとすぐにバットとボールを持って公園へ行き、日が暮れるまで友だちと野球に没頭する、そんな毎日でした。

父の仕事の影響で演技というものが身近だったかというと、実はそうではないんです。当時、父が出演していた映画は子どもに見せるにはあまりふさわしくない、不道徳な作品が多かったので、むしろ「父の仕事は子どもに見せるな」という家庭内の暗黙のルールがあったほどです。

でも、それはそうですよね。たとえ演技とはいえ、自分の父親が人をがけから突き落として殺すようなシーンは、見せないほうがいいと思います(笑)。これは自分が親になってみて、なおさら感じることでもありますね。

そういえば小学生の頃、一家がそろった食卓で、父親に将来の目標を聞かれたことがありました。

当時の僕は野球にのめり込んでいたので、漠然と「野球部に入って甲子園こうしえんを目指せればいいな」と思っていたのですが、この時に父からはっきりいわれたのが「役者にだけはなるな」というひと言でした。

俳優という職業は、親の跡を継げるものではなく、人気商売であって実力の世界です。変に自分の背中を追ってこの世界に興味を示し、苦労をさせるのは本意ではない、と父は思っていたのでしょう。運の要素も非常に大きいですしね。

ところが、中学2年生の夏休みに、ある映画のロケに雑用で参加し、10日間ほど撮影現場のお手伝いをさせてもらうことがありました。この作品が映画館で上映された時、なんともいえない感慨を覚えたのが、僕にとって1つの転機になりました。

純粋に、「あの現場から、こんなすごい作品が生まれるんだ」という感動もありましたし、自分ではない誰かになりきる俳優の皆さんの存在感にもしびれました。なにより、作品全体が力強いエネルギーに満ちていて、日本映画が持つ奥行きのようなものを感じ、大いに心を揺り動かされたんです。

そんな作品に、わずかながらでも関わることができたのが誇らしかったですし、この体験をきっかけに、僕の中で映画の撮影スタッフになりたいという気持ちが芽生えはじめました。

ただし、この時点では俳優という仕事にはまったく興味がなく、あくまでも制作スタッフの1人として、作品の感動を伝えたいという思いでした。

その足がかりとして1987年に入所したのが、青年座せいねんざという劇団の研究所です。大半の人は俳優志望で入ってくるので、60人ほどの研究生中、スタッフ志望は僕1人だけ。でも、かえってそれが珍しくて採用してもらえたのかもしれません。

映画制作の現場では、大道具や小道具、照明など、分野ごとにスタッフが細かく分かれているという当たり前のことも、ここで初めて学びました。

だから、まずはその中から自分がやりたい役割を見つけなければなりません。演技も実は、そうした分野の1つでした。

スタッフ志望で劇団に入団し、ひょんなことから俳優デビューしました

研究所のカリキュラムでは、研究生は全員、日本舞踊やモダンバレエ、声楽、パントマイムなどのレッスンがあり、さらに大道具や小道具といったことなども含めて、なんでも自分たちで舞台を整え、そしてみずからそこに演者として立つことが求められていました。しかし、もともと演者志望ではない僕は、当然あまりうまく演技はできません。

2年制の研究所では、1年目が終わったところで半分の30人にまでふるいにかけられます。そこに僕が残ることができたのは、単に貴重なスタッフ志望だったからではないかと思います。劇団としては、俳優だけではなくスタッフも必要なわけですから、それも当然でしょう。

「父から、『役者にだけはなるな』とはっきりいわれました」

そんなある日、劇団の社長から直々に呼び出しがかかりました。いったいなにごとだろうとびくびくしながら社長のもとを訪ねると、ある映画で若い演者を求めていて、オーディションがあるから受けてみろといいます。それが、映画『優駿ゆうしゅん ORACIÓN』という作品でした。

演技にはまったく興味がありませんし、スタッフを目指して毎日がんばっているのですから、オーディションを受ける意味がありません。僕はその場ではっきりお断りしたのですが、それでも社長は引き下がらず、「せめて、原作の小説を読んでみて、それでも嫌なら断ってくれ」と。要は、内容も知らずに断るのは先方に対して失礼である、というわけです。

そこまでいわれたら、社長の顔を立てないわけにもいかず、僕は渋々渡された上下巻の小説を手に、家に帰りました。

それまで読むのは漫画ばかりで、小説なんてほとんど手にしたこともありません。とても最後まで読み切れないだろうと思っていたのですが、いざページをめくりはじめてみると、どんどん物語の世界に引き込まれていくのを感じました。

なにより、オーディションで求められている10代の青年のキャラクターが、非常に魅力的でした。まさに運命の出合いです。最後まで小説を読み終える頃には、僕は「どうしてもこの役を演じてみたい」と熱望していました。

この心境の変化には僕自身も驚くばかりでしたが、社長はさらにびっくりしていました。「おまえ、この短期間にいったいどうしたんだ?」と(笑)。でも、そのくらい主人公の渡海博正とかいひろまさという人物は、僕にとって魅力的だったんです。

そこからはオーディションに向けて、死にものぐるいでした。人が変わったように演技について学び、なにがなんでもこの役を自分がつかみ取るんだと、断固たる決意で稽古に明け暮れました。

結果、オーディションに晴れて合格し、スタッフ志望だったはずの僕の俳優デビューが決まります。

後から気づいたことですが、『優駿』という作品は、競走馬の血統を題材にした物語です。つまり、緒形拳という名のある俳優の息子である僕にとっては、なんとも意味深い作品といえます。

