熊谷 あづさ さん
私は20代後半でライターに転職し、以来、雑誌や広告、ウェブサイトなどで取材や執筆を行っています。子どものころから本を読むのが好きだったこともあり、「自分の名前で本を出せたらいいなぁ」という気持ちはずっとありました。実際にいくつかの本の企画書を書き、知り合いの編集者さんに見ていただいたこともあります。けれど、知名度も実績もなく、自己プロデュースも苦手な人間にとって、本を出すということは夢のまた夢でした。
そんな私ですが、先月、初の著書『ニャン生訓』を出版することができました。古くからの友人でもある編集者の方が、「ぜひ、本を出しましょう」と声をかけてくれたことがきっかけです。その際に、以前考えた本の企画の中でも、一番思い入れがあった猫に関する本の企画書を見てもらったのですが、残念ながらボツでした。でも、猫という観点はよいとのことで、「猫と『養生訓』を組み合わせるのはどうでしょう」とご提案をいただいたんです。
大学時代の卒論で江戸時代の近世文学をテーマにしていたこともあり、『養生訓』は読んだことがありました。当初は健康指南書というイメージが強かった『養生訓』ですが、改めて読み直してみると身体の健康はもちろん、「心は身体の主人であり、平静を保たなければならない」、「心に主体性を持たなければならない」といった教えが数多くあり、心の健康にも言及している内容であることに驚きました。300年も前に書かれた『養生訓』の言葉が、令和のいまを生きる私の心に刺さったのです。
私自身、心のどこかで生きづらさや閉塞感を抱えていますし、同じような思いをしている人が少なからずいることも感じていました。そうした人たちに『養生訓』の言葉を届けられたらと思ったのです。
『ニャン生訓』の制作過程は本当に大変でした
担当編集さんと何度か打ち合わせを重ねる中で、『養生訓』の言葉と解説とともに、その内容に沿うような猫の写真と猫に関する情報を盛り込むという方向性が定まりました。
たとえば、「身体を保って養生するための奥義ともいえる一字が“畏れ”である」という主旨の養生訓のページには、天を仰ぎ見るようなポーズの猫の写真と一緒に養生訓とその解説、古代エジプトの猫崇拝の情報が記載されています。
『ニャン生訓』には、子猫がぴょんぴょんと飛び跳ねているような様子やダンスの練習をしているかのような躍動感あふれるカットなど、ユニークで愛らしい猫の写真が満載です。掲載されている猫の写真はすべて、人気の猫写真家・沖昌之さんが撮影されたものです。もともと沖さんの写真が好きでよく拝見していたので、『ニャン生訓』でご一緒できたことは、いまでも夢のような出来事です。
ただ、実際の作業は苦労の連続でした。誌面を作るためには、養生訓とその解説、猫の写真、猫の情報の4つを合致させることが最低条件ではあるものの、これがなかなか難しくて……。
現代人に伝えたい養生訓があってもそれにそぐう解説ができなかったり、養生訓に合うような猫の情報が見つからなかったり。4つの条件をクリアできる教えを探し、数えきれないほど『養生訓』を読み返しました。
また、スケジュールもタイトで、一番忙しかった時期は24時間のうち20時間くらいは『ニャン生訓』に向き合っているような状態でした。必死で原稿を書いてもダメ出しがあり、何度も書き直しをした部分も少なくありません。睡眠不足と疲れと過度なプレッシャーのせいか口角炎と結膜炎がいつまで経っても治らず、目薬と口角炎用の塗り薬を机の上に置いて仕事をしていました。ライターとして20年近く仕事をしてきましたが、これまでで一番、心身ともに追い詰められたような状況だったように思います。
『養生訓』の言葉に支えられて『ニャン生訓』ができ上がりました
それほどギリギリだった私を支えてくれた存在がふたつあります。
ひとつは、一緒に暮らしている猫の「ふうま」と「ひなた」です。普段は自由気ままに過ごしているふたりですが、私が黙々と仕事に向かっている間中、ふうまは部屋の片隅で、ひなたは机やひざの上でずっと見守っていてくれました。ふと気がつくと目に映るモフモフでフワフワの存在に何度癒され、励まされたかわかりません。
もうひとつは『養生訓』の言葉です。心が折れそうになるたびに、「すべてのことに励み、続けていれば必ず効果は現れる。たとえば、春に種をまいて、夏によく手入れをすれば、秋に豊かな実りとなるようなものである」という養生訓を繰り返し読みました。何度も読むうちに「いまのがんばりはいつかきっと、いい形で自分に返ってくるはず」と思えるようになり、前向きな気持ちで作業に取り組むことができました。
それでも、何度もダメ出しを受けると自分自身を否定されたような心境になり、「私ってなんてダメな人間なんだ……」とネガティブ思考に陥って、夫に八つ当たりをしそうになったこともあります。そのたびに『ニャン生訓』でも取り上げた「己を愛せよ」の教えを読み、「自分で自分をダメだと思ってはいけない」、「私は私でいいのだ」と自分自身に言い聞かせました。
また、同じく『ニャン生訓』でも紹介した「呼吸はゆっくりと行い、深く丹田に入れる」、「自分の手で按摩や指圧をするのもよい」、「穏やかな天気の日は外に出て気を解放させるべし」といった教えを意識して、強い焦りや不安を覚えたら腹式呼吸をしたり、外に出て太陽の光を浴びたり、軽いストレッチをしたりしていました。
このように、つらい場面で何度も『養生訓』に救われたおかげで、『ニャン生訓』という本をこの世に出すことができました。いまとなっては未熟な原稿に根気強くつきあってくださった担当編集さんにも、心身ともに荒れ放題だった私をサポートしてくれた夫にも、感謝してもしきれません。
『ニャン生訓』は、どのページからでも読むことができますし、読むたびに健康や江戸時代の文化や猫に関する知識が増えていきます。ぜひ、本を手にとってページを開いてみてください。私が『養生訓』と『ニャン生訓』の恩恵にあずかったように、いまの自分に必要な言葉と大きな癒しをきっと、得られるはずです。
熊谷あづささんの著著
『ニャン生訓 癒され整う江戸の簡単健康法』(集英社インターナショナル)