実は、この映画には父も出演しています。ですから、世間的に見れば、父が出演するのとバーターで息子をデビューさせた、という構図に映っていたことでしょう。

しかし、実際は順序が逆で、僕の出演が決まったことから、制作陣が父・緒形拳に出演をオファーした、というのが真相なんです。

そもそも僕が俳優になることには反対していた父ですが、いざこうしてデビューが決まると、「がんばりなさい」とすんなり受け止めてくれたことが印象的でした。要は、自分で考えたうえで決めたことであれば、それがどのような職業であれ反対はしない、というスタンスだったのだと思います。

「島村抱月」という人物の人となりを徹底的に分析しました

早いもので、この世界に入ってから、今年で37年目を迎えます。

デビューしたての時期は、この仕事の厳しさを嫌というほど味わいました。坂上忍さかがみしのぶさんや金山一彦かなやまかずひこさんといった同世代の俳優と共演した時には、キャリアや実力の違いを思い知らされ、どうすれば演技力を磨くことができるのか、いつも頭を悩ませました。

それでも、たくさんの方から指導を受け、父に「このまま俳優を続けるつもりだよ」と伝えたことがありました。父はこういいました。

「この仕事をずっと続けるのは、大変なことだぞ。もしおまえがこのまま10年役者を続けられたら、俺は褒めてやるよ」

その言葉に、生半可でやっていける仕事ではないことをあらためて実感させられました。常に向上心を持ちつづけていなければ、あっという間に消えて忘れ去られてしまう世界なのだ、とも。この父の言葉を胸に刻みつけたおかげか、ほんとうにいろいろな作品に携わることができました。どの作品にも学びと思い出があり、振り返れば感慨深いものがあります。

『シンペイ~歌こそすべて』のワンシーン。中山晋平(中村橋之助さん、写真右)や島村抱月(緒形直人さん、写真左)など、勢いと熱量のある人物がたくさん登場するエネルギッシュな映画

1月から全国公開の『シンペイ~歌こそすべて』という映画にも、特別な思いがあります。

僕が演じているのは、主人公の作曲家・中山晋平なかやましんぺいを指導する島村抱月しまむらほうげつという大学教授で、新劇運動(明治末期に起こった近代演劇を確立しようとする運動)を牽引けんいんした人物です。僕自身、青年座という劇団の出身ではあっても、もともとスタッフ志望だったので、新劇とはなにかということをほとんど理解していませんでした。

そこで、まずは新劇運動についての資料を読み込むことから始め、当時の舞台を取り巻く環境をイメージし、島村抱月という人物の人となりを徹底的に分析しました。

明治から大正という混沌こんとんとした時代に、新しい文化を切り拓こうと動いた人たちの物語ですから、とにかく勢いと熱量のある人物がたくさん登場する作品です。ぜひ、そうした力強いムードの一端を少しでも映画館で感じていただけるとうれしいですね。

こうして50代後半に差しかかっても、幸いこれまで入院するような大病とは無縁でやってくることができました。

健康の秘訣は早寝早起き、腹八分目、たくさん歩くことです

健康の秘訣を強いて挙げるなら、よく歩くことでしょうか。走る必要はなくて、普通に無理のないペースで歩けば有酸素運動として十分ではないかと思います。僕の場合、あとは筋トレを少しやる程度ですね。

「スタッフの皆さんと一緒に、同じ方向へ向かって一丸となって進んでいくことが楽しいんです」

一方、食生活は運動以上に重視しています。ポイントは2つ。野菜をしっかりとることと、腹八分目に抑えること。

こういう仕事なので不規則な生活をしているように思われるかもしれませんが、僕は意外と朝型で、しかも睡眠時間はなるべくたっぷり取るように心がけています。なるべく早寝をして、朝は4時には起きてイヌの散歩に出かけます。

時には役作りのために、意図的に体重を落とさなければならないこともあります。ほんとうは、50代以降はあまりがんばってダイエットしないほうがいいと考えているのですが、こればかりはしかたがありません。

ですから、せめて計画的に十分な時間をかけて少しずつ体重を減らし、体に負担がかかりすぎないよう工夫しています。まだまだ俳優としてがんばっていくつもりですから、こうした意識は大切ですよね。

気がつけば、あれほどこだわっていた制作スタッフになりたいという気持ちは、すっかりなくなりました。未練がなくなったというほうが正確でしょう。それだけ俳優という仕事にのめり込んで来たんだと思います。

今は、一度は目指したスタッフの皆さんと一緒に、同じ方向へ向かって一丸となって進んでいくことが、楽しくて毎回ワクワクしています。

「楽しみなこと」や「生きがい」というのは、意外と身近にあるものなんですよね。皆さんもなんとなく元気が出ない時は、あらためて身の周りを見直してみて、少しでもポジティブな気持ちになれるものを探してみてください。

気持ちが高まれば、自然と声が大きくなりますから、周りにも元気なイメージを与えられるのではないかと思います。

緒形直人さんからのお知らせ

『シンペイ〜歌こそすべて』

●出演 中村橋之助
志田未来/渡辺大、染谷俊之、三浦貴大
中越典子、吉本実憂、高橋由美子/酒井美紀、真由子、土屋貴子、
辰巳琢郎、尾美としのり、川﨑麻世/林与一/緒形直人
●ナレーション 岸本加世子
●監督 神山征二郎
●企画・プロデュース 新田博邦
●脚本 加藤正人、神山征二郎
●音楽 久米大作
●撮影・編集 小美野昌史
●製作 「シンペイ〜歌こそすべて」製作委員会
●配給 シネメディア

長野県にて先行公開中
2025年1月10日(金)よりTOHO
シネマズ日比谷ほかにて公開